日記・コラム・つぶやき

2017年3月27日 (月)

≪漢詩鑑賞≫『曲江』(杜甫)人生七十古来稀なり

この詩は、杜甫49歳の作品である。

「どうせ70歳(古稀)まで生きられないのだから、酒でも飲もう」

・・・と、杜甫が心を癒やすように詠った。

但し、杜甫自身は古稀を迎えられず59歳で生涯を終えている。

小生は、今年70歳(古稀)を迎えている。

・・・随分長く人生を送ってしまった。

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曲江

朝囘日日典春衣  朝より回(かえ)りて日日春衣を典(てん)

毎日江頭盡酔帰  毎日江頭に酔を尽して帰る

酒債尋常行處有  酒債(しゅさい)は尋常行く処に有り

人生七十古来稀  人生七十古来稀なり

穿花蛺蝶深深見  花を穿つの蛺蝶(きょうちょう)深深として見え

點水蜻蜓款款飛  水に点ずるの蜻蜓(せいてい)款款として飛ぶ

傳語風光共流轉  伝語(でんご)す風光共に流転して

暫時相賞莫相違  暫時(さんじ)相賞して相違うこと莫れと

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朝囘  朝廷より下がる

典  質入れする

江頭  曲江のほとり

酒債  酒代の借金

尋常  平常、普段

穿花  花の間に入り込む

蛺蝶  あげはちょう

點水  水に尾をつける

蜻蜓  とんぼ

款款  ゆるやかな

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2017年3月12日 (日)

『教育勅語』をどう読むべきか?(続)

先ずは言いたいことは、この議論(教育勅語に対する賛否)をする前に、『教育勅語』を読んでいただきたい。

『教育勅語』を一度も読まずして、賛成も反対もない。

それは・・・不毛な議論である。

難解だというならば、口語訳も出版されているので、それを読むとよい。

普通の(日本語に対する)理解力があれば、理解できる内容である。

だが、メデイアでは、『教育勅語』を全否定する議論が多く、一部でも肯定する議論は、殆ど紹介されない。

今も、TBS番組で、デーブ・スペクターが「時代遅れ」などと発言している。

問答無用の議論である。

先日、寺脇某元文部官僚が、TV出演して喋っていた。

『教育勅語』は、戦前の軍国主義教育を否定し、平和憲法の下、教育基本法が制定されて、『教育勅語』は学校教育(道徳教育)で「廃止となった」と、述べていた。

『教育勅語』が軍国主義であるというのは、一度でも読めばわかる事だが、間違いである。

国防の精神と、軍国主義は異なる。

昭和20年8月、我が国は敗戦となり数年間は占領下で、日本古来の文化伝統、例えば・・・神社・家族関係・剣道などが否定された。

その一つが、『教育勅語』であった。

だが、寺脇氏をはじめとする否定派の議論は、概ね次の通り。

①法律上「廃止になった」から、『教育勅語』、は禁止となった。

②『勅語』(天皇のお言葉)は、(国民主権を理念とする)現憲法に違反する。

③「愛国心」が、「軍国主義」を助長させた。

という内容である。

だが、それは『教育勅語』の中味(日本人の道徳観~12の徳目)に関する事ではない。要するに、『教育勅語』を読んではならない文書(?)として封印するのと等しい。

的外れな、暴論である。

今の憲法は、基本的人権、国民主権、平和主義と理念としていて、私はそれは賛成だ。

だが、古いものが全て、「時代遅れ」ではない。

歴史を謙虚に俯瞰べきである。

温故知新というように、ここに、『古典』を学ぶ意味がある。

『教育勅語』もまた、『論語』と同じく『古典』と言える。

そうであるならば、『教育勅語』を、学校教育で<教材>として採用すべきである。

特に高校教育において、『古典教材』、『歴史史料』として学ぶべきである。

兎も角、内容を読んでから議論すべきではないか!!

