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2019年3月

2019年3月31日 (日)

『小林秀雄の恵み』(橋本治著)読後感想(2)

◆空っぽの容器(頭)

空腹だと、食べるもの全てが美味だ。

私の「古文の頭(あたま)の中」は、空っぽだ。

だから、著者がわかり易く説明する『源氏物語』の中に在る「生の声」が、実に美味しい。

空っぽの私の頭の中に、ドクン~と入っている。

田舎者爺が、初めて和歌の世界の戸口に立ったような興奮する気分である。

◆源氏の生の声

袖ぬるる露のゆかりと思ふにも

なほうとまれぬ大和なでしこ

源氏との間に不義の子を生んでしまった藤壺が、自分の生んだ子を「好きになれないーなほうとまれぬ」と断言して、独りでこっそりこのように詠んだ歌である。

即ち、『源氏物語』に登場する作中人物達の「会話」であり、「生の声」である。

私の興奮の正体である。

◆虚構ゆえの深み

“虚構ゆえの深みから発せられた声は、単調なる現実に生きる者達の語る声よりずっと深い”と著者は説明する。

私はこれを「何て美しい文なのだ!」と感心する。

「小林秀雄はいい人だ」と感じる橋本治は、小林秀雄は初めから“古典”だ、とも述べている。

「小林秀雄=本居宣長」という単純な理解は拒絶される。だが、

本居宣長と小林秀雄は、橋本治には、”古典”として重なり合う。私は、三人の舞台を大向うで立って観ている。

私は気楽な部外者だ。

◆物狂おしさ

眠れば毎晩夢に見るー小林秀雄が語る「宣長の物狂おしさ」とは何か?

「老樂の恋」の中にいた宣長自身なのか?よくわからない。

わからないが、次の歌は、一般に「辞世」と解されている。

山むろに ちとせの春の 宿しめて

風にしられぬ 花をこそ見め

今よりは はかなき身とは なげかじよ

千代のすみかを もとめえつれば

◆歌人の眼差し

「和歌を詠む宣長」は、その後どうなるのか?どうともならない。

どうともなる必要はない。

「物のあはれ」を≪人の情(ココロ)の、事にふれて感(ウゴ)く≫と理解してしまったら、その先にどうなる必要もない。

「和歌を詠む宣長」は、一つの達成を得てしまっているからである。

宣長は歌を詠む。他人とは無縁のところで和歌を詠む。その和歌は「独白」でしかない。と橋本治は思索する。

≪歌人の眼差し≫ーこれは、彼の学問の一番深いところに隠れていた彼の志と言える、と。

◆宣長の遺言書

「あなものぐるほし」と一括されてしまうような「宣長の桜への偏愛」と共に「遺言書」についてである。

遺言書は、(1)自分の葬式の出し方、(2)墓のありよう、(3)死んだ後の忌日の式次第、と詳しい。

これは、橋本治によれば、①彼の思想の結実であり、敢えて最後の述作と言いたい趣のもの、②ここに健全な思想家の姿がある、③遺言書と言うよりはむしろ独白であり、信念の披瀝。

そして、「遺言書を書く本居宣長」は、十分に周囲を混乱させている。

小林秀雄は、宣長の境地がどのようなものかを語らない。「語る必要がない」と思っている。と煙に巻く。

橋本治は、其れを言うならば「健全な思想家の最後の遊び」とまとめるのである。

「最後の遊び」とは、文筆家らしい言葉だが、私には真意がよく分からない。

◆隠れていた部分

自分の身丈にしっくりあった思想しか、決して語らなかった≪誠実な思想家≫には、≪最も近づいたと信じていた人々の眼にも、隠れていた≫部分があった。

「隠れていたとは、ミステリー小説のようだが、宣長は、そのミステリーに対しても、「困ることなく」沈黙している。

何故なら、宣長は、死ぬと同時に「秘密にしていた愛人(桜)との同居」を開始する事、としている。

逆に言えば、「宣長が困るのは、誤解されることではなく、正しく真意を言い当てられてしまうこと」と小林秀雄と橋本治は、得心する。

◆小林秀雄とは何者か?

