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2019年5月

2019年5月31日 (金)

通り魔殺人(川崎市)を憎む、立川志らく師匠の正常な感覚(死にたいなら、一人で死ね!)を批判する、テレ朝玉川徹氏の異常

凄惨な事件

川崎市で起こった、通り魔殺人事件は、凄惨な事件(被害者は19名、死者は2名)である。

被害に遭った幼い児童たちの恐怖を想像すると、心が凍るような遣る瀬無い気持ちだ。

事件詳細は、これから明らかになるだろう。

殺されたお二方のご冥福と、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げる。

◆「感情的」コメントは当たり前

テレビ番組各局では、連日、この事件を取り上げている。

『ひるおび』(TBS)では、八代弁護士は、「どんな社会的背景があっても許されることではない」「法の裁きを受けるべき加害者の男が、自殺してしまった」と声を震わせた。

立川志らく師匠は、「犯人の自殺」を受けて、「死にたいなら、一人で死ね!」と、激怒した。

この感覚は、「通り魔殺人」を憎(にく)む志らく師匠の感情的、且つ正常な感覚である。

凄惨すぎる事件に対して、「感情的」コメントは当たり前である。

◆モーニングショー(テレ朝)、玉川徹氏の愚論

しかし、今朝の『モーニングショー』(テレ朝)では、捻っていた。

番組中、玉川徹らが、「死にたいなら一人で死ね!」という志らく師匠の発言を批判した。

社会に絶望して、「死にたい」と思っている人はたくさんいる。確かに,絶望し、悩んでいる人はいる。

そういう人を、“突き放す”言葉だという。

「死にたい」と思っている人は、「連帯感が必要」で、への冷たい言葉である。云々・・・。

◆社会のせいにする

関係ないだろう!馬鹿げた愚論だ。

「死にたい」と思っている人へのケアとは無関係な事である。

この種の、「愚論」を持ち出し、“何でも全て(事件を)社会のせいにする”のは、テレ朝の、就中、玉川徹氏の特徴だと思っていた。

玉川氏の空想的論理では、全て悪の根源は、安倍政権の悪政に繋がるしかない。

◆「死にたいなら一人で死ね!」は、抑制された正常な批判

だから、テレ朝番組として、(事件を)社会のせいにする歪曲は、よくある事で驚かない。

しかし、志らく師匠の極めて感情的(感情豊かという意味)で、「人を道ずれに殺傷するな!」という正常過ぎる発言を、批判していた。

これには驚いた。

「死にたいなら一人で死ね!とは、犯人に対して放った言葉である。

それは、被害者や家族にとっても、自制的であり、これ以上適切な表現方法はないだろう。

通り魔殺人を憎む立川志らく師匠の正常な感覚を批判するテレ朝玉川徹氏の異常を強く感じた。

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2019年5月24日 (金)

丸山議員の「戦争」発言は暴言だが、憲法違反というレベルではない、と言いたい《続》

◆適応障害とのこと

今日、お昼前のニュースだが。

「戦争発言」をした丸山議員が、国会議運委での説明を欠席した。

欠席の理由としては、「適応障害」という精神疾患である。

2ケ月間程の治療を要すとの事。

◆国会の権威を損ねた

一方、丸山議員を呼び出す理由は、一部マスコミが云うような「憲法違反」ではない。

呼び出す理由は、「国会の権威を損ねた」との事だった。

国会の権威を損ねると言えば、無断で海外旅行した某女性議員のように、他にもいる。

丸山議員の「病気理由」は、予測したこと。

◆私の言いたい事

が、まあ良いだろう・・・。

これ以上、精神を患っている丸山議員の「戦争」発言や、破廉恥発言を批判しても、意味がない。

私の言いたいことは、其処ではない。

丸山議員の「戦争」発言を、「戦争放棄」を明記した「日本国憲法」に違反している、という護憲派マスコミの批判を注目し、その政治的思惑の充満した「批判」を、批判したい。

◆憲法をそのまま読めば分かる

昨日のブログでも書いたが、それが、私の関心事である。

憲法9条1項を、そのまま読めば分かる事である。

「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

要点は、「国権の発動」としての戦争を放棄している、だけである。

◆憲法は、「戦争」議論を禁止していない

憲法9条1項の、どこにも、「戦争」という言葉や「戦争」の議論を禁止する(放棄する)、とは書かれていない。

その限りでは、言論の自由(戦争議論)と牴触もしない。

しかし、一部マスコミは、一足飛びに、「戦争発言」を、「憲法違反」と断罪した。

これは、「護憲派」の典型的な癖でもある。

即ち、「国益」あるいは「国の安全」にではなく、「憲法」を守ることを「至上命題」にする。

それが、改憲派と護憲派の違いでもある。

◆護憲派の思惑

改憲派の思惑としては、丸山議員の「戦争」発言を、憲法違反と断罪する。

そうすることで、世論の誘導、改憲の動きをけん制する狙いがある。

しかし、前述したように、丸山発言は、「憲法違反」ではない。

日本国憲法に“交差″するような「高尚」な発言などではない。

単なるバカ発言に過ぎない。

それが、昨日言いたかった事である。

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2019年5月23日 (木)

