日記・コラム・つぶやき

2018年2月10日 (土)

≪漢詩鑑賞≫不出門(門を出でず)菅原道真

菅原道真は、醍醐帝の退位を計画したという罪で、大宰府に左遷された。
これは、冤罪であるが、大宰府の地で三年ほどで病死した。
それ故、後世の人は、菅原道真を、畏敬の気持ちを込めて「学問の神様」と、崇めている。
大宰府での深い嘆きが伝わる詩である。
彼は無実であったものの、この詩にあるように、受けた罪を恐れ、外出もせず謹慎したのである。
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一たび謫落(たくらく)せられて柴荊(さいけい)に就きしより
万死兢兢(きょうきょう)たり跼蹐(きょくせき)の情
都府楼(とふろう)は纔(わず)かに瓦色(がしょく)を看
観音寺は只鐘声を聴く
中懐(ちゅうかい)は好し遂(お)わん孤雲の去るを
外物(がいぶつ)は相逢う満月の迎うるに
此の地身は検繁(けんけい)無しと雖も
何為(なにすれ)ぞ寸歩も門を出でて行かん
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ひとたび左遷され、配所の司馬の戸を入ってからは
我が罪は万死にあたるを思い
戦々兢々(跼天蹐地)天地の間に身の置きどころのない思いでいる。
大宰府の高楼(都府楼)は、その瓦の色を委託から望見するだけ、府庁の隣の観音寺も、ただその鐘の音を聞くのみ。
いづれも出かける事はない。
旨の思いは、ままよ、ちぎれ雲のゆくのを追う。
外物については、満月が自分を迎えるように空に出るのを見るばからである。
この地ではわが身を束縛されるわけではないが、どうして、一寸たりとも門を出ることなどしようか。
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2018年1月13日 (土)

≪漢詩鑑賞≫春日李白を憶う(杜甫)

春日李白を憶う
白也詩無敵  白也(はくや)詩敵無し
飄然思不群  飄然(ひょうぜん)として思(おもい)群せず
清新庾開府  清新は庾開府(ゆかいふ)
俊逸鮑参軍  俊逸は鮑参軍(ほうさんぐん)
渭北春天樹  渭北春天の樹
江東日暮雲  江東日暮の雲
何時一樽酒  何(いずれ)の時か一樽の酒
重輿細論文  重ねて与(とも)に細かに文を論ぜん
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李白よ、あなたは詩にかけては天下に敵がなく
その詩想は、凡俗を超越し、並はずれている
その詩の新鮮なことは、北周の庾開府のようで
詩才は、宋の鞄参軍のようです
今、私は渭水の北で、春空の樹の下で、あなたのことを思っているが
あなたは揚子江の東で、日暮れの雲に都を思っていることでしょう
いつの日か、あなたと二人で、樽の酒を酌み交わしながら
再び、いっしょにつぶさに文学について語り合えるだろうか
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杜甫35歳の作。
当時、杜甫は長安に在り、李白を思いうたった。
時に李白46歳であった。
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2018年1月 7日 (日)

70歳の今が、一番幸せだ!

今年もよろしくお願いします。
このブログは、政治と文学をテーマとしています。
某町内会の新年会で、昔話をしながらしみじみ思った。
70歳の今が、私は一番幸せである。
若い頃は、多忙な日々を送り、精神的にも緊張感が続いていたようだ。
だが、今は暇な老人である。
正月には、孫とサッカーをして遊んだ。
稲毛浅間神社に初詣にいくと、田沼隆志先生(元衆議院議員)、阿部紘一先生(県議会議員)らと会い挨拶をした。
昔、私が千葉市議会議員をやっていた時もそうだが、政治活動、特に議員活動というのは,傍で見るより大変な活動である。
それ故、その厳しい活動を続ける人は、立派である。
立派な政治家である。
町内会の新年会の話に戻る。
隣席の知人が、「昔は良かった」と話していた。
だが、私は、そうは思わまかったので、「私は、今が一番幸せだ!何故なら、今は精神的に自由に発言できるから!」と答えた。
それは、70歳の私の正直な気持ちである。
 
 
 

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2017年12月 7日 (木)

≪漢詩鑑賞≫楓橋夜泊(張継)

Kaede
月落ち烏啼いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る

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2017年10月27日 (金)

≪漢詩鑑賞≫黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る(李白)

Photo

黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

故人西辞黄鶴楼  故人西のかた黄鶴楼

烟花三月下揚州  烟火(えんか)三月揚州

孤帆遠影碧空盡  孤帆遠影碧空

唯見長江天際流  唯見長江天際るるを

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我が親友、孟浩然君は、この西の黄鶴楼に別れを告げて

春、花霞の三月に、揚州へ舟で下ってゆく

楼上から、はるか眺めると、たった一つの帆かけ舟のかすかな姿が、青い空に吸い込まれて消え

あとに残影としてただ長江の流れが天の果てへと流れて行くばかりである

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別離の悲しみと残された寂しさが、大自然のなかに吸い込まれていく、まるで

動画を見ているようだネエ

(上の写真は、漢詩とは関係なく近所の千葉公園です)

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2017年10月19日 (木)