橋本治は、本居宣長と同じで、小林秀雄もまた≪世に学問程面白きものはなし、と思い込み初心を貫いた人≫である。

小林秀雄が自認する『売文業』ーこれは彼の戦略であり、名声!の拒絶である。

これこそが「生業の町医者であることを、“学者であるあること”より優先させた本居宣長」と一致する、と思考する。

そして、著者は、いつの間にか「小林秀雄の偉大」を語っているのか、「偉大に見える小林秀雄の混乱」を語っているのか、よくわからなくなっている。

と自らの混乱を語る。

しかし、本居宣長を遡ることで、重要なのは、ただ「小林秀雄の書いたことを読む」だけであろう。

と気を取り直しているようにも見える。

(続く)

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2019年3月30日 (土)

ドキュメンタリードラマ≪前略めぐみちゃんへ≫横田夫妻最後の闘い(フジテレビ)を観る

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今日、夕方フジテレビで、拉致問題を扱ったドキュメンタリードラマを観た。

タイトルは、≪前略めぐみちゃんへ≫である。

北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんのご両親の長年に亘る闘いの記録を「事実に基づいて作成した」ドキュメンタリードラマである。

私は、何度も何度も、涙が流れて流れて止まらなかった。女優の菊池桃子さんが母親の横田早紀江さんを熱演していた。

ドラマは、一点の誇張も、嘘もない、すべて真実である。

「私は日本を信じる。だからお前(拉致被害者の娘)も日本を信じなさい!」という家族の言葉が、胸に突き刺さる。

北朝鮮による日本人拉致は、“過去の出来事”ではなく、“現在進行形の国家犯罪”である。この認識を新たにした。

横田めぐみさんたちは、今も「日本からの救出」を待っている。声を潜めて待っているのだ。

此のような「インパクトのある」ドキュメンタリードラマを放映してくれたフジテレビには、心から敬意を表したい。

NHKを含むテレビ各局にも、『拉致問題の特番』を組んでほしいという気持ちである。

出来る限り早く、全ての拉致被害者が日本に帰国できることを切に願う。それまで、私の『日本人拉致被害者を救う会』の闘いは続く。

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『小林秀雄の恵み』(橋本治著)読後雑感(1)

◆一番難解な文章

小林秀雄の『本居宣長』は、「当時の日本で一番難解」と言われている。と、著者・橋本治は述べている。

それは、“本居宣長”が難解なのか、それを著書のタイトルにする“小林秀雄”という人物が難解なのか?それとも、難解なのは、本居宣長の“思考”か、小林秀雄の其れか?判然としない。

しかし、専門家をして「難解」と言わしめるのだから、素人の私にとっては、さらに遠い世界での「超難解」な対象となる。それが、私にとっての本居宣長であり、小林秀雄である。

◆いつかは、クラウン

若い頃だが、「いつかは、クラウン」というトヨタのCMがあった。これは、何時の日にか高級車(クラウン)に乗れるようなリッチな身分になりたい。という上昇志向をくすぐったもの。

