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2019年8月

2019年8月29日 (木)

韓国の主張も酷いが、それを無批判に「報道する」日本のマスコミはもっと酷い

こんなニュースがあった。

(1)U18日本代表が、日の丸を外して韓国入り。

(2)東京パラリンピックのメダルが旭日旗に似ていると韓国側が抗議。

◆前者の、U18日本代表が、日の丸を外して韓国入り、について

日本の高校球児たちが、韓国入りするに際して、「日の丸を外す」ことにしたのは、どうも高野連幹部の判断だったようだ。

この幹部が、何者かはわからない。だが、どうかしている。

しかし、その弁明を聞けば、「日韓状況の悪化を考慮して、不測の事態を避ける」という「配慮」そのものだった。

これは、韓国側の要請ではなく、高野連幹部の「忖度」だとしたら、全く酷い話だ。

◆「日の丸」を外した対応は「問題ない」?

しかし、今朝の『モーニングショー』(テレ朝)では、高木美保と玉川徹が、「日の丸を外した」対応は「問題ない」と発言した。どうかしている。

さらに、玉川徹氏は、「U18日本代表は、学徒出陣(?)ではない、スポーツ友好親善のため」「日本を代表するのではなく、日本人を代表する」と、暴言を吐いていた。

ゲストの辺真一氏ですら、「(高野連は)やり過ぎ」と発言したにも拘らず。

しかし、高野連の対応を批判した某自民党議員の発言を、高木・玉川氏らは殊更に「批判」していた。

◆高木・玉川の暴論を批判する

馬鹿げた暴言である。だが、一応キチンと批判しておくべきだろう。

戦争に「出陣」した〝学徒出陣゛と、スポーツの国際平和親善試合に「出陣」する〝U18日本代表゛とは、全く別次元である。

U18は、日本国を代表している。日本代表として、「日の丸」をつけて、正々堂々と戦って欲しい。

それを、「学徒出陣」を連想するなんて、玉川氏の脳内はどうかしている。

「日本国ではなく、日本人の代表(?)」なんて、全く意味が分からない。

◆メダルが旭日旗に似ている?

次に、後者のニュースである。

東京パラリンピックのメダルが「軍国主義の象徴」(?)旭日旗に似ていると韓国側が抗議したという。

これについては、≪メダルは扇のエンブレムであって、旭日旗には似ていない」という事で一致した。

辺真一氏は、これが似ているというのは、「(韓国側の)目の錯覚」と笑った。

◆旭日旗は、平和の象徴である

深刻な問題は、そういう事ではない。日本側の報道のあり方にある。

あたかも、旭日旗が「軍国主義・侵略主義の象徴」のように喧伝する韓国側の主張を、そのまま無批判に報道する(紹介する)日本のメデイアこそが、問題なのだ。

旭日旗は、海自の旗であり、本来「無事還るように」という願いを込めた「平和の象徴」である。

韓国側の批判は酷いが、無批判に「報道する」日本のメデイアはもっと酷い。

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2019年8月27日 (火)

大和山について、親近感を持つ《続》

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(写真は大和山神集閣)

◆皇居の清掃奉仕

大和山には、その境内に全寮制の松風塾高校がある。

昨年の百年祭の時、ボランテイで参加していた男子生徒と出逢って声をかけた。

「何か?部活をやっているの?」「ハイ、剣道部です!」

背筋が伸びて、姿勢が正しい。話をする時は、真っすぐ相手(私)を見ながら話をする。

少し、雑談したが、実に爽やかな生徒だった。

松風塾高校では、毎年、教育方針として皇居の清掃奉仕活動を行なっている。

また、古典の勉強として、『教育勅語』を学んでいるとの事である。

松風塾高校には、大和山の教育方針が貫かれているのである。

◆「山」とは

大和山の「山」は、何故付けられたのか?

