日記・コラム・つぶやき

2018年12月15日 (土)

≪漢詩鑑賞≫菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る(陶淵明の世界)

上記タイトルにある「菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る」は、陶淵明の漢詩『飲酒』からの出典であり、自然に溶け込んだ如何にもゆったりとした心持を表現している。
この詩は、陶淵明自身が、役人生活を辞し故郷の田園に隠居した時の作品であり、物事の深い所を悟ったかのような名作である。
『田園の居に帰る』(陶淵明41歳の作)では、性本愛邱山。誤落塵網中。(性本邱山を愛す。誤って塵網の中に落ち)と、間違って、役人生活(塵網の中)に入ったとあるように、役人を辞してから(役人生活の束縛からの解放)の名作が多い。
その「悟り」の内容については、説明不可能(此の中に真意有り、弁ぜんと欲すれば已に言を忘る)として、突き放している。
いかにも隠者詩人の面目躍如、というところである。
☆……☆……☆……☆
Insyu
☆……☆……☆……☆
(いおり)を結んで人境(じんきょう)に在り
而も車馬の喧(かまびす)しき無し
君に問う何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと
心遠ければ地自ら偏(へん)なり
菊を東籬(とうり)の下に采り
悠然として南山を見る
山気(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)
飛鳥(ひちょう)相与(とも)に還る
此の中に真意有り
弁ぜんと欲すれば已に言を忘る
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2018年11月30日 (金)

≪漢詩鑑賞≫王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す(白居易)

白居易の生涯は、唐代の詩人の中では、一度の左遷以外は安定していて、その詩は、我が国平安朝文学にも大きな影響を与えた。
この詩の、王十八とは、白居易が尉(事務官)のころ知り合った友人の王質夫のことで、彼が都から故郷の山に帰っていくのを見送った、送別の歌である
※因みに、王質夫は、玄宗と楊貴妃の悲恋物語の、時と共に消滅してしまう事を惜しんで、白居易に歌をつくることを勧めた。
こうして『長恨歌』が作られたのである。(白居易35歳の作品である)
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王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す
曾於太白峯前住  曾(かつ)て太白峰(たいはくほう)前に於いて住し
數到仙遊寺裏來  数(しばしば)仙遊寺裏に到りて来る
黒水澄時譚底出  黒水澄む時譚底(たんてい)出て
白雲破處洞門開  白雲破るる処洞門(どうもん)開く
林閒暖酒焼紅葉  林間に酒を暖めて紅葉を焼(た)
石上題詩掃緑苔  石上に詩を題して緑苔(りょくたい)を掃(はら)
惆悵舊遊無復到  惆悵(ちゅうちょう)す旧遊(きゅうゆう)復到る無きを
菊花時節羨君廻  菊花の時節君の廻(かえ)るを羨(うらや)
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かつて、太白峰の前に住んでいた時には、
しばしば仙遊寺に出かけた
黒水の流れが澄むと、その時、淵の底(譚底)まで見え
白雲が風に切れると、そこには洞穴が口を開けていた
林の中で赤く色づいた落葉を焼いて酒の燗をしたり
石の上に緑の苔を払いのけて、詩を記したりして遊んだものだ
あの楽しかった旧遊の地へ、もう二度と訪れることがないかと思うと、ひたすらにさびしく悲しまれる
菊の花も薫ろうとするこの時節、あなたはあの山へとお帰りになる。とてもうらやましいことです。
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2018年11月12日 (月)

≪漢詩鑑賞≫登高(杜甫)

洞庭湖のながめは素晴らしいと昔から聞いていて、一度来たいと思っていた。
今はからずも流浪の旅の末に来た。
なるほど、聞きしにまさる景色だ。
・・・杜甫57歳の作品である。
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岳陽楼に登る(杜甫)
昔聞洞庭水  昔聞く洞庭の水
今上岳陽楼  今上(のぼ)る岳陽楼
呉楚東南坼  呉楚東南に坼(さ)
乾坤日夜浮  乾坤(けんこん)日夜浮かぶ
親朋無一字  親朋(しんぽう)一字無く
老病有孤舟  老病孤舟有り
戎馬關山北  戎馬(じゅうば)関山の北
憑軒涕泗流  軒に憑(よ)れば涕泗(ていし)流る
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昔から洞庭湖の壮大さについては噂に聞いていた
今、岳陽楼に上って、眼前にその湖面を眺めている
呉と楚は、それぞれこの湖によって東と南に引き裂かれており
その湖面には、天地宇宙全てのものが昼夜の別なく影を落として浮動している
さて、今の私には、親類や友人から一字の便りさえなく
この老い病む身に、ただ一そうの舟があるだけだ
思えば、今なお戦乱が関所や山を隔てた北の故郷では続いている
楼上の手すりに寄りかかっていると、涙が流れ落ちるばかりである
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2018年10月25日 (木)