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2017年3月 1日 (水)

≪漢詩鑑賞≫黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

李白の名作・七言に絶句の一つである。

この詩は、別離の寂しさを表現したにとどまらない。

親友孟浩然が、雄大な長江を下っていく情景が、それを消えるまで見送っている李白の気持ちが、ゆっくりとした動画の様に描かれている。

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黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

故人西辞黄鶴楼  故人西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し

烟花三月下揚州  烟花(えんか)三月揚州に下る

孤帆遠影碧空盡  孤帆(こはん)の遠影碧空(へきくう)に尽き

唯見長江天際流  唯見る長江の天際(てんさい)に流るるを

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我が親友(故人=古馴染みの友人),孟浩然君は、この西の黄鶴楼に別れを告げて(辞し)

春、花霞(烟花)の三月に揚州へ舟で下っていく

楼上から眺めると、たった一つの帆かけ舟(孤帆)のかすかな姿(遠影)が、青い空(碧空)に吸い込まれて消え(尽き)

あとにはただ長江の流れが天の果て(天際)へと流れてゆくばかりである(唯見る)

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2017年2月23日 (木)

≪漢詩鑑賞≫春夜(蘇軾)

蘇軾は、北宋を代表する詩人(1037~1101)である。

名作が多く、漢詩鑑賞としても味わい深い。

蘇軾は、私の中では、漢詩文学の中でも一流の大詩人と言える。

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春夜(しゅんや)

春宵一刻直千金  春宵(しゅんしょう)一刻直(あたい)千金

花有清香月有陰  花に清香有り月に陰有り

歌管樓臺聲細細  歌管(かかん)楼台(ろうだい)声細細(さいさい)

鞦韆院落夜沈沈  鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈(ちんちん)

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春の夜(春宵)は、ひとときが千金にもあたいする

花には清らかな香りがただよい、月はおぼろにかすんでいる

たかどの(楼台)の歌声や管弦の音は、先ほどまでのにぎわいも終わり、今はかぼそく聞こえるだけ(細細)

人気のない中庭(院落)にはひっそりとぶらんこ(鞦韆)がぶら下がり、夜は静かにふけていく(沈沈)

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2017年2月 7日 (火)

≪漢詩鑑賞≫園田の居に帰る(陶淵明)

作者の陶潜(字は淵明)は、役人生活に希望を失い41歳の時、田園に帰った。その後死ぬまでの20年間、隠遁詩人として活躍する。

この詩は、その時の心情を、田園風景と共に表現している。

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園田の居に帰る  陶淵明

少無適俗韻  少にして俗に適する韻無く

性本愛邱山  性(せい)本邱山(きゅうざん)を愛す

誤落塵網中  誤って塵網(じんもう)の中に落ち

一去十三年  一去十三年

覊鳥戀舊林  覊鳥(きちょう)は旧林を恋い

池魚思故淵  池魚(ちぎょ)は故淵を思う

開荒南野際  荒を南野の際に開き

守拙歸園田  拙(せつ)を守って園田に帰る

方宅十餘畝  方宅十余畝

草屋八九間  草屋(そうおく)八九間

楡柳蔭後簷  楡柳(ゆりゅう)後簷(こうえん)を蔭(おお)

桃李羅堂前  桃李堂前に羅(つらな)

曖曖遠人村  曖曖(あいあい)たり遠人の村

依依墟里煙  依依(いい)たり墟里の煙

狗吠深巷中  狗(いぬ)は深巷(しんこう)の中に吠え

鶏鳴桑樹顚  鶏(にわとり)は桑樹の顚(いただき)に鳴く

戸庭無塵雑  戸庭に塵雑無く

虚室有餘閑  虚室に余閑有り

久在樊籠裏  久しく樊籠(はんろう)の裏(うち)に在って

復得返自然  復自然に帰るを得たり

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2017年1月25日 (水)

≪漢詩鑑賞≫涼州詞(王翰)

涼州詞  王翰

葡萄美酒夜光杯  葡萄の美酒夜光の杯

欲飲琵琶馬上催  飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す

酔臥沙場君莫笑  酔うて沙場に臥すとも君笑うこと莫かれ

古来征戦幾人囘  古来征戦幾人か回る

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秦中花鳥已應闌  秦中の花鳥已にまさに闌なるべし

塞外風沙猶自寒  塞外の風沙猶自から寒し

夜聴胡笳折楊柳  夜に胡笳の折楊柳を聴けば

教人意気憶長安  人の意気をして長安を憶わしむ

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2017年1月12日 (木)