丸山議員の「戦争」発言は暴言だが、憲法違反というレベルではない、と言いたい

◆酒癖が悪い議員

丸山議員は、バカで酒癖が悪いようだネエ。

ニュース映像によれば、酩酊の上、北方領土返還について悪態を晒した。

さらに、墓参団長に対して「戦争で取り返す」という言葉を吐いた。

団長は、(北方領土返還に関して)「戦争」という言葉を使いたくない。

と、制止するように発言した。

◆バカ発言

本来、議員に「聖人」を求めていない。

そんな私でさえ、呆れる程「バカ発言」である。

議論の余地はない。

丸山議員の言葉は、紛れもなく「暴言」であり、団長の言葉は、「大人の対応」である。

この事は明らかである。

◆ニュース映像

而して、ニュース映像は、日本中を駆け巡った。

大阪維新の松井代表は、「議員辞職に値する」と吐き捨てた。

そして、メデイアのコメンテーターも、丸山議員を一斉に批判した。

批判は当然である。

議員も辞すべきだ。と私も思う。

◆異議あり!

しかし、その批判の視点には、異議がある。

即ち、丸山議員の「戦争」発言は、「憲法違反」である。というが、これには賛同しないし、異議がある。

「憲法の戦争放棄」「憲法を守るべき国会議員」が、というフレーズを使用するが、無理がある。

「憲法違反か、どうか?」は、コメンテーターが、情緒的に、軽々に口にすべきことではない。

私の推察では、憲法改正の流れを食い止めるための、政治的な「言辞」である。

◆一部のメデイアは、「憲法違反」の合唱

だが、「憲法違反とは、極めて重い言葉」である。

酩酊の上、丸山議員が口にした「戦争」という言葉を基にして、「憲法違反」と断罪するのは、全く違う。

言論の自由という、憲法の理念がある。

それは、丸山議員にも適用される。

◆言論の自由の上に

ジャーナリズムであるならば、彼の「言論の自由」を認めた上で、完膚なきまでに批判するべきである。

堂々たる批判こそが、言論の自由であり、「憲法違反」の議論にすり替えてはならない。

仮に「憲法違反」だとしても、それを判断するのは、コメンテーターではない。

最高裁判所で、慎重な審理の上、判断されるのが法治主義ではないのか?

コメンテーターの「憲法違反」議論には、私は異論を呈する。

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2019年5月22日 (水)

『本居宣長』(小林秀雄著)を読んだが、不思議な感慨が過(よ)ぎる

◆終いの宣言

「もう、終わりにしたい」という一文が、登場した。

それは、突然の、“終いの宣言”、であった。

『本居宣長』(上下巻)の締め括りとしては、極めて異様な、常識外の“終わり方”である。

その様に、感じた。

◆話し言葉

小林秀雄は続けて、「結論に達したからではない」と、“話し言葉”のように記述している。

難解な道のりを、やっと読み進んだ一読者としては、突き放された感じがする。

突然の告知のようだが、”話し言葉”のような記述である。

確かに、『本居宣長』下巻の後半を読み進めていくと、小林秀雄の「息遣い」が伝わる。

◆文例1

核心に迫る内容として、ひとつ文例を示す。

「やはり、古学の大事は、古伝についての、疑いを知らぬ、率直な感情にある。ひたすらそう解さなければ、宣長の古学を正解する道はない。」

(次の言葉は、キーワードである)

☆観照(かんしょう)・・・主観を交えず対象のありのままをながめ、その本質を認識すること。

☆自照(じしょう)・・・自分自身のことを省みて、観察すること。

◆文例2

また、次の文例を示す。

「わが国の神道には教えがない、教えというものの全くないところが尊いのである。」

「歴史は、「神たちの御しわざ」についての、どんなに古い頃からか、誰が言い出したことともない伝え言で始った、と「記紀」は言う。」

◆感じよ!

『本居宣長』(下巻)の後半部分には、「話し言葉」が多い。

それが、「文章の言葉」(漢語)に慣れきった我々には、小林秀雄の文章の“難解さ”でもある。

だが、兎も角、「文章の言葉」よりも、「話し言葉」の方が、遥かに説得力がある。

という原則を確認してもなお、「理解せよ!」ではなく、「感じよ!」という意味で、説得力がある。

小林秀雄は、何を言いたかったのか?