縄文人の躍動~in千葉市加曾利貝塚

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(加曾利貝塚全景)
昨日は、千葉市若葉区にある加曾利貝塚博物館を見学した。
私は、千葉市に永年住んでいて、加曾利貝塚を見学したのは初めてだ。
たが、縄文時代の貴重な史跡が、きちんと保存されている。
館長さんの明快な説明もあり、実に興味深い見学だった。
時代的には、紀元前2000年~3000年頃だが、縄文人は、想像以上に知恵があり、関東近隣との交流が出土品から伺われる。
縄文人の躍動が伝わるようだ。
「貝塚」と呼ぶくらいだから、すぐ近くまで海が迫っていたのかと思っていた。
だが、実際にはそうではない。
千葉市の地形は、高い山が無い(加曾利博物館近くで海抜35mほど)平坦な地形である。
従って、海に繋がる川は、流れが緩やかで、満潮時には海水が上流まで押し寄せ、干潮時には遠浅の海まで川水が届く。
その潮の干満を利用して、満潮のピークには船(筏?)で下り、遠浅の海で貝を採り、干潮のピークには、海水に乗って上流の集落まで戻る。
千葉市の平坦な地形を利用した、見事な知恵である。
館内には、縄文時代中期の「加曾利E式土器」が展示された。その見事な出来栄えに驚いた。
貝塚が残る台地上には、大規模な集落遺跡があり、想像力が刺激される興味深い見学だった。
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2018年10月17日 (水)

≪漢詩鑑賞≫酒を酌んで裴廸に与う(王維)

王維が、若い友人裵廸を慰め励ました詩である。
科挙にも受からず失意のどん底にあった友を、「お前がダメなのではない。世間の人間がどいつもこいつもだめなのだ」と、一緒になって人の世を憤慨してやる。
ここには、王維自身の人間不信が率直に見れる。
☆……☆……☆……☆
酒を酌んで裴廸に与う
酌酒與君君自寛 酒を酌んで君に与う君自ら寛(ゆる)うせよ
人情飜覆似波瀾 人情の飜覆(はんぷく)は波瀾に似たり
白首相知猶按劒 白首の相知のすら猶お劒を按じ
朱門先達笑弾冠 朱門の先達は弾冠(がんかん)を笑う
草色全經細雨濕 草色は全く細雨を経て湿い
花枝欲動春風寒 花枝は動かんと欲して春風寒し
世事浮雲何足問 世事浮雲(ふうん)何ぞ問うに足らん
不如高臥且加飡 如かず高臥して且く飡(さん)を加えんには
☆……☆……☆……☆
お酒をついで君に差し上げよう。まあいっぱい飲んで、ゆったりとして気分(自寛)になりなさい。
人間の感情なんて、いい時も悪い時もあって、まるで打ち寄せる波(波瀾)のようにくるくる変わるものさ。
ともに白髪の友人同士(白首相知)だって、利害のためには剣をとって争う(按剣)こともあるし、
先に出世した人たちは、うだつが上らず、引きを待つ者(彈冠)を冷笑してしまうのさ。
つまらない雑草は恵みの雨を受けてしっとりとつややかに湿っているのに、
高雅な枝の花は、つぼみが開こうとしてもそこに吹く春風は冷たいのだ。
人の世の事なんどは、まるで浮き雲のようにあてどもないし、儚いものだから、とやかく言うに足りないよ。
そんな事はもうあれこれ考えず、超然として(高臥)自愛することだ。
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2018年10月 3日 (水)

≪漢詩鑑賞≫送別(王維)

昨日、相撲の貴乃花部屋が消滅した。
弟子は、部屋から引越しをする時に、涙を拭っていた。
貴乃花部屋の雰囲気が垣間見える。
さて・・・
この詩の題は、「送別」だが、具体的に誰かを送ったものではない。
隠遁の世界を詠っている。
即ち、世俗の薄汚れたものの対極にある。
何故か、貴乃花の引退で、この詩を思い出した。
☆……☆……☆……☆
送別  王維
下馬飲君酒  馬より下りて君に酒を飲ましむ
問君何所之  君に問う何(いずく)にか之(ゆ)く所ぞと
君言不得意  君は言う意を得ずして
歸臥南山陲  南山の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと
但去莫復問  但だ去れ復問うこと莫(な)からん
白雲無盡時  白雲尽くる時なし
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馬からおりて君に酒をついでさしあげる
ところでおたずねいたしますが、君はいったいどこへいかれるのか。
君は言う、志を得ないから
南山のほとりに隠遁してしまうつもりだと。
そうか、では行きたまえ、もうこれ以上何も聞くまい。
君の行く南山には白雲が永遠に耐えることなく浮かんでいるだろう。
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2018年9月20日 (木)

≪漢詩鑑賞≫漁翁(柳宗元)