私が推測するに、「大和」(ヤマト)であれば、天皇そのもの、あるいは日本国家そのものを意味することから、余りにも「不遜」である。

だから、「大和」プラス「山」、即ち「大和山」(ヤマトヤマ)とした、というのが私の想像である。

「山」は、いわゆる「海幸・山幸の神話」により、兄・海幸彦(隼人の祖)は、弟・山幸彦に従う事になる。それ故「山」は皇統の祖である。

因みに、新宗連には「大和」という教団がある。だが、「大和」(ダイワ)と呼んでいる。

◆神歌集

大和山では、『神歌集』(和歌形式で1396首ある)が、大和山の教典の上で重きを成す。

これも、「文学好き」の私が、親近感を持った理由である。

「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることである」(作家・芹沢光治良)という。

神のメッセージを「神歌集」として具体化した例は、他には知らない。

新しい元号「令和」は、万葉集から採用したものだが、外国語(漢字)が伝来する以前からわが民族は、自然と神を畏れ崇め、歌を詠っていた。

『神歌集』は、宗教団体としては特筆すべき事で、言霊(ことだま)の国にふさわしいものである。

◆三奉行の実行

更に、松緑神道大和山に対して〝親近感゛をもった理由を述べる。

教組・田澤清四郎(法名:大和松風)は、大和山大神を奉じ、布教の始めより「この道は自他力本願を旨となす」と自他力本願の教旨を明らかにした。

その上で、「心太らせ身も太る」ために心の世界を深めよ、信仰即生活、霊界の浄化「白道通天・万霊安住」、「共生」(ともいき)の世を説いた。

その中で、最近のHPでは見られないが・・・最も、私を魅了したのは、「三奉行」(さんぽうぎょう)の実行である。

教祖さまは、三奉行の実行について、次の様に説いている

「わが生涯、み神に奉り、み国に奉り、人さまに奉る」

神と人との間に、国(国家)を入れて「三位一体」とした。此処に、大和山教団の特長がある。

即ち、国家の安寧なくして、信仰生活は成り立たない。国家の安寧なくして、世界平和は成り立たないという『国家観』が、其処には存在する

まさに、大和山の「世界平和祈願の行動」の源泉でもある。

◆神の分霊(わけみたま)

最後に、『天翔ける日本武尊』(神渡良平著)の抜粋である。

・・・やっと気づいたよ、人はみんな神なんだって。

神が人という衣を着て地上に現れ、それぞれに与えらている境遇で道を立てるのが人生なんだ。

日本では古来、われわれを霊止(ひと)と呼んできたが、それはわれわれの本質は神の分霊(わけみたま)であって、肉体はその入れ物でしかないと直感していたからなんだ。

だから与えられている境遇に不満を言うのでなく、その状況の中で立派に道を開き、人として証しを立てるーこれが人生なのだ。

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2019年8月26日 (月)

大和山について、親近感を持つ

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(写真は、大和山聖地の案内図)

私は、大和山(正式名称:松緑神道大和山、教団本部は青森県にある)という宗教団体について、親近感を持っている。

詳しくは、大和山のホームページをご覧いただきたい。

山田軍太郎師(教団大泉支部長)とのご縁で、初代教主様の「お話」を聴いた事。

それが、大和山との「距離」を縮めたキッカケである。

宗教にありがちな「難しい話」ではなく、ユーモア溢れ、楽しく、しかし説得力のある「お話」だった。

以来、大和山の事を、勉強するようになった。素朴だが、素晴らしい教団だと、私は賛美する。

その理由を述べる。

◆自他力本願

大和山は、「自他力本願」を本旨とする。

仏教では、他力本願(浄土真宗など)と自力本願(禅宗など)に分類される。

・・・というのが、一般的な説明である。

我が大窪家の宗派は、浄土真宗である。今夏の(札幌里塚霊園での)墓参りでは、お経『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)を唱えて来た。

