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2019年11月

2019年11月22日 (金)

あっぱれ一茂、玉川徹(テレ朝)を論破!

◆今朝(テレ朝)の一茂さん

我々の年代では、<一茂>と言えば、ミスター長嶋茂雄の長男というイメージである。

つまり、「野球バカ」、あるいは「格闘家」のイメージで、体育会系のイメージが強い。

最近は、タレント(?)としてテレビ出演もで多い。

一茂さんは、政治的な発言は控えていたようだが、今朝の『羽鳥モーニングショー』(テレ朝)は少し趣が違っている。

◆GSOMIA脱退のテーマ

テーマは、韓国のGSOMIA脱退の期限が迫っている、その話題だった。

GSOMIA脱退は、時間の問題というのは誰の目にも明らかである。

玉川徹氏は、日韓双方に「最後の努力」「対話」を期待しているようだ。

(韓国と同じように、土壇場でのアリバイ作りの発言である)

そうしなければ、日韓双方に悪影響がある)かのような発言である。

◆一茂さん、猛然と発言

つまり、「日韓双方に感情的になっている」と、「評論家風」に述べていた。

一方、一茂さんは、猛然と「政治的発言」をしていた。

その一つ一つが、純粋且つ、健全な感情の発露である。私は、共感した。

通常、出演者は、番組の意図に沿って「発言」するものだが、一茂さんは「勇気」がある。

◆嫌いだ!

「GSOMIA脱退の理由に、(韓国が)日本の輸出規制措置を挙げているが、関係ない。

ちゃんちゃらオカシイ」「韓国の文大統領は、反日政策しかやっていない!」

ズバリその通りである。

さらに、一茂さんは、ホンネを言った。

「ハッキリ言って、文大統領も、(韓国の)国会議長も、嫌いだ!」「来年の選挙で、負ければよい!」

◆純粋且つ、健全な感情が「空理空論」を制する

と、その直後、指名された評論家の吉永みち子氏は、一茂さんの正論に、口籠って意味不明の発言である。

玉川氏は、日韓共に「感情的だ」と、冷静さの「顔」を作っていた。

テレ朝社員の玉川徹氏は、「お互いに」といういつものロジックを使って、お茶を濁した。

一茂さんは、「日本は絶対妥協してはいけない!」「安倍さん、頑張ってください!」と「発言」をした。

玉川徹・吉永みち子を完膚なきまでに論破した。

感情、つまり、純粋且つ、健全な感情によって、「空理空論」の玉川・吉永を、圧倒したのである。

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2019年11月19日 (火)

≪読後感≫『こころ』(夏目漱石)

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(10月21日、比叡山にて鐘を突く)

元来、本を読むのが遅い私だが、『こころ』は難解な文がほとんど無く、大衆演劇でも見るような気分で、一週間程度で読んでしまった。

私にすれば、稀に見る速読である。

小説の展開も簡明であったため、因果と云うべきか繋がりが、ボンクラ頭にも理解できた。

特に後半は、「先生」の手紙の内容以降については、自分でも驚くほどの集中力で、読み進んだ。

話の展開のスピードよりも、自分の想像力の方が一歩先に行く気さえした。

例えば、次の文である。

彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してしてみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。

・・・私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言いました。

『こころ』の前に読んだ、『坊っちゃん』も話の展開が早く、テンポよく進む。

だが、『こころ』は、その上、因果が、多角形でありながら明確でもある。

江藤淳は、解説で次の様に述べている。

『こころ』の透明な文体は、漱石の作家的生涯の晩秋を彩るのにふさわしい。

「透明な文体」という言葉には、成程と思った。

文学者・江藤淳は、こんな風に「透明」という言葉を使うのかとも感心した。

読んでいて、確かに晩秋を感じていた。

何か分からないが、悲しいのである。得体の知れない悲しさだが、心地よいのである。

小説『こころ』に私自身の心が、悲しく共鳴するのを感じていた。

江藤淳は、次の様にも述べている。

漱石の作品のなかには、鷗外の作品にはたえて感じられない優しさのみなぎっている箇所がある。

・・・漱石はたしかに恐しく孤独な人間であったが、彼の作品世界はかならずしも人を孤独にはしないのである。

何というか、文学の力とも云うべきか・‥。

「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言ったあと、暫く「私は鉛のような飯を食いました」とあるが、Kが自殺してしまうのだが、その負い目を感じながら、「先生」の「告白」が続く。

苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤いを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。

・・・私のKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横切り始めたからです。

小説には、幾つかの伏線がある。例えば・・・

とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ。

・・・雑司ヶ谷にある誰だが分からない人の墓、-これも私の記憶に時々動いた。

・・・奥さんはそこで口籠った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょうど奥さんの胸を襲ったらしかった。

「先生の手紙」は、次の様に結論付けられている。

この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世には居ないでしょうで。とくに死んでいるでしょう

 

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2019年11月15日 (金)

言葉のチカラ

◆言葉が見当たらない

最近の国内政治ニュースだが、

「桜を見る会」への安倍後援会の大量招待枠の問題がある。

その他は「台風時」の森田千葉県知事の「(別宅)視察」問題・・・。

どちらも違法性の問題ではない。

敢えて言うなら政治家の「資質」の問題である。

と自称ジャーナリストが解説する。

どちらもワイドショー番組としては面白いのだろう。

野党は、「桜を見る会」については「第二のモリカケ」を狙っているのかもしれない。

また検察ごっこが始まるのか。

政治家にとって、一番恐ろしいのは、政敵ではない。

家族と秘書とマスコミである。というのが定説である。

つまり、安倍総理の昭恵夫人のように、政治家本人を追い詰めることもある。

某大臣のように秘書が、政治家本人を裏切ることだってある。

私は失望する。

謀略は有るが、そこには言葉がない。

政治の葛藤に「言葉が見当たらない」のである。

◆言葉のチカラ

本題に入るが、数年前、こんなコピーが朝日新聞から宣伝された事がある。

言葉は

感情的で

残酷で

ときに無力だ。

それでも

私たちは信じている

言葉のチカラを。

ジャーナリスト宣言。

朝日新聞

・・・・・・・・・・

恐らくプロのキャッチコピーだろう。

だが、何の感動もない。理由は簡単だ。

朝日新聞の広告だからである。

次の文章を読めば、恐らく説明は不要だろう。

◆言葉の力 (大岡信)

