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2019年11月19日 (火)

≪読後感≫『こころ』(夏目漱石)

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(10月21日、比叡山にて鐘を突く)

元来、本を読むのが遅い私だが、『こころ』は難解な文がほとんど無く、大衆演劇でも見るような気分で、一週間程度で読んでしまった。

私にすれば、稀に見る速読である。

小説の展開も簡明であったため、因果と云うべきか繋がりが、ボンクラ頭にも理解できた。

特に後半は、「先生」の手紙の内容以降については、自分でも驚くほどの集中力で、読み進んだ。

話の展開のスピードよりも、自分の想像力の方が一歩先に行く気さえした。

例えば、次の文である。

彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してしてみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。

・・・私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言いました。

『こころ』の前に読んだ、『坊っちゃん』も話の展開が早く、テンポよく進む。

だが、『こころ』は、その上、因果が、多角形でありながら明確でもある。

江藤淳は、解説で次の様に述べている。

『こころ』の透明な文体は、漱石の作家的生涯の晩秋を彩るのにふさわしい。

「透明な文体」という言葉には、成程と思った。

文学者・江藤淳は、こんな風に「透明」という言葉を使うのかとも感心した。

読んでいて、確かに晩秋を感じていた。

何か分からないが、悲しいのである。得体の知れない悲しさだが、心地よいのである。

小説『こころ』に私自身の心が、悲しく共鳴するのを感じていた。

江藤淳は、次の様にも述べている。

漱石の作品のなかには、鷗外の作品にはたえて感じられない優しさのみなぎっている箇所がある。

・・・漱石はたしかに恐しく孤独な人間であったが、彼の作品世界はかならずしも人を孤独にはしないのである。

何というか、文学の力とも云うべきか・‥。

「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言ったあと、暫く「私は鉛のような飯を食いました」とあるが、Kが自殺してしまうのだが、その負い目を感じながら、「先生」の「告白」が続く。

苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤いを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。

・・・私のKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横切り始めたからです。

小説には、幾つかの伏線がある。例えば・・・

とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ。

・・・雑司ヶ谷にある誰だが分からない人の墓、-これも私の記憶に時々動いた。

・・・奥さんはそこで口籠った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょうど奥さんの胸を襲ったらしかった。

「先生の手紙」は、次の様に結論付けられている。

この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世には居ないでしょうで。とくに死んでいるでしょう

 

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