その結論の無い、「もう、終わりにしたい」「結論に達したからではない」という言い様から、何を言いたかったのか?

「もう、材料(ヒント)は提供した、これ以上は読者が考えよ!」という風にも、聞こえる。

恐らく、それが小林秀雄の良心なのだろう。

◆霊峰への登山

「大作の終わり方」として、「正常」「常識」が想定され、「結論らしき」ものがある。

しかし、小林秀雄の『本居宣長』はそうではなかった。

私は、数か月前は『本居宣長』(上下巻)を読み終えることは、譬えれば、険しい霊峰に登山するものである。

読み終えたときには、キチンとした「読書感想文」を書く予定であった。

◆「感じる」ことはあった

しかし、「感想文」のような類のものは、書けない。

何故なら、よく分からないからだ。

正確ではなくても、よく分からない。

即ち、今の段階で、何か「感じる」ことがあったが、正確には「理解」できないからだ。

◆霊峰登山

『本居宣長』(小林秀雄)を一大決心で読み始めたのは、本年初頭だった。

確かに、険しい霊峰に臨むような、気分であった。

それ故、登山のための“訓練”と自覚して、『小林秀雄の恵み』(橋本治)などの、(私にとっては)初心者用「解説」を読んだ。

そして、小林秀雄は、「もう、終わりにしたい」という。

◆不思議な感慨

これで「結論に達していない」事は、よく分かる。しかし、まだ分からない。

小林秀雄は、次のように締めくくった。

ここまで読んで貰えた読者には、もう一ぺん、此の、彼の最後の自問自答が、(機会があれば、全文が)、読んで欲しい、その用意はした、とさえ、言いたいように思われる。

この一文で、さらに不思議な感慨が過った。

同時に、私は少し安堵した。

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2019年5月18日 (土)

読書感想『小林秀雄の秘密』(佐藤公一著)

◆『本居宣長』(小林秀雄)の読書途中

日々、『本居宣長』(小林秀雄著)に、悪戦苦闘している。

とは言っても、小林秀雄の難解な文章である。

読解するのは、簡単ではない。

◆秘かな楽しみ

しかし、此れを、(余生の楽しみのように)人知れず楽しんでいる自分がいる。

重要な核心部分、難解な文章を、そのまま写経のように、書き写す。

一行一行と、前に進む、単調である。

◆遅々とした進捗

日本に初めて漢文が輸入された時は、こんな具合に外国語(漢文)の翻訳が為されたであろう。

遠い古代日本の、古代日本人の生活を想像しながらの読書。

正に、平均余命期間を計算に入れた、遅々とした進捗状況である。

◆締め切りが無い

読み始めて、もう既に4ヶ月程経過する。

だが、ようやく『本居宣長(下巻)』の半分に到達したところ。

『小林秀雄の恵み』の著者・橋本治氏の言葉では、「バスが悪路」に入ったところだ。

幸い、プロ作家ではないから、締め切りは(生きてる限り)ない。それ故、焦ることはない。

◆「難解さ」が心地よい

『本居宣長』を読解するためだ。その目的の為に、小林秀雄の著書ばかりでなく、いろんな著者の本に手を出している。

『小林秀雄の恵み』(橋本治)も、その中の一冊だった。

此の本は、小林秀雄の「解説書」であるが、結構「難解な処がある」本である。

しかし、その「難解さ」が心地よい。

◆もう一度、学問をやってみようかな

だが、読み終えてから、少し道が開けた。

『本居宣長』(小林秀雄)の謂わんとする感じが、伝わる(感受する)ようになったのである。(錯覚かも知れないが)

何より、「もう一度、学問をやってみようかな」という本の帯コピーが、70過ぎの爺の向学心を刺激したのである。

「少年老い易く、学成り難し」と、朱熹の漢詩にある。

だが、私は、老いてなお諦めの悪い「学成り難い爺」の「向学心」なのである。

◆橋本治の力作『小林秀雄の恵み』

此の本を読んでからは、私にとっては『本居宣長』そのものが、核心に接近できるようになった。

私にとっては、「小林秀雄の解説書」としては名著である。

先日、ユリイカ出版「詩と批評」で、橋本治の特集が発行されていて、読んだ。

だがそれ程、感動が無かった。

私にとっては、『小林秀雄の恵み』だけが橋本治の全てである。

◆『小林秀雄の秘密』(佐藤公一著)