親鸞上人の浄土真宗は、勿論、他力本願である。

しかし、以前、曹洞宗の住職は、次の様に言って居た。

「我々は、(今生きているのは)自力などとは思っていない」「99%は、他力によって生かされてきた」「自力、他力は、教科書的な分類でしかない」

私は、この言葉に「妙に」納得した。

この言葉通りなら、曹洞宗も「自・他力本願」という事になる。

それで良いというか、本来、宗教は「自・他力本願」であると考える。

親鸞上人は99%の他力を以て「他力」としたが、残りの南無阿弥陀仏を唱える1%は、やはり「自力」である。

大和山の「自他力本願」とは、「他力」も「自力」も否定しない。自力と他力を合わせて、自他力本願とした。

正に、その事を、具体的に言って居るのだと思う。

即ち、「教科書的」な分類ではなく、宗教本来のあるべき姿を示したと言える。

その意味で、画期的である。

◆大和山(ヤマトヤマ)、名は体をあらわす

何と言っても、その名前が「大和山」(ヤマトヤマ)であることは、親近感を持った大きな理由である。

即ち、「名は体を表す」というが、大和山(ヤマトヤマ)という音感には、日本人の魂の中に自然に這入っていく・・・そんな響きがある。

大和(ヤマト)という言葉は、古くは天皇のお住まいになる国のことであり、「日本国の統治下である」ことを意味する。

日本人の故郷である。

日本武尊(ヤマトタケル、古事記では倭建命とある)が、東征を終えて、伊勢の能煩野(のぼの)の地まで辿り着いたところで、故郷ヤマトを思う歌を詠む。

やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる やまとし麗し

◆倭(ヤマト)から大和(ヤマト)へ

倭(Wa)という漢字は、辺鄙、未開という意味があった。

魏の倭人伝に、「楽浪郡の東に倭人(日本人)あり、分かれて百余国あり・・・」というように、元来、倭には侮蔑の意味があった。

大陸から漢字が伝わった時、『古事記』(皇室の歴史)の表記では、そのまま倭(ヤマト)を使用した。

一方、『日本書紀』(正史)では、自国への自尊心から、大和(ヤマト)と表記を変更した。

その後、大陸との交流(遣隋使・遣唐使)が進むにつれ、日本独自の文化(国風文化)が芽生え、繁栄した。

それ以来、中国王朝では、日本に対して『倭」という呼び名は無くなったが、朝鮮では、「倭人」「倭寇」などと侮蔑し続けた。

◆何故、「大和山」(ヤマトヤマ)と名付けたか?

「大和山」という命名には、布教を始めた教祖さまの、「此処(青森県)は、日本国の一部(内側)にある」という強い思いが表れている。

古来、東北‣奥羽地方は、蝦夷(えみし)が盤踞(ばんきょ)する文化果てる所で、大和朝廷の影響が及ばない地方とみなされがちだった。

近年、三内丸山遺跡の発見のように、これまでの古代研究が大きく替り、東北地方に先進的な文化国家があったのではないかと推定される。

北海道出身の人間からすれば、青森は「内地」と呼ぶ。

因みに、函館の人は、札幌を「奥地」と呼ぶ風習が残っている。

教祖さまの想いを想像するならば、「此処は、天皇の住まわれる大和の一部である」ということ。

それは、「日本国地図」を広げれば、「北海道」も含めて客観的な事実として正しい。

◆大和朝廷が日本統一を果たした理由

『天翔ける日本武尊』(神渡良平著)には、次の記述がある。

(東征した日本武尊は)真っ先に恭順の意を表した島津道彦には津軽を与え、蝦夷たち70県の初穂も徴収した。

「百余国に分かれていたこの国が、大和朝廷によって統一されていく過程で、東北地方もまた大和朝廷に積極的に恭順することになるのは、武力によるものではなく、神の意思を説いての事であった

様々な危機を乗り越え、国の分裂は回避され、皇室を中心とした一元の体制(日本国)が確立されていく。

それを可能にしたのは、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)、さらに天照大御神(あまてらす)を祖先神とする皇統の正当性(万世一系)に他ならない

「日本は神々と皇室と国民が一体となった歴史を少なくとも2000年以上の永きにわたり保ってきた国です」(『日本書紀入門』竹田恒泰・久野潤)

教団名を「大和山」と名付けた教祖さまの思いが、嬉しく感じられる。

≪続く≫

 

 

 

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2019年8月25日 (日)

