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2019年2月 9日 (土)

≪読書感想≫『日本国紀』(百田尚樹著・有本香編集)②

◆倭(wa)とは?
1世紀ころの漢書『地理志』には次の記述がある。これは我が国に関する最も古い記述である。
楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国となり歳時をもって来たり献見すという。
倭(わ=wa)というのは、「辺鄙な」「未開」という意味で」、侮蔑的な呼称であるため、7世紀には「わ」を「和」と改め、後に「大和」と記すようになる。
当然の事ながら・・・日本国の自尊心を示す内容である。
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◆日本人の性格や日本社会の特徴
『魏志倭人伝」には、日本人の性格や日本社会の特徴についての記述もある。
・風俗は乱れていない、・盗みはしない、・争いごとは少ない
これを筆者は、「心から嬉しく思う」と記している。戦前の皇国史観への反動と朝鮮人に対する贖罪意識から、戦後、イデオロギー、情緒で、日本歴史を見る風潮に慣れてしまった我々団塊の世代にとっては、清々しい
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◆万物に霊魂が宿る(アニミズム思想)
数年前、宇宙人と言われた日本の総理大臣・鳩山由紀夫が、「東アジア共同体」構想を夢想していた事があった。
鳩山氏の脳裏には、同じ文化を持つ中国・朝鮮・日本が一つになろうというものだが、日本と中国・朝鮮との文化は全く違う。
日本は縄文時代から「生物・無生物に限らず万物に霊魂が宿る」というアニミズム思想(信仰)を持っていて、その思想(信仰)は、新嘗祭(宮中祭祀)として現代に伝わっている。
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◆万世一系と易姓革命
韓国・朝鮮は、明らかに中華文化圏の中に(周辺属国として)に属している。
しかし、日本は中国から見ても、「東夷」であり、「中華文化圏」の圏外(東夷・北狄・西戎・南蛮)である。
ハンチントン『文明の衝突』でも、日本は独自の文化圏を形成している。何れにせよ鳩山構想には、ノスタルジーだが、無理がある。
百田尚樹氏は、易姓革命(天が前王朝を見限った時、新たな王朝が生まれる)の中国・朝鮮と、我が国の「万世一系」とは根本的に異なる事を、示唆している。
「万世一系」は、我が国は世界に誇るべき国体である。
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◆自尊独立の気概を示した偉人・聖徳太子
日本の偉人を挙げよ!と言われれば、私は真っ先に聖徳太子を挙げる。
随の煬帝に送った書簡には、次の様にある。
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや。
これに、煬帝は怒ったが、日本を敵に回せば高句麗と手を結ぶかも知れないと考え、武力征伐する事は無かった
その後、日本の天子を「王」と書くと、自ら冊封を認めることになるので、聖徳太子は「天皇」という言葉を用いる事で、中国の「皇帝」と対等である事を示したのである。
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◆百田氏の史観?
「天皇」という言葉には、日本がどこにも従属しない独立不羈(ふき)の国であるという精神が込められている。と、百田氏は述べている。
ここに、百田氏の「日本の歴史」と真正面から向き合う精神(百田氏の史観)がある。
日本史を見る場合、どうしても「天皇」の存在を避けて通ることが出来ない。それを、「皇国史観」という呼ぶのであれば、そうなのだろう。
所謂、「唯物史観」(歴史には客観的な法則がある、必然的に、革命を引き起こし、共産主義に移行する)という偏ったイデオロギーからは、日本史を正しく見るることはできない。
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2019年2月 8日 (金)

≪読書感想≫『日本国紀』(百田尚樹著・有本香編集)①

◆心が幸せな気持ち
兎に角、この本は面白い。
面白いばかりか、読み終えた後には幸せな気持ちになる。何と言ったら良いんだろう?私の心が幸せな気持ちで充足される。
『日本国紀』は、日本の歴史について記されていて、簡潔で、読みやすく編集されている。
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◆著者の「日本国愛」「日本人愛」
それは無味乾燥な「史料」の羅列ではなく、著者の湧き出るような「日本国愛」「日本人愛」が、描かれている。
例えば、次の記述である。
「縄文人たちは、その暮らしの中で美しいもの(網目模様の土器)を求める心を持っている」「平均寿命15歳(乳幼児死亡が多いため)の時代に」「縄文時代の女性が命懸けで産み育てた子供たちの(我々は)末裔である」ことに、著者は「・・・私は胸が熱くなる・・・」と吐露している。
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◆歴史は主観的である
言葉はもとより主観的なものである。そうであるべきだ。
歴史学を、社会科学即ち「科学」という捉え方は間違いである。「科学」であるならば、対象を客観化し「法則」があるが、そんなものは歴史という人の「主観」にはない。
日本古代の歴史書である記紀、就中、日本書紀は、大和朝廷による日本人の為の歴史書であるからそれ自体が「主観」であって当然である。
従って、文字の残される歴史は優れて主観的といえるのである。
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◆分からない事が「歴史」にある
「歴史」は、既に存在してしまったものである。
だが、その事象全てを描くとなれば図書館の書棚全てでも足りないし、そんな事は何の意味もない。又、不可能だ。
その事象の何倍も多いハッキリしていない事、分からない事が「歴史」にはある。特に、神話の時代には多いし、辻褄の合わないことがある。
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◆分からない事は、分からないと云う
厳密な文字による記録が、残っていない古代史においては、分からない事、辻褄の合わないことがある。
しかし、だからと言って、嘘・捏造は良くない。これは、「プロパガンダ」であったり、「ファンタジー」であたりするが、主観的であることと次元が違う。
著者は、「分からない事は、分からない」と云っており、謙虚で好感が持てる。
また、著者の学説(仮説)については、その根拠を示して、論述している。
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