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漁翁(ぎょおう)夜西巌(せいがん)に傍(そ)うて宿し
暁に清湘(せいしょう)に汲み楚竹を然(た)
(もや)(き)え日出てて人を見ず
あいだい一声山水緑なり
天際を廻看(かいかん)して中流を下れば
巌上無心雲相い逐(お)
漁夫のおやじは西岸の岩のもとに舟をとめて夜を過ごし
曙に、清らかな湘水(しょうすい)の水を汲み楚の竹を燃やして朝餉(あさげ)の支度をする
えいおうと舟こぐかけ声が一つ響けば、山も水も緑に染まる
はるかな水平線の彼方を振り返りつつ川の中ほどをこぎ下れば
昨夜舟を止めた岩の上のあたりに、無心の雲が互いに先になり後になりつつ流れていく

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2018年9月15日 (土)

≪漢詩鑑賞≫汾上にて秋に驚く(蘇頲)

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作者の蘇頲(そてい)は、初唐の詩人。
わずか11歳で進士に及第したという。
卓越した文才は、玄宗によって取り立てられ、官歴においてもエリート・コースを歩んだが、生活はつつましく潔白で、財産は残さなかったという。
この詩は、旅の途中秋の到来に気付き、ますます気が滅入るというもの。
汾上にて秋に驚く
北風吹白雲  北風白雲を吹く
萬里渡河汾  万里河汾を渡る
心緒逢揺落  心緒揺落に逢い
秋聲不可聞  秋声聞くべからず
北風が白い雲を吹き飛ばしてゆく
私は万里の旅路の途上にて、いま汾河(ふんが)を渡る
旅はただでさえもの悲しいもの。草木の葉が散る(揺落)のを前にして、心の糸(心緒)が震えるとき
とてもお秋のわびしい物音(秋聲)を平気で聞いてはいられない

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2018年8月20日 (月)

≪漢詩鑑賞≫旅夜書懐(杜甫)

杜甫の名作。
星垂れる・・・
月湧く・・・
このような表現は、漢詩ならではのもの。
✰・・・…☆……☆……☆
旅夜述懐(旅夜懐を書す) 杜甫
細草微風岸 細草微風の岸
危檣獨夜舟 危檣(きしょう)独夜の舟
星垂平野濶 星垂れて平野濶(ひろ)
月湧大江流 月湧いて大江(たいこう)流る
名豈文章著 名は豈(あに)文章にて著われんや
官應老病休 官は応(まさ)に老病にて休むべし
飄飄何所似 飄飄何の似たる所ぞ
天地一沙鷗 天地の一沙鷗(いちさおう)
・・・・・・・・・・・・・・・
小さな草(細草)が、かすかな風(微風)にそよいでいるこの岸辺
わたしは、帆柱が高くそびえた(危檣)船で、独り眠られぬ夜(独夜)を過ごす
星は広々とした平野(平野濶)に、低く垂れるように輝き
月影は水面にわいて、波を輝かせながら揚子江(大江)は流れる
人の名声というものは、文学などによってあらわれるものではない
そうとはいえ、官吏としての勤めも、年老いては辞めるのが当然の事なのだ
飄飄と漂泊の身はいったい何に似ているのだろうか
果てない天地の間を飛び回る一羽の砂浜のかもめのようなものだ
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2018年8月 6日 (月)

≪漢詩鑑賞≫王昭君(白楽天)

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王昭君は、漢の元帝の時の宮女で、中国四大美女の一人と称されている。
元帝は、宮廷画家に宮女たちの肖像画を描かせ、その中から気に入った者を寵愛した。
そこで、宮女たちは賄賂を贈り、美しく描かせようしたが、王昭君だけは贈らなかった。
そのため、絶世の美女でありながら醜女に描かれ、その政略結婚の犠牲として匈奴の王に嫁がせた。
別れの挨拶に進み出た王昭君を見て、元帝は大いに悔やみその後、その画家を殺したという。
この詩は、匈奴に嫁がされた、王昭君の悲しみに沈むさまを詠った白居易17歳の時の作である。
正に、早熟の天才である。
☆……☆……☆……☆
王昭君
滿面胡沙満鬢風  
面に満つる胡沙(こさ)鬢(びん)に満つる風
眉銷殘黛臉銷紅  
眉は残黛(ざんたい)銷(き)え臉(かお)は紅銷ゆ
愁苦辛勤顦顇盡  
愁苦(しゅうく)辛勤(しんぎん)して顦顇(しょうすい)し尽くれば
如今却似盡圖中  
如今(いま)ぞ却(かえ)って画図の中に似たり
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漢を離れてはるばる来たえびす(胡)の地、顔は沙漠(沙)の塵にまみれ、ほつれた鬢(顔の左右側面の髪)は風に流れる
美しい眉をえがいたうすずみ(殘黛)も、豊かなほお(臉)にさした紅も、いつしか色あせた(銷ゆ)
悲しみ(愁苦)、苦しみ(辛勤)の為、げっそりとやせ衰えて(顦顇)しまい
今の私の姿は、皮肉にもあの醜婦の肖像画そのものになってしまっている
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