今日,徘徊先の千葉駅ビル(熊沢書店)で『小林秀雄の秘密』(佐藤公一著)を購入した。

サブタイトルには、・・・『本居宣長」をわかりやすく・・・とある。

即ち、名著「本居宣長」(小林秀雄)の入門書であり、私にとって、ドンピシャリの内容であり、コーヒーを飲みながら、早速読んだ。

内容は、ほとんど現代語訳で書かれている。

その為か、約2時間余で、ほとんど止まることなく読み終えた。

◆『本居宣長』(小林秀雄著)味読のために

内容は、『小林秀雄の恵み』(橋本治)と、『本居宣長』(小林秀雄)の下巻半分までの重ねた再確認・・・。

というか、“感受”であり、十分に清々しい気分である。

『本居宣長』味読のための、実に良い弾みとなったと感じている。

『小林秀雄の秘密』(佐藤公一)で、就中、次の個所は、溜飲が下がる想いで読んだ。

◆漢字の流入

「文字のない日本」に「漢字」というものが激しく流入してきた。

日本人は「書こう」と思っても、「日本の文字」がない。(中略)

秀雄が言っているのは、簡単なことである。

ふつう、日本人が英文を読む読む時、自然に「日本語訳」が心の中に浮かんでくる。

古代の日本人も、漢文を読む時、自然に「日本語」が浮かんできたのである。

◆令和の時代に

それが、「日本語の自覚、日本語の構造の自覚」となりながら、平安時代まで何百年間にもわたって潜伏してきて、それが顕在化したのが国字の「和歌の体」や「和文の体」で、国文の誕生となった。

つい最近、新元号『令和』が、万葉集からの引用として発表された。

嬉しい限りである。

東アジアに広がる広大な「漢字文化圏」は、四千年の歴史を誇る中国文化の偉大さである。

その事に、「漢詩愛好者」として、異論はない。

◆日本は特別であった

しかし同時に、漢字文化圏の中でも、「日本は特別であった」。

此のことに、誇らしい気持ちになるのである。

即ち、「漢字漢文を、訓読によって受け止めて、遂にこれを自国のうちに消化して了うという、鋭敏で、執拗な智慧は、恐らく漢語に関して、日本人だけが働かしたものであった。(p88)

という事である

まだまだ、この先も、『本居宣長』(小林秀雄)の「悪路」は続く。

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2019年5月14日 (火)

≪漢詩鑑賞≫月下獨酌(李白)

酒を題材にした李白の詩は多い。

中でも、「將進酒」「山中にて幽人と対酌す」「酒を把って月に問う」などが有名である。

この詩は、春の夜、月の光の下、ひとり酒を酌みながら、月と影とを相手にしている。

酒仙李白ならではの作品である。

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花間一壺(こ)の酒

独り酌んで相親しむ無し

杯を挙げて明月を邀(むか)

影に対して三人と成る

月既に飲(いん)を解せず

影徒(いたず)らに我が身に随う

暫く月と影とを伴いて

行楽須らく春に及ぶべし

我歌えば月徘徊し

我舞えば影凌乱(りょうらん)

醒時(せいじ)は同(とも)に交歓し

酔後は各(おのおの)分散す

永く無情の遊(ゆう)を結ばん

相期して雲漢邈(はるか)なり

 

 

 

 

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2019年5月12日 (日)

人は皆、同じ人間である(→間違い)、人は皆、違う人間である(→正解)

朝のMXテレビ(堀潤司会)の番組でのことである。

起業家の若い女性コメンテーター(名前は、失念)の発言に、共感した。

即ち、次の様に「最近の風潮」を批判していた。

「最近の風潮」とは、「人は皆、同じ人間である(人間としての権利を持つ)、だから差別は止めよう」というもの。

そんな風潮に対して、次のような批判内容だった。

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「人は皆、同じ人間である」→これは間違い。

「人は皆、違う人間である」→これが正解。

ズバリ、正しい指摘である。

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此れは謂わば当然で、人は皆、違う個性を持った人間である。