馬鹿だが、上昇志向だけは今もある。そして私は決めた。「よし、いつかは、小林秀雄だ!」「もう一度、学問をやってみようかな」と。

橋本治に上図に乗せられて始めた“無鉄砲”である。著者は、私と同年代(昭和23年生まれ)という親近感も手伝った。

◆ハウツー登山本

而して、『本居宣長』(小林秀雄著)を読む前に、登山前の準備として『小林秀雄の恵み』(橋本治著)を読むことにした。

登山前の準備と言っても、難解な「ハウツー本」であることに、すぐ気づく。

だが、「・・・読めなかったら読めないで、バカにする手もあるさ」「・・・そして感動してしまった」という橋本治の「感想」に後押しされた。

◆愛のある論考、一日一章

決定的なのは、“「小林秀雄はいい人だ」”。という記述である。そんな「愛のある論考」に、私は“無鉄砲”だが、素直に従って、『小林秀雄の恵み』を読み始めた。

一日4~5時間、一日一章のスピードで、(私にとっては)懸命にわき目もふらず読んだ。全部で10章、10日間で読み終えた。

このスピードが、速いか遅いかは、私には分からない。しかし、読んでいて理解できる(?)のは4割程度で、残りの6割は読み返しても、意味が難解である。

しかし、その「分からなさ」を看過してしまえば、容易に小林秀雄は分かる。と云う著者の励ましで、読み続ける。登山前の準備は、登山よりも過酷かも知れない。

◆三者鼎談

『本居宣長』を書いた小林秀雄を論ずるためには、それと対峙する私(=橋本治)をはっきりさせなければならない。著者の橋本氏は、本居宣長と小林秀雄、そして私との位置関係について、次の様に述べている。

・・・なぜかと言えば、『本居宣長』は読み手のあり方を問題にする本だからであり、「小林秀雄を読む」という事は、結局、自分を語ることなのである。

これは、三者(本居宣長vs小林秀雄vs橋本治)がスポットライトの浴びる舞台の上で、鼎談をしている様を想像する。其の鼎談は時空を超えた濃密な時間である。勿論、私は、観客の一人だ。

◆三人三様の「独白」

「宣長の歌」を基軸と据えれば本居宣長というの仕事は、そうそう難解ではなくなる。・・・ここまでで、私のいう事は、「このような補助線を引かないと、小林秀雄の『本居宣長』は(私には)解読できない」の、ただそれだけである。

舞台の上で、三者三様「独白」しているように思える。

橋本治は『本居宣長』の複雑な構造は「難解な悪路を行くバスの乗客」と不平を言い、本居宣長の思想が「一度読んだだけで分かってたまるもんか」とつき放つ小林秀雄の声。そして、桜を詠ずる本居宣長の姿が、舞台の上に見える。

◆老いらくの恋

わするなよ わがおいらくの 春迄も

わかぎの桜 うえし契を

本告宣長は、墓の周りに植えた。そして、「老樂の恋」のように、桜に恋した。この歌は、紛うことない恋歌なのである。

◆書かれる本居宣長、書く小林秀雄

著者・橋本治は、次の様に、途中「補助線」を入れている。

「オリジナルな思想家のいう事をちゃんと理解するのは難しい。弟子とか、専門家ほどよく誤解するというのは、小林秀雄の説法の型でもある。そこには「書かれる本居宣長」と「書く小林秀雄」の両方がいる。

「書かれる本居宣長」はその事実に関して黙したまま「桜との恋」の中にいる「書く小林秀雄」の前には、「では、さよなら」と言って姿を消す折口信夫がいた。

◆隠していた部分

小林秀雄が戻るべきところは、彼が設定してしまった「保留」なのだ。「保留」はある。と橋本氏は言う。

だが、私(=大窪由郎)は、この「保留」を本居宣長の≪隠れていた部分≫と読んだ。

そして、橋本治は、「・・・だからこそ『本居宣長』は、“難解”になる、と「悪路」をバスで行く。そのバスに私も同乗しているのだが・・・。

(続く)

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2019年3月29日 (金)

元号は日本史を彩(いろど)る

◆自由過ぎる雑談・放談

今朝のテレ朝で、新元号についての、“自由過ぎる雑談・放談”を観た。西暦と元号についてである。

玉川氏が、話の流れで、主張を述べていた。

1つは、「役所の文書で、西暦に一本化した方が効率的だ」

後1つは、「日本史も西暦表記なので、世界史との関係がわかる」と。

◆1秒のロス?

