日記・コラム・つぶやき

2018年4月16日 (月)

≪漢詩鑑賞≫虞美人草(曹鞏)

紀元前210年、始皇帝の死後、各地で蜂起した。
やがて勢力は、項羽と劉邦の二大勢力に集約された。
咸陽に入った劉邦を追って、項羽は鴻門に陣した。
圧倒的優勢を誇る項羽の前に、劉邦は参謀の趙良を残して脱出する。
項羽の智臣、范増は、玉斗を投げて嘆く。
それから4年、形勢は逆転する。
追われる項羽は、四面楚歌の中、虞姫と自作の詩を歌い合った。
最後は、従者百人余で、もはやこれまでと観念した項羽は自害し、虞姫の後を追うのである。
この詩は、詠史詩であるため、背景を知って鑑賞すると、尚更、栄枯盛衰、悠久の歴史が感じられる。
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虞美人草 (作者:曹鞏そうきょう・北宋)
鴻門の玉斗粉(ふん)として雪の如し
十万の降兵(こうへい)夜血を流す
咸陽(かんよう)の宮殿三月紅なり
覇業已に煙燼(えんじん)に随いて滅ぶ
剛強なるは必ず死し仁義なるは王たり
陰陵(いんりょう)に道を失いしは天の亡ぼせるに非ず
英雄本学ぶ万人の敵
何ぞ用いん屑屑(せつせつ)として紅粧(こうしょう)を悲しむを
三軍散じ尽きて旌旗(せいき)倒れ
玉帳(ぎょくちょう)の佳人座中に老ゆ
香魂(こうこん)夜剣光を遂いて飛び
青血(せいけつ)化して原上の草となる
芳心寂寞寒枝に寄る
旧曲聞こえ来たりて眉を斂むるに似たり
哀怨徘徊愁えて語らず
恰(あたか)も初めて楚歌を聴ける時の如し
滔滔(とうとう)たる逝水近古に流る
漢楚の興亡両(ふた)つながら丘土(きゅうど)
当年の遺事久しく空と成る
樽前に慷概(こうがい)して誰が為にか舞わん
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2018年4月 3日 (火)

≪漢詩鑑賞≫杜甫の代表的な絶句

五言絶句は、漢詩の定型詩の中では最も短い詩である。
それ故、「起承転結」の構成法が多い。
絶句と云えば李白、律詩と云えば杜甫が有名だが、ここでは杜甫の五言絶句を鑑賞したい。
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江碧にして鳥逾(いよいよ)白く
山青くして花燃えんと欲す
今春看(みすみす)又過ぐ
何れのに日か是れ帰年ならん
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青く澄む川、白い水鳥
青々とした山、真っ赤な花
見る間に春が過ぎていく
故郷へ帰れるのはいつだろう
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2018年3月24日 (土)

≪漢詩鑑賞≫烏江亭に題す(杜牧)

垓下の戦いで、漢の劉邦と戦って敗れた楚の項羽が、壮絶な最期を遂げた渡し場。
それが、烏江亭である。
歴史の事実を、もし・・・あの時こうだったらという空想を楽しむことがある。
戦いの勝敗は、ちょっとした偶然の積み重ねで起こることが多い。
烏江の亭長は、長江を渡って再起を計る事を勧める。
しかし、項羽は、征西の時に連れて来た江東の子弟八千人をすべて戦死させた。
父兄に合わせる顔がない、と言って自刃した。
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烏江亭に題す (杜牧)
勝敗兵家事不期  勝敗は兵家も事期せず
包羞忍恥是男子  羞を包み恥を忍ぶは是れ男子
江東子弟多才俊  江東の子弟才俊多し
捲土重来未可知  捲土重来未だ知るべからず
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戦の勝敗の行方は、戦略家(孫子の兵法)でさえも、予測がつかない。
恥を忍び、肩身の狭い思いに耐え、再起を計ってこそ真の男子と言えよう。
項羽の本拠地である江東の若者たちには、すぐれた人物が多いというから、
もし江東の地に力をたくわえて、地面を巻き上げるような勢いで、再び攻め上ったら(捲土重来)、その結果はどうなっていたかわからない。
 

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2018年3月 6日 (火)

≪漢詩鑑賞≫七哀の詩(王粲)

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西京(せいけい)乱れて象(みち)無く
豺虎(さいこ)(まさ)に患(わざわい)を遘(な)
復た中国を棄てて去り
身を遠ざけて荊蛮(けいばん)に適(ゆ)
親戚我に対いて悲しみ
朋友相追いてすがる
門を出づれども見る所無く
白骨平原を蔽(おお)
路に飢えたる婦人有り
子を抱いて草間に棄つ
(かえり)みて号泣の声を聞くも
(なみだ)を揮(ふる)って独り還らず
未だ身の死する処を知らず
何ぞ能く両(ふたり)ながら相完(まった)からんと
馬を駆(か)って之を棄てて去る
此の言を聴くに忍びざればなり
南のかた覇陵(はりょう)の岸に登り
首を廻らして長安を望む
悟る彼の下泉の人を
喟然(きぜん)として心肝を痛ましむ

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2018年2月10日 (土)