人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。

しかし、私たちの用いる言葉のどれをとってみても、単独でそれだけで美しいと決まっている言葉、正しい言葉はない。

ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。

それは言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに、背負ってしまうところにあるからである。

人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映しまうからである。

(以下略)

中学校『国語2』(光村図書出版)より抜粋

最近の国会論戦を見れば、「言葉狩り」はあるが「言論戦」はない。

だから、失望しているのである。

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2019年11月10日 (日)

政治は時折、変竹林な事が起こる

◆時季外れのエイプリル・フール?

何処かのニュースで知ったのだが・・・。

元総理大臣の鳩山由紀夫氏が、新党を立ち上げるという話だ。

フェイク・ニュースというよりは、時季外れのエイプリル・フールか?と思いきや違う。

当の本人は大真面目のようだ。

相変らずの宇宙人である。

◆資金だけは潤沢

しかし、困ったことに、この人、親の遺産で資金は潤沢だ。

民主党政権(鳩山由紀夫内閣)が誕生したのも、この人の資金力が貢献した。

今となって見れば、信じられない事である。

だから今回も、お金だけ目当てに、参加する輩もいるだろう。

これはニュースというよりは、珍事であろう。

◆小沢一郎という珍事

政治は時折、変竹林な事が起こる。

もう一つは、小沢一郎氏が、今でも現役の衆議院議員であること。

地元岩手県の有権者が、浮気することなく「小沢一郎先生」を選んでいるのだが、傍からみれば珍事である。

小沢一郎氏と言えば、数は力を信奉し、共産党とさえ手を組む反日政治家である。

その昔、政治とカネの問題で、最終的には無罪を勝ち取った。一方、秘書が有罪となった。

◆政治家の秘書とは

此処で考えさせられるのは、秘書の『心構え』である。

前大臣菅原一秀氏の秘書は、「マスコミに垂れ込んだ」というから、完全に「菅原代議士」を裏切り、狙い撃ちにした。

ところが、小沢一郎の秘書は、最後まで「黙秘」を貫き小沢先生を守り通した。

要するに、口が堅いという(秘書としての)美徳をもっている。

◆新鮮な変竹林・山本太郎

北海道知事選では、野党統一候補にまでなった。

だが、時の流れは、小沢の元秘書・石川氏には味方しなかった。

変竹林の延長で云えば、小沢一郎の元同志(その仲間たち)である山本太郎氏が、参議院選挙で旋風を起こした。

これも、変竹林の一種であるが、賞味期限が切れた小沢一郎氏に比べて、山本太郎氏は、まだ「新鮮味」がある。

そんなところだろう。

◆国会討論が面白くない!

野党やマスコミによる「言葉狩り」のせいだと思うが、国会の質疑は、実に面白くない。

更に言えば、国会外の発言が、「言葉狩り」の被害に遭う。相変らずの風潮である。

以下の言葉は、次の様に訳される。

①いかがなものか・・・忘れた事にしちゃおう

②今しばらくお待ち下さい・・・いつになるか、わかりません

③最大限努力する所存です・・・結果については文句をいうな

④前例がありません・・・勝手にやると怒られますので

⑤寝耳に水です・・・知らない

⑥担当者に申し伝えます・・・私じゃ分からないんで

⑦そういう決まりです・・・私に言われても困る

⑧可及的に速やかに・・・そのうちやります、きっとやります、多分

⑨鋭意努力します・・・たぶん無理だけど

⑩粛々と進めております・・・反対意見は聞かない

此の辺でやめておきます。

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2019年11月 1日 (金)

歴史とは?

現在、『中国古代史』(渡辺精一著)を読んでいる。

『史記』は司馬遷によって著されたのである。

神話・伝説の時代から、始まる。

聖王の時代(黄帝・顓頊・帝嚳‣堯・舜)~夏王朝(兎‣啓‣桀など)~殷王朝(湯王・伊尹・太甲など)から周王朝(文王と武王など)に至っている。

歴史とは何か?を考える場合、「歴史書」とは何か?を考えなければならない。

勿論、歴史と歴史書は同義語ではない。

「歴史書」とは、小林秀雄風に言えば、ノンフィクションと呼ばれるフイクションであろう。

即ち、『古事記』であろうが、『日本書紀』であろうが、天皇政権にとって「不都合なこと」は現代の政治と同じように≪隠蔽≫したであろう。

天才的な大文学者によって書かれたフィクションの中にこそ、現実を超える≪この世の真実・人生の真実≫が表現され、宿る。(小林秀雄)という言葉が、説得力を持つのである。

「行間を読む」という高度な読書術がある。

前漢の時代に生きた司馬遷において、歴史記述のあり方が「正史」と呼ばれる所以は、「ノンフィクションと呼ばれるフイクションである」ことが謂えるのではないか。

真実を何処まで書くか?

司馬遷においても、儒家の思想と、権力者の思惑、ギリギリの攻防があった筈だ。

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