某歴史学者は、≪前者≫については、「担当者の机の横には、元号・西暦の変換表があるから、大丈夫」「1秒くらいの(変換)ロスは仕方がない」と返答した。

≪後者≫については、「例えば、“承久の乱”(承久3年・1221年)が、“1221年の乱”では(無味乾燥で)分かり難い」と、解説していた。同感である。

◆答えは、簡単である

日本史のテキストでは、元号と西暦を併記すれば済む。

西暦によって、世界史との関係がわかる。

何より、≪元号≫によって、日本史を彩(いろど)ることができる。

◆大化元年

西暦645年が、「大化元年」である。

その後、継続的に「元号」が使われるようになったようになったのは、文武(もんむ)天皇が、「大宝」を建元した701年からである。

◆遷都

和銅3年(710)に都を藤原京から平城京に移す。以後70年余りを平城京時代と呼ぶ。

(因みに、平城京時代の前は、飛鳥時代である。)

その後、延暦3年(784)に平城京から長岡京へ遷都した。

◆平安時代は成熟した官僚社会

『日本国紀』(百田尚樹著)によれば、長岡京(10年間)は長い間、「幻の都」とされてきた。

だったが、(古文書を基に)戦後の発掘調査により、平城京に匹敵するほどの完成された都であることが分かった、という。

延暦13年(794)、桓武天皇は平安京に遷都した。

これを平安時代と呼ぶが、一口で言えば其れは、「成熟した官僚社会」である。

◆日記は重要な仕事

秩序社会に生きる官僚貴族にとって、日記(ほゞ政治の記録である)ということは重要な仕事である。

つまり「先例に生きて、後の先例になる」という官僚の伝統は、現代でも同じである。

当時の朝廷官僚は「人の話したことを漢文(公式文書)に仕立てる能力」において極めて優秀であった。

その背景には、仏教と儒教と、その両方を、知識人のテキストとして日本に定着させた聖徳太子の、飛鳥時代が意味を持つ。

◆現代に繋がる先例政治

最近、公務員の「公文書改竄」という事が、政治問題になっていた。

だが、「先例に生きて、後の先例になる」官僚としては、愚かな行為である。

政治文書(日記)を残す事は、官僚の官僚たる所以であり、その文中記した元号が重要な意味を持つ。

◆日本の歴史の重み

飛鳥から平安へと、官僚の知性を慮(おもんばか)れば、軽々に「元号の廃止」「女性天皇の容認」等を話題にすることは、あり得ぬことである。

下剋上によって秩序社会が崩壊したのが戦国時代だった。

その時代でさえ、“天皇の権威”が脈々と連なっている。その権威は武力では奪えない。

それが、日本の歴史の重みである。

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2019年3月27日 (水)

≪漢詩鑑賞≫將進酒(李白)

李白は60余年の生涯を酒と共に過ごしていた。

中国文学の石川忠久先生によれば、李白には二つの大きな理想があったという。その一つは、天下を補佐して天下に太平を敷くこと。もう一つは文学によって、後世に名を残すことであった。

・・・だが、それを十分に生かし切れない拘束の多い世界である。だから、「人生の得意須らく歓を尽くすべし」と呼びかけ、そして酒を飲み、万古の愁いを消そうというのである。

酒が醒めると更に愁うことになるので、「但だ願わくは長酔して醒むるを用いざるを」と詠じた。杜甫は、李白を次の様に評している。

李白は酒を飲むと、こまかいところにはこだわらなかった。しかし、酔った時に書いた文には誤りのあったためしがない。しかも、酔っていない人と議論をするにしても、李白が考える以上の意見は出てこなかった。

当時の人々は、李白を“酔聖”と呼んだという。

漢詩には酒を詠じたものが多い。この詩もまた、酒の賛歌である。私は、中国の漢詩と、日本の和歌を比較してみると明らかに違う感受を覚える。未だハッキリとは分からないが。