同じ人間などいない。

「その違いを認め合う事こそ、大切ではないか」と、その女性は主張していた。

その通りである。

何より、この主張には、「ウラ」がない。

純粋な感性である。

そういう処に、共感した。

*********

東大入学式で、上野千鶴子氏は、「世の中には、理不尽な事がたくさんある」と、「男女不平等の現実」を訴えたようだ。

この考えには「ウラ」がある。

上野氏の考えでは、国会議員の男女数、エリート官僚の男女数、東大合格者の男女数、夫々が男性に偏っている。

即ち、男性がイスタブリッシュメント(支配階級)を独占しているという。

これは、階級闘争史観を、少々、“衣替え”させたもの。

(田嶋陽子氏なども、そうだが)ジェンダーフリー思想である。

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その思想は、日常の細部に浸透している。

女性が云う「主人」発言を、「女性を奴隷化する」と批判したり、

「男らしさ」「女らしさ」発言を、男女差別助長と言って批判するなど。

学校現場でも、児童・生徒の「性差」を把握して指導するのは、当然の事である。

だが、「男女混合名簿」など、敢えて「男女の違い」を無視することがだ散見される。

*********

前述したように、「人は皆、同じ人間」なのではない。

人は皆、違う人間なのである。

これは、性的少数者(LGBT)の問題でも言える事である。「

トランスジェンダー」(性同一性障害)と「LGB」とは、別次元である。

それは、区別であって、差別ではない。

ジェンダーフリー思想とは、「人は皆、同じ(差別し、差別される)人間でなければならない」という認識の大前提が存在するのである。

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2019年5月11日 (土)

本音を言えば迫害される、中国知識人の恐懼(きょうく)と期待

◆米中貿易交渉決裂の背景

米中貿易交渉が“物別れ”となった。

トランプは、宣言通り25%に関税を引き上げた。

一旦は、妥協されかけた米中交渉が・・・何故なのか?

習近平の「それではダメ!」という“鶴の一声”が原因である。

◆米中の単なるチキンレースか?

この背景を見ると、習近平国家主席の権力が、驚くべき程強大であること。

そして、習近平は何より「自身の権力と体面」を優先させた事が分かる。

マスコミの一部は、これをチキンレースとしている。

トランプ大統領と習近平を同等に置いて、双方に「自制」を促している。

そこに疑問を感じる。

◆目指すは、独裁継続

しかし、そもそも、米国民の選挙で選ばれたトランプ大統領と、一方の習近平主席は、共産党独裁政権のトップである。

トランプの目指すは、米国民の利益(アメリカ・ファースト)である。

一方、習近平の目指すは、中国共産党独裁政権の継続である。

更に言えば、習近平個人の絶対権力(スターリン型独裁政治)が、脳裏を占める。

◆大中華帝国の皇帝

数年前、習近平は「私の夢は、大中華人民共和国(大中華帝国)の建設」と宣言した。

政敵を倒し、昨年憲法を改正し、国家主席の任期を廃止した。

この事で、習近平は永年の夢である「大中華帝国」の皇帝となった。

中国は、世界一の人口、多民族国家である。

◆マルクス・レーニンより孫子の「兵法」

元来、中国人は権謀術数に長けた民族である。

中国共産党員の思考方法は、やはり中国人の其れである。

「マルクス・レーニン」ではなく、孫子の「兵法」即ち戦わずして勝つ事である。

故に、相手が油断すると(戦わずして)領土・領海は、盗られてしまう。

これは、南シナ海・東シナ海の事実である。

◆忘れがちだが・・・

着々と軍事力・外交力・経済力を駆使し、覇権を拡大し、獲得した広大な国土を有する。

それが中国(中華人民共和国)であり、各地方政府には共産党書記が人民を監視し支配している。

その権力の頂点に、北京の「中国共産党」、そして習近平国家主席(皇帝)が、君臨している。

その事を忘れがちである。

◆天安門事件(1989年)以降の言論統制

それ以上に忘れがちなのは、今なお中国人民が弾圧され続けている。

言論統制という「恐怖政治」は、天安門事件(1989年)以来改善されることはなく、ますます強化されている。

福島香織氏(産経新聞)のレポートによれば、天安門事件から30年経つが、知識人・学生の迫害が再び始まったという。

この事実に、日本の多くのマスコミは、実に無頓着である。

(以下、福島香織氏の『月刊Hanada』6月号掲載の俊逸なレポートである、少し、要点を抜粋する)

◆知識人・学生が迫害

「我らの目下の恐懼(きょうく)と期待」という中国の清華大学許教授の文章が、政策批判したという理由だけで、停職処分となり、当局の取り調べを受けていること。(今年の三月)

その文章は、「四つのボトムライン(超えてはならない一線)と、恐懼(きょうく)と期待で始まる。

これは、中国知識人の抑制されているが、ホンネに近いものがある。

①私有財産は守られるか

②政治優先で経済を放棄するのか

③市民生活の自由

④政治の任期制度

◆八つの不安

①私有財産は守られるか

②政治優先で経済を放棄する

③階級闘争が始まるのか

④米国などと揉めて鎖国時代に突入するのか

⑤対外援助をやり過ぎて国民の財布のひもを縛らせるのか

⑥知識分子の思想改造を始めるのか

⑦軍拡競争に突入し戦争でもやらかすのか

⑧改革開放を終わらせるのか

◆八つの期待を込めた提言

①バラマキ外交をやめる

②主要外交における派手な浪費をやめる

③長老の利権特権廃止

④特別供給制度(公務員優遇)をやめる

⑤公務員の資産公開

⑥個人崇拝キャンペーンにブレーキ

⑦国家主席任期の回復

⑧天安門事件を再評価

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2019年5月 9日 (木)

安倍総理の、拉致解決に向けた一連の動きを、断固支持する

≪お知らせ≫

北朝鮮による日本人拉致被害者を救う

**国民大集会**

皆様のご参加を呼び掛けます!