韓国が「日韓のGSOMIAを脱退した」事は、日本にとっては「渡りに船」である。≪続≫

◆頑強な韓国学生

数年前、NHKの某番組で、日韓の学生同士のシンポジウムが開催されていた。

「竹島」問題に話題が移り、韓国の学生は、次の様に言った。

「日本帝国主義の植民地支配の象徴である」「独島(竹島)は韓国の領土、これが大前提」「議論の余地はない(問答無用)」と、頑強に言い張った。

強い剣幕に押されて、多くの日本人は「沈黙した」。

◆反論しない日本人

反論する日本人は、一人もいない。そして・・・険悪な空気になった。

そして、司会者の日本人教授が、取り繕うように言った。

「日韓は未来志向で・・・」という曖昧な表現である。

このように「反論しない日本人」の風景は、戦後続いた日韓両国民の議論の形態である。

◆友好親善が先?

即ち、日本人は、韓国人と議論する時には、「友好親善」を考慮する。

だが、韓国人は、日本人と議論する時には、「(日本人に)負けてたまるか」という敵愾心が先に来る。

何故、韓国人・朝鮮人は日本人に対して、異常なほどの敵愾心を持つのか?

それは、韓国の「間違った歴史教育」によって洗脳されているので、「朝鮮戦争」を知らない若い世代は特に、「反日」になる。洗脳教育の結果である。

◆豹変する韓国人

從って、どんなに日本の歌手が好きな若者でも、「竹島」問題になると、豹変し『強硬』意見になる。

どんなに民間レベルの交流があろうと、「機微に触れる事」ならば、時限装置のように反日感情は爆発する。

戦後の日本人は、政治家自らが「自虐史観」により、韓国人の間違った主張を「正す」ことを怠り、議論すら回避した。

それ故、韓国人の反日感情を野放しにしてきた。その結果である。

◆マスコミの逃避

今でもマスコミは、日韓の民間交流を「鎖すべきではない」とか、韓国人を「嫌悪すべきではない」という。

だが、それは「韓国人の反日感情から逃避」しているだけに過ぎない。

マスコミは、前後の文脈を無視して、「韓国側は対話を求めたが、日本側が無視した」「国家的尊厳を傷つけた」という韓国側の言い分を無批判にそのまま紹介する。

そして、日韓関係は最悪だからこそ、「日韓双方、冷静になるべきだ!」というまとめ方をする。

しかし、日本が、「韓国製品をボイコット」した事例はない。

騒いでいるのは、韓国の方だけである。間違った報道である。

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2019年8月24日 (土)

韓国が「日韓のGSOMIAを脱退した」事は、日本にとっては「渡りに船」である。

◆韓国、GSOMIA脱退、此れで良かった

韓国が、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の更新をせず、「終了」を日本側に通告した。

連日、日本のマスコミは、韓国側の「決断」について、「想定外だ」と論評している。

又「最悪な日韓関係」と論評している。

しかし、私は、これで良かった、と思っている。

◆韓国の好きにさせて置け!

GSOMIAを〝延長″するか〝終了″するかは、韓国側の「自由」である。

それに、最近の「韓国の動向」を見れば、そんなに驚く事ではない。

あの文大統領なら、平気で「悪いのは日本の方だ」と嘯くだろう事は、寧ろ「当然」の結論である。

韓国の好きにさせて置け!

◆「我慢比べ」の時だ!

「最悪な日韓関係」というが、上辺だけ「友好国」のフリして媚びることは無い。

一部のマスコミの報道とは違って、経済的な悪影響は、韓国は日本の何倍‣何十倍もある。

日本も皆無ではないが、少しは韓国に思い知らせるために、日本は粛々と冷静に「我慢」すべきだ。

「争いごと」よりも、「我慢比べ」の方が、日本人に合っている。

◆お互いに「信用していない」のだから

旭日旗の寄港禁止、韓国駆逐艦による自衛隊哨戒機への攻撃用レーダー照射など、異常な韓国政府相手に、とりわけ軍事情報を共有する事こそ危険極まりない。と云うべきだ。

日本は(約束を破る)韓国を信用していない。

韓国だって、「日本を信用していない」のだから「お互いさま」である。

米国も「失望した」という通り、韓国を信用しない。

◆渡りに船のタイミング!