中国の漢詩は、「政治と深く接している」が、日本の和歌は、政治とは距離を置いた「純文学」である。繊細な和歌にはない、雄々しさが漢詩にはあると思う。

どちらが優劣という事ではない。少し、思っただけである。

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將進酒

君不見       君見ずや 

黄河之水天上來  黄河の水天上より来るを

奔流到海不復囘  奔流海に到って復た回らず

君不見       君見ずや

高堂明鏡悲白髪  高堂の明鏡白髪を悲しむを

朝如靑絲暮成雪  朝青糸きもれには

人生得意須盡歓  人生の得意須らく歓を尽くすべし

莫使金樽空對月  金樽をしてしくせしむるかれ

天生我材必有用  天我が材を生ずる必ず用有り

千金散盡還復來  千金散じ尽くせば還た復た来瀾 

烹羊宰牛且為樂  羊烹牛してしみをさん

會須一飲三百杯  会ず須らく一飲三百杯なるべし

岑夫子 丹邱生  岑夫子 丹邱生

進酒君莫停    酒を進む君停むる莫かれ

與君歌一曲    君が与に一曲を歌わん

請君為我傾耳聴  請う君我が為に耳を傾けて聴け

鐘鼓饌玉不足貴  鐘鼓饌玉貴ぶに足らず

但願長酔不用醒  但わくは長酔してむるをいざるを

古来聖賢皆寂寞  古来聖賢皆寂寞

惟有飲者留其名  惟のみむる

陳王昔時宴平楽  陳王昔時平楽に宴し

斗酒十千恣歓謔  斗酒十千歓謔を恣にす

主人何為言少銭  主人何為れど銭少なしと言わん

徑須嗄取對君酌  径ちにらくってしてむべし

五花馬 千金裘  五花の馬 千金の裘

呼児將出換美酒  児を呼び将き出して美酒に換え

與爾同銷萬古愁  爾と同に銷さん万古の愁いを

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2019年3月26日 (火)

みちの奥、そのまた奥地、札幌は函館の奥地

「バカっぽい」話題で、スイマセン。今朝、「麻生発言が波紋」という訳の分からぬTBSニュースを見た。


25日の国会中継を観ていた私には「またTBSの切り取り言葉狩りが始まった」くらいにしか思わない。だが、はじめての人は、「また何か?麻生太郎の失言?」とイメージを膨らませるだろう。


私は、「一見利口そう」な参議院議員・徳永エリさんと、「面白い爺さん風」の麻生太郎財務大臣との“国会質疑”をライブで観ていた。だから言うが、「麻生発言には、何の問題もない」と感じていた。それで終わりと思っていた。


しかし、「火(ひ)の無い処にも、煙は立つ」ものらしい。「波紋」の正体は、「野党議員の反発」という政治的意図らしい。馬鹿々々しいが、事の経緯を、簡単にまとめて置こう。(背景には、北海道知事選がある事をおさえて置こう)


(1)北海道新幹線の札幌延伸で、徳永エリ議員が質問する。(2)麻生発言は、「(札幌延伸で)もう奥地の札幌が奥地ではない」「函館の人が、札幌の人に、“奥地からようこそ”と歓迎している」「函館の人は、プライドがあるなと思った」(3)徳永エリ議員は、「北海道の人は“奥地”とは言わない」「(本州を)内地とは言うが」「適切ではない」と言って質問を終えた。


徳永議員は、「北海道の人は“奥地”とは言わない」と言うが、間違っている。


女房の実家が函館なので、訊ねてみると、「函館のひとは、札幌(方面)を奥地と言う」のは事実である。しかし、「奥地」は差別用語ではない。


「札幌の人は、“奥地からようこそ”に、差別や嫌味を感じて」はいない。そんなことに「適切ではない」と反応する徳永議員は、思考がどうかしている。


「奥地」は、単に、東京から見て、(地理的に)札幌は、函館の奥にあるという意味である。江戸時代以降、東京(江戸)を起点として、上り・下りがある。何の差別感もない。


松尾芭蕉が、紀行文『奥の細道』を書いたころは、「みちのく」(陸奥)には、今の青森県は含まれていない。従って、北海道は、「道の奥の、更にその奥」になる。


また、石川さゆりの名曲に「あれが竜飛岬、北のはずれと、行き交う人が指をさす」とある。北海道は、その更に北に位置している。


徳永議員は、以前にも「安倍政権の拉致問題対策」を批判して、「拉致家族が安倍総理を批判している」と事実無根をデッチ挙げ、拉致家族から顰蹙(ヒンシュク)を買った前科がある。