新幹線車中で、いなり寿司と枝豆を食う外人夫婦

新幹線に乗っていると、色んな乗客がいて面白い。

それを何となく観察するのも旅の楽しみである。

京都駅で、若い背の高い北欧風の容姿をした外人夫婦が乗り込んできた。

やがて二人は、昼時なので、弁当を広げた。

弁当の中身は、(外人なのに・・・)サンドイッチではない、いなり寿司である。

外人男性が、いなり寿司をパクリと口に入れた。次に、枝豆を手に摘まんで口に入れた。

いなり寿司と枝豆、とくれば日本人の食べ物である。

にも拘らず、その外人男性は、普通に・・・いなり寿司を頬張っている。

この仕草には、違和感があって面白かった。

しばし退屈しのぎになった。

≪追記≫

その外人夫婦・・・しかし、飲み物は『エイヴィアン』だった。

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2017年10月 6日 (金)

≪漢詩鑑賞≫十五夜月を望む(王建)

作者の王建は、中唐の詩人。

楽府・歌行に優れていて、宮中の女性の心情・生活をうたった詩、すなわち一時の流行(歌)をリードしていた。

この詩は満月の夜景の美しさを歌いながら、友を懐かしむ詩である。

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十五夜月を望む

中庭地白樹棲鴉  中庭(ちゅうてい)地白うして樹に鴉(からす)棲み

冷露無聲濕桂花  冷露(れいろ)声無く桂花(けいか)を湿おす

今夜月明人盡望  今夜月明(げつめい)人尽く望むも

不知秋思在誰家  知らず秋思(しゅうし)の誰が家にか在る

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2017年9月13日 (水)

未だ覚めず池塘春草の夢

最近、眠りが浅いせいか、若い頃の夢を見る。

その大半が、テストの成績が赤点で、焦っている自分がいて、そのうち目覚めて、ホッとしている。

若いころは、チャレンジ精神も旺盛だが、その分失敗も多い。

未だ、若い頃の余韻が残っているようだ。

今では三児のパパである私の息子も、同じ夢を見るというから、そういうズボラな性格は受け継いでいると互いに笑った。

勉強もせず、遊んでばかりいたからテストの成績は悪いと、お互いに言い訳をしている。

そんな時、朱熹の漢詩を思い出す。

少年老い易く学成り難し  一寸の光陰軽んず可からず

未だ覚めず池塘春草の夢  階前の梧葉已に秋声

この漢詩を、孫が小学校に上るとき、ランドセルの中に入れて贈った。

今は小学校3年生。

成長の速さには驚くが、それは自分の老いを感じる時だ。

この爺は、未だ覚めず池塘春草の夢のままであるが、すでに世の中は階前の梧葉已に秋声などである。

そんな爺でも、我が日本国の繁栄を願っている。

頑張れ!日本!

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2017年9月 1日 (金)

新幹線の中で、ひとり・・・『賀川豊彦』を読む小学生

先日、新幹線で東京へ向かう途中のことである。

新大阪で、利口そうな顔をした小学生が、自由席車両に乗り込んできた。

少年は、私の孫の隼弥君(少3)に、顔立ちがよく似ていた。

小学生、それも一人旅ということもあって、私は、少し気になって横目でチラチラ見ていた。

すると、少年は、地味な表紙をした(活字ばかりの)本をナップサックから出して、熱心に読み始めた。

すぐ隣には、中高年の女性が二人座って、おしゃべりをしていたが、まるで周囲を気にせず読書を続けていた。

その姿は、背筋がピンと伸びている。

両手で本を持つ姿は、「偉人の少年時代」を思わせるような雰囲気である。

夏休みの終わりに、読書感想文でも書くためだろうか?

少年は、時々ペットボトルのお茶を飲む以外は、3時間くらい、姿勢を正して読書に集中していた。

私は、少年が何を読んでいるか気になった。

それで、新横浜を過ぎたあたりで、少年がトイレに立った間に、その本を覗いてみた。

タイトルは、『賀川豊彦』とあった。

読書感想文のために読んでいるとしたら、その「感想文」を是非読んでみたい。

それにしても、『賀川豊彦』を自ら選んで読んでいるとしたら凄いことだと思う。

新幹線の中で、ひとり・・・『賀川豊彦』を読む小学生は、何を思い、将来どんな大人になるのか?

私は、色んなことを想像した。

私は、将来の「偉人の少年時代」に、出逢ったのかも知れない!

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2017年8月24日 (木)

≪漢詩鑑賞≫月下獨酌(李白)

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飲酒三大詩人と言えば、陶淵明、李白、白居易が挙げられる。

月と自分と自分の影の三人が酒を飲んでさまよう様を、コミカルに表現した。

実に、詩仙・李白に相応しい傑作である。

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月下獨酌

花間(かかん)一壺(こ)の酒

独り酌んで相親しむ無し

杯を挙げて明月を邀(むか)

影に対して三人と成る

月既に飲を解せず

影徒(いたず)らに我が身に随う

(しばら)く月と影とを伴いて

行楽須らく春に及ぶべし

我歌えば月徘徊し

我舞えば影凌乱す

醒時は同(とも)に交歓し

酔後は各分散す

永く無情の遊を結び

相期して雲漢邀(はるか)なり

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