≪漢詩鑑賞≫蜀相(杜甫)、七言律詩

杜甫49歳の作。

放浪旅の途中だった杜甫は、成都に来て、郊外に草堂を建てて住んでいた。

この詩は、春の一日、諸葛孔明(蜀の丞相)の廟に参拝し、往時を懐かしんで詠ったものである。

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蜀相

丞相(じょうしょう)の祠堂(しどう)何れの処におか尋ねん

 蜀の丞相諸葛孔明を祭ったお堂はどこに尋ねたらよいだろうか

錦官(きんかん)城外柏森森たり

 成都城外の柏の木々がこんもりと茂っているところがそれだ

(かい)に映ずる碧草(へきそう)自から春色

 祠堂の階段にみどり色を映じている草は春がくれば春のよそおいをこらす

葉を隔つる黄鸝(こうり)空しく好音(こういたずねあん)

 葉陰で鳴くうぐいすは、空しく美しい声でさえずるばかり

三顧頻繁なり天下の計

 昔、劉備は三度もひんぱんに孔明を尋ねて、天下を治める策をたずねた

両朝開済(かいさい)す老臣の心

 孔明はこれに心を動かされて、劉備、劉禅の二代にわたって仕え、創業、守成して老臣のまことを尽くした

出師(すいし)未だ捷(か)たざるに身は先ず死し

 しかし、魏討伐軍を出して、まだ戦いに勝たないうちに、その身は先に死んでしまい

(とこしえ)に英雄をして涙襟に満たしむ

 とこしえに後世の英雄たちの襟を、苦痛の涙でぬらすのである

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2017年1月 2日 (月)

天皇陛下のお言葉と箱根大学駅伝

孫たちとは、昨日昼食後バイバイし、残るは老夫婦だけだ。

今朝からテレビを観ている。

正月の楽しみは、天皇陛下の新年のお言葉、と箱根学生駅伝を観る事。

陛下の穏やかなお姿を拝見すると、日本の正月を感じる。

孫たちは、沿道で応援の為、鶴見中継所付近に行っている筈だ。

学生たちが、タスキをかけて懸命に走る姿、諦めない姿は、実に清々しく感動する。

天皇陛下のお言葉と箱根学生駅伝は、美しい日本の正月の風物詩である。

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2016年12月31日 (土)

≪漢詩鑑賞≫除夜の作(高適)

今年も、いよいよ大晦日を迎える。

家族と共に、新年を迎える事に感謝している。

大晦日の夜に相応しい漢詩である。

作者の高適(こうせき)の盛唐の詩人。

若い時は、気ままで正業に就かず、任侠をこととしてしていたが、「年五十にして始めて詩をつくる」ことを学び名声を揚げたという。

『除夜の作』は、旅先で大晦日を迎え、眠れぬままに旅愁を歌った作品である。

夜が明けると、白髪の老いの身に、また一つ年をとるのだ。

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除夜作  高適 (七言絶句)

旅館寒燈獨不眠  旅館の寒灯独り眠らず

客心何事轉凄然  客心(かくしん)何事ぞ転(うた)た凄然(せいぜん)たる

故郷今夜思千里  故郷今夜千里を思う

霜鬢明朝又一年  霜鬢(そうびん)明朝又一年

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・客心  旅人の心。思い。

・轉  いよいよ。ますます。

・凄然  ものさびしいこと。

・霜鬢  白髪。

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2016年12月28日 (水)

≪漢詩鑑賞≫飲酒(陶淵明)

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今年も残り僅かの日々となりました。

≪大窪由郎のブログ≫に、訪問頂き有難うございます。

来年もよろしくお願いします。

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廬(いおり)を結んで人境に在り

而も車馬の喧(かまびす)しきなし

自分は隠者の暮らしをしていて、粗末な家を人里の中に構えている。人里に住んでいれば、車や馬の往来がやかましいはずだが、やかましくないのである。

君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと

心遠ければ地自ら偏(へん)なり

君に聞くが、なんでそんなことができるのか?心が人里から遠ければ(心が俗世間から遠ければ)地は自然とへんぴになるからだ。

菊を東籬(とうり)の下に采(と)り

悠然として南山を見る

折しも晩秋の季節で、ちょうど菊の花が咲いている。その菊の花を東の籬(まがき)のもとでとり、悠然として南の山(廬山)を見る。

山気(さんき)日夕(にっせき)に佳く

飛鳥(ひちょう)相与(とも)に還る

山の方では、夕暮れの霞がたなびいており、その霞の中に吸い込まれるように、鳥が連れ立ってねぐらへ帰っていく。

此の中に真意あり

弁ぜんと欲すれば已に言を忘る

このなにげない情景、この中にこそ人生の真意がある。この真意とは何ぞやなどと、説明しようとすると、途端に説明すべき言葉を忘れてしまう。

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