「北海道の人は、そう言わない」というのは、彼女の無知であって、北海道の南部にある「函館の人は、そう言う」ことを知らないだけ。「奥地」という言葉は、差別用語などではない。「適切でない」というのは、意味不明の反発でしかない。


 


 


 


 


 

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2019年3月25日 (月)

誠実過ぎる安倍総理、野暮すぎる野党

昨夜は、遅くまで読書をしていた。
『小林秀雄の恵み』(橋本治著)を、日々味読している。
『日本語は美しいなあ」と感動する場面に出会う。
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敷島の大和心を人問わば
朝日ににおふ山桜花(本居宣長)
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「におふ」の意味は「匂う」と思っていた。
しかし、古文では「にほふ」は「色が(に)染まる」という意味だという。
そんなの、常識と笑われるだろう。
だが、昔から古文苦手の私には、新鮮な感動だった。
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著者の説明が、分かりやすい。
それに、日本語は実に美しいと感じる。
著者・橋本治氏が、学者ではなく、小説家だからかも知れない。
日々好日である。
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今朝は、そんな夢現(ゆめうつつ)のなかで、テレビを観た。
日本の政治状況を知るために、NHK国会質疑を観た。
参議院予算委員会である。
率直に言えば、面白くもない、勿論の事、感動もない。
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(参議院議員の)選挙が近いせいか、「地元」有権者を意識した発言が多い。
安倍総理の答弁は誠実過ぎる。
野党の質問は野暮すぎる。
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そんな中で、徳永エリ議員の「北海道は、奥地か?」趣旨の質問をした。
麻生財務大臣が、次の様に答弁した。
「北海道は広い」「函館の人は札幌を、奥地と表現する」「これは函館の人のプライドか?」
実に、見事な麻生答弁である。
しかし、徳永議員は、野暮である。
予め用意した「決め台詞」(奥地とは侮辱だ!)と反発した。
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2019年3月23日 (土)

彼イチロー・スズキは、‟言葉”で我々を魅了した

シアトル・マリナーズ所属の野球選手であるICHIRO(45歳)の「引退記者会見」を観た。
人の会話も亦一種の「言語中枢運動」と見るならば、彼の華麗な全身運動(エクササイス)と同様に、凄い言葉の「反射神経」を示していた。
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これは、スポーツ選手を通り越している。
誇張なく言っても、「人間」としても驚嘆した「引退会見」だった。
彼イチロー・スズキは、“言葉”でも我々を魅了したのである。
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彼の言葉は、「解説者」の解説を必要としない。
否寧ろ、余分な「解説」を拒絶する。
彼の深奥にある一つの真理である。
我々は、其のまま受け入れるしかない。
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===美は、人を沈黙させる===
フジテレビの反町氏は、「・・・少しだけ誇りに思える」とのイチロー回答に、「感動した」と。
言葉少なであった。
それは、反町氏自身の“正直”を表す。
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平安期の恋文としての和歌を例として、その和歌の内容と共に、書体の美しさが大切だ。
恋文としては、言葉と文字、両方が必須である。
「それで、伝わる」と、小林秀雄は何かの本で述べていた。
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「お喋り」を生業とするスポーツ記者たちが、夫々「イチロー」に「沈黙」している。
あの場面では、CHIROとの「会話」に、
完全に“魅了”されてしまっている。
超一流のスポーツ選手である、彼イチロー・スズキは、“言葉”で、我々を魅了した。


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2019年3月21日 (木)

希望に満ちた新元号の発表を前に、水を差すような「女系天皇容認論」(テレビ朝日)で喧しい!