今回は、韓国側から、「GSOMIA脱退」を言い出してくれた。

これは、「渡りに船」だったと言える。

安倍総理の深謀遠慮だったと想像する。

即ち、韓国を追い詰め、突き放す意味で、戦略的な勝利と言えよう

◆安倍総理は予期していた?

日本は、日米同盟を強化し、韓国とは深入りせず、距離を置く。云うべきことは言う。

それは東アジアの平和にとって、明治以来、歴史の教訓である。

この問題は、韓国への(軍事転用可能な)輸出品への管理が余りにも杜撰であったことがキッカケだった。

日本政府(世耕大臣)は、輸出規制を厳格にし、韓国をホワイト国から外した。当然の措置である。

だが、それ以上に、安倍総理は、韓国が、「GSOMIA脱退」することを予測していたかも知れないネエ。

◆2年前に戻っただけ

韓国側の理由に、「日本が韓国を友好国として認めない」からとしているが、ある意味正しい。

日韓のGSOMIAが継続されれば、日本の偵察衛星・ミサイル防衛などの軍事機密が、北朝鮮や中国などに流出する可能性だってある。それは最悪だ。

寧ろ、国連決議(北朝鮮への制裁)に反して、北朝鮮への利敵行為が目立っていた。

韓国のGSOMIA脱退は、日米韓の三国関係から、2年前の日米・米韓の二国関係に戻るだけの事である。

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2019年8月18日 (日)

読書感想、『天翔ける日本武尊(ヤマトタケルノミコト)』(神渡良平著)

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◆英雄ヤマトタケル

これは、実に面白い本である。

日本草創の神話に登場する、英雄ヤマトタケルの生涯に焦点をあてた作品である。

これを、日本人のルーツを探る「歴史書」なのか?それとも「フィクション」(小説)なのか?

が、読後感としては、そんなことはどうでも良い。「面白い」ということが大切である。

◆歴史家の常識?には異論

当時の人々の息遣い、心根が感じられる。

歴史にしても、小説にしても、良い作品である事には間違いが無い。

例えば『古事記』の“神代之巻”について、「文学としては、興味あるものだが、歴史としては、荒唐無稽で、信用するわけには参らない」というのが歴史家の常識のようだ。

だが、このような歴史観(?)は、クレーマーの難癖に過ぎない。

神話とは、上古の人々の「想像した物語」である。

◆古事記の謎

『古事記』には、様々な謎があるのは、当り前のことである。

第一に、文字の無い時代のことであり、如何に天才であろうと稗田阿礼(当時18歳)の記憶力には、限界はある。

第二に、天皇への奏上として記された、即ち、天照大御神に繋がる皇統の正当性を目的として記された皇室の歴史である。

それ故、その謎も、荒唐無稽な内容も、「神を畏れ、神を信奉した」上古の人々の心根を知るならば、謎は謎として、ミステリー小説として、あるいは歴史のミステリーとして楽しめばよい。

何も卑下する理由は無い。

◆『秀真伝(ホツマ伝)』の視点

文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることである」(芹沢光治良)という事に尽きる。

それほど「実に面白い本」であり、読後の感動が残る。良い本である。

その理由は?恐らくこうであろう。

『天翔ける日本武尊』を書き上げるにあたって、神渡良平先生は、古事記、日本書紀のみならず、その他、様々な参考文献を土台にしている。

『秀真伝』は、その一つであるが、それが『天翔ける日本武尊』を、生き生きとした内容にしている。

◆和を以て尊しとなす

神渡先生は、「終わり」で次の通り記述している。

歴史は日の当たる者と日の当たらない者、恵まれた者と恵まれない者、持てる者と持たざる者の間に葛藤が続き、それが血で血を洗う戦いにまで発展した事が多かった。

ところがその葛藤が、日本の場合には、幸いなことに、歴史の当初において、天照大御神と素戔嗚命(すさのうのみこと)の間で乗り越えられ、歴史的和解に至っていた。

だからこそ「和をもって貴しとなす」ことが受け入れられる精神的土壌ができ上ったのだ。

 

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2019年8月16日 (金)