(参加費:無料)

とき 令和元年5月19日(日)

    午後2時~4時半

ところ 東京都千代田区平河町2-7-4

    「シェーンバッハ・サボー」

    地下鉄永田町駅4番出口徒歩1分

呼びかけ人  救う会ボランティア 大窪由郎

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(ブログタイトル)

安倍総理の、拉致解決に向けた一連の動きを、断固支持する

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◆菅官房長官訪米の意味とは?

ニュースを聴いた時に、“いよいよ拉致問題が正念場を迎えた”感がした。

菅官房長官は訪米し、(異例な事だが)ペンス副大統領と面談する。

これは、「拉致」で米国と打合せすることが、主要な目的である。

◆冷静な菅氏

「ポスト安倍への布石」という某評論家の憶測(雑音)を、菅官房長官は冷静に無視している。

それで良い。

今の時点で、「拉致問題」での「国民への説明」は、一切必要ない。

◆目的は、「拉致問題の完全解決」

飽くまで日本政府(拉致対策本部)の目的は、「拉致問題の完全解決」である。

国民への説明(途中経過の説明など)ではない。

担当大臣として菅氏は、拉致問題解決の為に、米国側と用意周到な準備をしていただきたい。

そのように、私は強く願う。

◆拉致担当大臣として

日本政府の「拉致対策本部」は、名実ともに安倍総理の直轄である。

菅拉致担当大臣が総括責任者である。

私は、安倍総理の最も信頼している菅氏を、「拉致担当大臣」として信頼している。

◆交渉担当窓口が、内閣府の拉致対策本部である

従来の拉致交渉では、「交渉担当窓口」の外務省が前面に出ていた。

だが、北朝鮮の狡猾な駆け引きに翻弄され続けた。

外務省・官僚の体質からすれば、当然の失敗である。

今は、「交渉担当窓口」が、内閣府の拉致対策本部で、その事は北朝鮮も「認識」している。

◆タフなネゴシエーター・トランプ大統領

現実は、常に予測不可能である。

だが、制裁も効果が出ており、北朝鮮は国際的に追い詰められている。

その功労者は、狡猾な北朝鮮・金正恩を「手の平で玩んだ」タフなネゴシエーター・トランプ大統領である。

そして、日米同盟の固い結束を実現している安倍総理を挙げることが出来る。

◆安倍発言の深謀遠慮

安倍総理は、「北朝鮮の金正恩委員長とは、条件なしで会う用意がある」と言った。

この発言の意味は、とても深い。

北朝鮮が接近して来たことを来た暗示する。

未だ予断は持てないが、菅氏の訪米と合わせて、いよいよ拉致問題は「正念場を迎えた」と直感する。

それ以上は、分からないし、詮索すべきでもない。

◆辻元の安倍批判の罵声

そんな時である。

ニュースによれば、辻元清美(立憲)が、報道カメラに顔を晒して、安倍総理を口汚く非難した。

「今更、何云うてねん」と、(関西弁らしき言葉で)罵声を発していた。

辻元の頭の中には、「拉致問題の解決」は微塵もなく、「安倍への憎悪」で充満している。

永年「救う会」運動を続けて来た私は、安倍総理の一連の深謀遠慮を、深く信じている。

そして、最早、辻元には怒りが込み上げてくる。

◆安倍総理を信頼し、今は静かに見守れ!

自民党の逢沢氏(谷垣派)も、「国民への説明責任」を発言した。

正直に言って、「拉致問題の解決」よりも「説明責任」を、今の段階で云々する時ではない。

このような「不用意発言」は「自己保身」の発言だろうが、自民党の一員としては、恥ずべき驚きの発言である。

今は静かに見守れ!