≪漢詩鑑賞≫不出門(門を出でず)菅原道真

菅原道真は、醍醐帝の退位を計画したという罪で、大宰府に左遷された。
これは、冤罪であるが、大宰府の地で三年ほどで病死した。
それ故、後世の人は、菅原道真を、畏敬の気持ちを込めて「学問の神様」と、崇めている。
大宰府での深い嘆きが伝わる詩である。
彼は無実であったものの、この詩にあるように、受けた罪を恐れ、外出もせず謹慎したのである。
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一たび謫落(たくらく)せられて柴荊(さいけい)に就きしより
万死兢兢(きょうきょう)たり跼蹐(きょくせき)の情
都府楼(とふろう)は纔(わず)かに瓦色(がしょく)を看
観音寺は只鐘声を聴く
中懐(ちゅうかい)は好し遂(お)わん孤雲の去るを
外物(がいぶつ)は相逢う満月の迎うるに
此の地身は検繁(けんけい)無しと雖も
何為(なにすれ)ぞ寸歩も門を出でて行かん
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ひとたび左遷され、配所の司馬の戸を入ってからは
我が罪は万死にあたるを思い
戦々兢々(跼天蹐地)天地の間に身の置きどころのない思いでいる。
大宰府の高楼(都府楼)は、その瓦の色を委託から望見するだけ、府庁の隣の観音寺も、ただその鐘の音を聞くのみ。
いづれも出かける事はない。
旨の思いは、ままよ、ちぎれ雲のゆくのを追う。
外物については、満月が自分を迎えるように空に出るのを見るばからである。
この地ではわが身を束縛されるわけではないが、どうして、一寸たりとも門を出ることなどしようか。
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2018年1月13日 (土)

≪漢詩鑑賞≫春日李白を憶う(杜甫)

春日李白を憶う
白也詩無敵  白也(はくや)詩敵無し
飄然思不群  飄然(ひょうぜん)として思(おもい)群せず
清新庾開府  清新は庾開府(ゆかいふ)
俊逸鮑参軍  俊逸は鮑参軍(ほうさんぐん)
渭北春天樹  渭北春天の樹
江東日暮雲  江東日暮の雲
何時一樽酒  何(いずれ)の時か一樽の酒
重輿細論文  重ねて与(とも)に細かに文を論ぜん
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李白よ、あなたは詩にかけては天下に敵がなく
その詩想は、凡俗を超越し、並はずれている
その詩の新鮮なことは、北周の庾開府のようで
詩才は、宋の鞄参軍のようです
今、私は渭水の北で、春空の樹の下で、あなたのことを思っているが
あなたは揚子江の東で、日暮れの雲に都を思っていることでしょう
いつの日か、あなたと二人で、樽の酒を酌み交わしながら
再び、いっしょにつぶさに文学について語り合えるだろうか
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杜甫35歳の作。
当時、杜甫は長安に在り、李白を思いうたった。
時に李白46歳であった。
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2018年1月 7日 (日)

70歳の今が、一番幸せだ!

今年もよろしくお願いします。
このブログは、政治と文学をテーマとしています。
某町内会の新年会で、昔話をしながらしみじみ思った。
70歳の今が、私は一番幸せである。
若い頃は、多忙な日々を送り、精神的にも緊張感が続いていたようだ。
だが、今は暇な老人である。
正月には、孫とサッカーをして遊んだ。
稲毛浅間神社に初詣にいくと、田沼隆志先生(元衆議院議員)、阿部紘一先生(県議会議員)らと会い挨拶をした。
昔、私が千葉市議会議員をやっていた時もそうだが、政治活動、特に議員活動というのは,傍で見るより大変な活動である。
それ故、その厳しい活動を続ける人は、立派である。
立派な政治家である。
町内会の新年会の話に戻る。
隣席の知人が、「昔は良かった」と話していた。
だが、私は、そうは思わまかったので、「私は、今が一番幸せだ!何故なら、今は精神的に自由に発言できるから!」と答えた。
それは、70歳の私の正直な気持ちである。
 
 
 

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2017年12月 7日 (木)

≪漢詩鑑賞≫楓橋夜泊(張継)

Kaede
月落ち烏啼いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る

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2017年10月27日 (金)

≪漢詩鑑賞≫黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る(李白)

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黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

故人西辞黄鶴楼  故人西のかた黄鶴楼

烟花三月下揚州  烟火(えんか)三月揚州

孤帆遠影碧空盡  孤帆遠影碧空

唯見長江天際流  唯見長江天際るるを

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我が親友、孟浩然君は、この西の黄鶴楼に別れを告げて

春、花霞の三月に、揚州へ舟で下ってゆく

楼上から、はるか眺めると、たった一つの帆かけ舟のかすかな姿が、青い空に吸い込まれて消え

あとに残影としてただ長江の流れが天の果てへと流れて行くばかりである

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別離の悲しみと残された寂しさが、大自然のなかに吸い込まれていく、まるで

動画を見ているようだネエ

(上の写真は、漢詩とは関係なく近所の千葉公園です)

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2017年10月19日 (木)

新幹線車中で、いなり寿司と枝豆を食う外人夫婦

新幹線に乗っていると、色んな乗客がいて面白い。

それを何となく観察するのも旅の楽しみである。

京都駅で、若い背の高い北欧風の容姿をした外人夫婦が乗り込んできた。

やがて二人は、昼時なので、弁当を広げた。

弁当の中身は、(外人なのに・・・)サンドイッチではない、いなり寿司である。

外人男性が、いなり寿司をパクリと口に入れた。次に、枝豆を手に摘まんで口に入れた。

いなり寿司と枝豆、とくれば日本人の食べ物である。

にも拘らず、その外人男性は、普通に・・・いなり寿司を頬張っている。

この仕草には、違和感があって面白かった。

しばし退屈しのぎになった。

≪追記≫

その外人夫婦・・・しかし、飲み物は『エイヴィアン』だった。

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