韓国経済を心配する・・・心優しい日本人

◆冷静だった日本国民

少し前まで、マスコミの一部(テレ朝報ステなど)は、意味不明の論調だった。

「対韓国輸出規制は、日韓経済戦争の始まり」「ホワイト国指定解除は、日韓双方に悪影響」と喧伝し、「日韓双方共に、頭を冷やすべき」「冷静に!」という。

しかし、そのキャンペーンは、すぐに破綻した。

我々日本国民は、極めて冷静に、事の本質を理解した。

◆輸出手続きの変更に過ぎない

日本政府(世耕大臣)の丁寧な説明により、功を奏したようだ。

さすがは安倍内閣である。

「経済戦争ではなく、輸出手続きの変更に過ぎない事」「日韓双方に悪影響ではなく、日本の影響は限定的である事」が、ファクト(事実)として日本人には完璧に理解されたのである。

加えて、日本が「対話」を求めているのは、「韓国が一方的に法的措置をとった徴用工の問題」である。

◆誤魔化しの言葉

昨日(8.15)、韓国の文大統領は、「日本との対話」を示唆している。

だが,「対話」と言っても、それは「徴用工」についてではない。

「輸出規制」についてであるから、「対話」とは誤魔化しの言葉である。

文大統領の言う対話とは、「俺たちの方へ歩み寄れ!(譲歩しろ!)」という詭弁そのものである。

◆日本は非難される筋合いはない

今日の日本メデイアの評価では、「文大統領の態度が軟化した」というものだった。

だが、此れは間違いである。

韓国経済が深刻な危機なのは、「(先に発展した)日本が梯子を外した」からではない。

元々、韓国経済の発展は日本の援助によって実現したものであって、感謝されても、日本は非難される筋合いは全くない。

いつもの通りの誤魔化しである。

◆半狂乱の韓国民、冷静な日本国民

「日本製品不買運動」など、反日を煽っているのが文大統領である。

日本のジャーナリストは、「民間の日韓交流は大事だ」「文大統領と韓国民とは区別すべきだ」という。

だが、文大統領に煽られて、「ローソク」をもって反日デモに狂乱する韓国人は、憐れに思うが、正直・・・「友情」を感じる事はないし、尊敬も出来ない。

◆韓国経済を心配する・・・心優しい日本人

日本では、韓国製品の不買運動などは起こらない。

韓国製「キムチ」が好きな人と、嫌いな人がいる。何を買うのかは、その人の自由である。

大多数の日本人は、静かに・・・政府の方針を支持している。韓国とは、民度が違う。

それでも、韓国の経済没落を心配する・・・心優しい日本人が多い!何というべきか!

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2019年8月10日 (土)

日本人の心を傷つける・・・「表現の不自由展」(愛知県)という反日政治活動

◆看過できない事がある

昨夜、旅行から帰って来た。

一夜明けて、朝のテレビを観た。日韓関係は、相変わらずで、国民性の違いが再認識させられる。

『表現の不自由展』という・・・歴史偽造の象徴である「慰安婦少女像」の設置や、韓国人の反日感情の対象「昭和天皇の写真」焼却などを、日本人は絶対に看過出来ないものである。

◆公然と「反日活動」をするのか!

問題の「表現の不自由展」(愛知県名古屋市)の会場は、日本国の真ん中にある。韓国ではない。

しかも公的施設で、公然と「反日政治メッセージ」を「発信」しようとするのだから、酷い話である。

これは、いくら何でも行き過ぎだよ。「反日政治展」であり、「芸術」でも「表現」でもない。

◆日本人の心を傷つける

名古屋市長の河村氏が「日本人の心を傷つける」と、この「不自由展」を批判した。当然の事である。

一方、愛知県知事の大村氏は、(河村市長の発言は)「憲法違反の疑い」があると批判した。

大村氏は、頓珍漢にも程がある。

◆橋本五郎氏の正論

今朝の読売テレビ(辛坊司会)では、某弁護士がこれは「政治活動」ではなく「表現の自由」の問題だと、河村市長らの発言を「権力の介入」として批判していた。

私は、橋本五郎氏の発言を支持する。

「日韓関係」が悪化している中、「表現の自由」だから何をやっても良いという事にはならない。明らかに「政治的」だと発言していた。この発言は、良識的な日本人の考えに近い。