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2019年5月 3日 (金)

皇位継承を巡って、不穏な動き《続》

◆昨日に、続き・・・

続いて、もう少し書き加える。

昨日、工藤美代子vs本郷和人の対談(月刊hanada)に違和感を感じた。

だが、全て否定しているのではない。

◆憶測で、物を言うべきではない

正確に言うならば、次の通りである。

「天皇は、”ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になって欲しい”とおっしゃったそうである」(p76)と、

(他人の言を借りた)憶測で、物を言うべきではない。

という事だ。

◆一人歩きする

憶測に、憶測を重ねると、其れが一人歩きをして、既成の事実(天皇の御心)になってしまう。

(他人の言を借りた)憶測を基(もと)に、議論を続けると、どうなるか。

彼是の議論の末に、「それでは、スッキリ」と、「国民の意志(国民投票)で、女系女性天皇の是非を決めましょうや!」

とまで、発展しかねない。

皇統の継続は、憲法の目線で論じるべきではない。

◆述べるなら自分の言葉(私見)で

識者(ジャーナリスト)であるならば、このような風評は、慎むべきだ。

若し、「意見」を述べるならば、自分の言葉(私見)として述べるべき。

それが、学者やジャーナリストの正しい振る舞いである。

◆GHQの陰謀

同誌の中(p79)で、工藤美代子氏は、「あくまで私見ですが」と断って、以下の様に述べている。

現在こんなに皇族が減ってしまったのはマッカーサーの陰謀ではないか、とさえ思っています。

占領軍は、本当は皇室の制度をなくしたかった。

でも、昭和天皇があまりにも国民に慕われていたので、これを利用して日本を統治したほうが早いと判断した。

◆カギは『旧宮家の復活』にある

この工藤氏の見解(歴史認識)には、私も同意する。

そして、「皇統の継続」のカギが、実は、「旧宮家の復活」にこそ隠されている。

何故、此れを、議論しないのか?

「皇室の危機」を憂うならば、GHQによって廃絶させられた『旧宮家』を復活すれば、全て根本的・永続的に解決するではないか。

◆心配のタネが全部解消される

「側室制度の復活も現実的には難しいので、男系男子の継承を望む人たちは、いわば悠仁さまにすべての期待を掛けているわけですね」(本郷)という心配のタネは一切消滅する。

これにより、「そこまでの重圧を一人の人間に押し付けてしまっていいのだろうか」(本郷)という心配も、解消される。

無用な論争は無くなり、万世一系は維持される。

最後に、「何よりも、皇室の繁栄が未来永劫続くことを願ってやみません」(工藤)という言葉は、私も同感だ。

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2019年5月 2日 (木)

皇位継承を巡って、不穏な動き

◆不穏な動き

令和時代になって僅か2日目。

世の中祝賀ムードだけではない。

皇位継承を巡って、早くもリベラル・左翼のジャーナリズムは、不穏な動きを示している。

即ち、「憲法」を理由にした「皇統」(男系男子による皇位継承)の破壊である。

◆メデイアによる「女性天皇」キャンペーン

就中、テレ朝や、TBSでは、それが顕著である。

「皇室の危機」という危機感を煽り、「皇統のあり方」「女性天皇」への議論を呼び掛けている。

しかしそれは、メデイアの好むような内容での、「皇統のあり方」「女性天皇」の議論である。

議論というよりは、「愛子天皇を期待する」キャンペーン(=プロパガンダ)である。

聡明な愛子様にとっては、過度の”重苦しい期待”であろう。

皇后陛下の時のように、重圧に苦しまれるのではないか、と心配する。

◆純粋に心配しているのではない

しかし、ジャーナリズム自身の<動機>が、不純であることが垣間見える。

私は、次の様に感じる。

(1)彼等は、純粋に「皇室の御繁栄」を願っているのではない。

(2)また、「皇室の危機」を心配しているのではない。

彼等は、「皇室の危機回避」なる“善意の仮面”を被っているだけだ。

◆政治的仕掛け

内実は、保守派に対する、リベラル・左翼の政治的「仕掛け」である。

と、私は直感する。

思い起こすがよい。

日本の政治の表舞台に、自民党政権が再び登場した。そして…

安倍自民党の長期政権は、以前として国民の支持を得ている。

まだまだ堅調である。

◆「女性天皇」=反安倍政権キャンペーンの意図

一方、野党は完全に埋没していた。

「モリ・カケ」疑惑も不発だった。

「新元号・令和」に対して(犬の条件反射のように)難癖をつけたが、国民の支持上昇で沈黙した。

(それが現状)