◆憲法を持ち出す(?)玉川氏の的外れ

俳優の別所氏は、「公的施設」でやる場合、お互いの議論は必要だ。「一方の考えだけでなく、対立する考えも併設」するなら良いが・・・と、河野景子さんも含めて、マトモで常識的な意見だった。

テレ朝の朝番組では、一方的だった。玉川氏が、某憲法学者の木村氏の「憲法」講釈をもとに、「河村さんは、憲法を学び直したらいい」と偉そうに言っていた。

読売テレビは公平で、テレビ朝日は偏向している。他の番組は、観ていないので何とも言えない。

◆憲法による表現の抑制

ところで、何故、表現(クリエイト)の内容に、憲法学者が登場して、「憲法」講釈を論するのか?頓珍漢である。

「日本人の心を傷つける」(河村市長)という素直な感情吐露に対して、何故、「憲法違反」(大村知事)などと無味乾燥な「憲法」尺度を持ち出すのか?

それこそ、「憲法による表現の抑制」になるではないか。

言論の自由だから、批判は自由にやってよい。だが、これは偏った「政治活動」でしかない。日本人にとって極めて不快である。不快なものは、不快だと云うべきである

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2019年8月 4日 (日)

日韓関係で、日本は妙な妥協することなく「外交常識」を貫け!それがお互いの国の為になる!

◆日韓関係の、対立激化(?)

韓国の文大統領は、「加害国(?)が、盗人猛々しい」と、汚い言葉で安倍政権を批判している。

だが、全く的外れであり、無礼である。

識者の見方では、今後、「(日韓関係は)修復不可能だ」という。私もそう思う。

文大統領が、正気を取り戻し、反省しない限り、日韓の関係は「修復不可能だ」と思う。

◆旧態依然とした左翼論調

一部メデイアは、「このままでは、日本企業にも影響」を及ぼす。

「双方共に、冷静に、話し合って、落しどころを、探るべき」という。

実に、旧態依然とした左翼論調である。

「話し合って」ではなく、「冷静に」反撃し、外交力で「勝利」すべきである。

日本は、妥協はすべきではない

何故なら、妥協すべき理由は、何もない。

「ホワイト国」から、Aクラスへ格下げしたのは、「安保上の配慮」である。

輸出の手続き上の変更であり、WTOの議題ではない。関税などでは全くない。

一連の「日本政府の措置」を、「歴史問題」に絡め「(我々は)二度と日本との戦いに負けない」と「民族的感情」に訴えているのである。

◆民族性の違い

政治評論家の田崎史郎氏は、「民族性の違いなのか・・・」韓国と日本とでは「沸点」が違うようだ。と言っていた。

その通りだと思った。此れは、ヘイトスピーチではなく、事実である。

しかし、一部日本メデイアでは、「日本製品をボイコット」「日韓交流事業の延期」等のニュースを繰り返し放映し、「日本経済にとっても深刻な打撃」をことさら強調し、「双方、頭を冷やすべき」と言っている。

だが、此れは全く違う。

◆頭を冷やすべきは、韓国側

通産官僚の細川氏によれば、普通に手続きさえすれば、韓国にとっても「ほとんど打撃はない」と言っていた。

若し、この程度の「手続き上」の事で、打撃を受けるなら、余程、韓国経済が脆弱であるという証左である。

報道のあり方として、「どちらの言い分」が正しいのか?間違っているのか?というよりも、「どっちも、どっち」という誤魔化し、表層的な見方でしかない。

ハッキリ言うべきは、「頭を冷やすべきは、韓国の方である」ということだ。

◆日本の国民は、冷静で揺るがない

日本の世論は、「これらは、単なる輸出手続き上の問題である」ことを理解している。

意識的に、理解していないのは、一部左翼メデイアだけである。

だから、日本の世論は、安倍政権の処置を支持している。

日本の国民は、冷静で揺るがない。

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