国政・外交防衛共に、政策論争では全く、安倍政権に歯が立たない。

その為、皇位継承を機に、「女性天皇」を反安倍政権キャンペーンとして利用する。

そういう事である。

そのような直観である。

◆皇室の伝統と憲法

「皇統のあり方」とは、男系男子による皇位継承という、皇室の伝統を指す。

二千年の皇統の伝統と、70年の憲法の歴史とでは、<秤>は不均衡である。

TBSでは、今日も、相変わらず。

「男女同権」の憲法の観点から、、「女性天皇」を喧伝していた。

その上、「男系男子による皇位継承」に批判的な「海外ジャーナリズム」(WP、NYタイムズ等)の論評を紹介した。

普段は、皇室の事に無関心でも、賢しらな顔をして、「皇室の危機」「女性天皇」云々と喧伝する。

◆噂【うわさ】が独り歩き

月刊Hanadaですら、(一部であるが)奇妙である。

『令和時代と皇室の危機』特集で、「愛子さまが天皇になる日」というタイトルで、工藤美代子と本郷和人の軽薄な対談を掲載している。

『噂話』をもとに、「女性天皇」が独り歩きしているのである。

(少し抜粋する)

・・・・・・・・・・・・

【工藤】

ある人物によると天皇は「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい

だけど、自分も長く元気ではいられないだろうから、早く議論を進めてほしい」とおっしゃったそうである

(※注意 これは、ノンフィクション作家奥野修司の書いた噂話を、もとに話をしている)

【本郷】

発言の信ぴょう性は高いと。

【工藤】

はい。少なくとも宮内庁の考えなのではないかと。

・・・・・・

【工藤】

悠仁さまに譲るまでの間の中継ぎとして(愛子さまを)天皇に即位させたい、というメッセージをお出しになったとしたら・・・。

【本郷】

超弩級のメッセージですね。

【工藤】

それに反対する国民はほとんどいないと思います。

【本郷】

いないでしょうね

※本郷和人氏は、歴史学者であり、工藤美代子氏は、ノンフィクション作家だが、随分無責任な議論である。

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私が、正直、最も恐れるのは、、「皇位継承を(民主的に?)国民投票で決める」という事態になる事である。

 

 

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2019年5月 1日 (水)

めでたい日に、テレ朝(玉川徹)の「不用意発言」

◆謹賀新元号

今日は、令和元年、新天皇が即位された、めでたい日である。

◆テレビ報道の違和感

其の日に、テレ朝番組を違和感を持ってみた。

一つは、皇室のあゆみで、テレビ画面に「西暦」があるが、「元号」の表示がない。

元号に慣れ親しんだ小生としては、西暦はピンとこない。

二つは、新皇后陛下を、「雅子様」と呼んでいる事である。

これは、”親しみ”とは違うもので、公共放送では、皇后陛下と呼ぶべきだろう。

◆玉川氏(テレ朝社員)の不用意発言

しかし、最大の違和感は、其処ではない。

ナマ放映番組の中で、玉川徹氏は、耳を疑う発言(不用意な発言)をした。

「女性天皇を認めれば、(病状はすぐに回復し)雅子様は“元気”になる」という内容である。

◆勝手な憶測発言

ここで、「女性天皇」とは、明らかに「愛子天皇」を意味する。

雅子様は“元気になる”とは、明らかに、雅子様が「女性天皇=愛子天皇」を望んでいる。

という玉川氏の勝手な推測に基づく主張である。

◆何故このような発言をしたのか?

玉川氏は「女系女性」を認めるべき、という皇統を否定する主張を、昨日から何度も繰り返していた。

それには勿論反対だが、「言論の自由」だから、玉川氏の「主張」として聞いていた。

しかし、今日のテレ朝番組での「玉川発言」は看過できない。

勿論、この発言には文脈がある

玉川氏の論旨は、「雅子様は、後継ぎ男子を生むことが義務」という保守派(?)の偏見・重圧によって悩まれ、体調を崩した」という決め付けである。

しかし、私も保守派だが、それは一方的な「決め付け」である。

◆当時を振り返れば、わかる

国民は、誰もが皇統の継続を願い、其れゆえに「跡継ぎ男子」の誕生を望んでいた。

それは、自然な風潮である。

その後、「雅子妃殿下が、体調を崩した」時は、ご快癒を祈った。

少しずつ、少しずつ、雅子皇后陛下も、ご快癒されてきた。

無理をせず、公務を行っていただきたいと、願っている。

そして、今日、天皇・皇后両陛下は国民の祝意の基に、令和の新時代を迎えられた。

其れが文脈の概要である。

◆いくら何でもひど過ぎる

「女性天皇」を認めれば、(病状はすぐに回復し)雅子様は元気になる。

という玉川氏の発言は、雅子様の心を代弁(?)するという勝手な憶測である。

皇后陛下が、この不用意発言で憂鬱になられることが、私は心配だ。

「皇后陛下ご自身が、愛子天皇を望んでおられる」と誤解を呼ぶような、玉川氏の『憶測発言』に対して厳重に抗議する。

いくら何でもひど過ぎる発言だ。

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