新元号の発表(4月1日)まで、あと11日。
待ち遠しい気持ちである。
この気持ちは、元旦の朝、“初日の出”を持ち望むような、希望に満ちたものである。
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此れは、今上陛下が「譲位」の意向を示された。
其れを受けて安倍内閣で、有識者会議の議論を経て、「皇位継承」を具体化したものである。
歓びと共に、新元号を迎えることが出来る.
これは、今上陛下の御心のお蔭である。
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新元号を機に、もう一度、学問をやってみようかな。
という前向きの気持ちになれる。
靖国神社では、桜の開花が発表された。
日本は、良き国である。
この国柄は、永く受け継いでほしいものだ。
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ところで、今朝『テレ朝』の番組では、皇位継承問題を論じていた。
全体としては、「女系天皇もアリ!」という内容。
「男女同権が~」「民主憲法の精神が~」「国民の望む皇室が~」と、喧しい。
そこには、最終的に「男系天皇の伝統」を否定する意図が見え隠れする。
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男系男子の断絶を心配するならば、解決策は簡単なこと。
戦後、廃止させられた旧皇族を復活させればよい。
男女同権の延長としての女系天皇は、皇位継承の伝統とは無関係。
民主主義とも無関係である。
******
国民の望む皇室が~、と云うならば、皇位継承を「国民投票」で決めるつもりか?
番組は、国民の7割が「女系天皇容認」と断定していた。
こんな「世論調査」の先にあるのは、何か?
「国民投票」という、芸能人の「人気投票」のような暴挙である。
******
折角の新元号を前にして、水を差すような議論である。

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2019年3月20日 (水)

新元号を機に、もう一度、学問をやってみようかな

☆……☆……☆……☆
敷島の大和心のををしさは
事ある時ぞあらわれにける
(明治天皇御製)
☆……☆……☆……☆
 明治天皇が、日露戦争前夜「国難の時」に詠んだ歌である。
安倍総理は此の歌を、演説の中で紹介した。普通に解釈すれば、「国難の時にこそ日本人が内に秘めた雄々しさが現れる」という意味である。
 ところが、国会議員の小西洋之が「戦争の歌だ!」と、国会質疑で大騒ぎした。小西氏からは、どう解釈すれば、「戦争の歌」になるのか?の説明が無い。
 単に、「日清戦争、日露戦争」と続く国難であった「時代」を指して、「戦争の歌」と決め付けているに過ぎない。どうやら小西氏は、「大和心」を知らない様である。
☆……☆……☆……☆
敷島の大和心を人問えば
朝日に匂う山桜花
(本居宣長)
☆……☆……☆……☆
 『本居宣長』(上下巻)といえば、小林秀雄の代表作である。
だが、あまりにも難解ゆえに、初めから敬遠している。小林秀雄の著書を読むのは、現代国語の能力に乏しい私にはとても難解である。況や古文となれば、昔高校生の頃、赤点ばかりだった程、苦手である。
 しかし、私は元来「無謀」な性格である。
 その為、「難解」なほど挑戦したくなる。齢70を過ぎて、時間はたっぷりあるから「小林秀雄」を読もうとして小冊子を読んで行くうちに面白い。と感じるようになった。
 高校生の時に、頭の片隅に「受験」を意識して読むのとは違う「面白さ」である。
 最近読んだ、『学生との対話』(小林秀雄)という講義記録によれば、「大和心」という言葉は平安期の言葉で「平安期の文学を知らない人には「大和心」などという言葉は分からない」(昭和45年8月)と述べている。
 それまで平安期の文学を知らず、「大和心」「大和魂」という言葉を無造作に使っていた私は、衝撃を受けた。自らの無教養と常識の無さを恥じた。次の瞬間、湧き出る嬉しさを感じた。
 最近、本屋で、『小林秀雄の恵み』(橋本治著)という本を発見した。帯には、「もう一度、学問をやってみようかな」と書いていた。更に、「学問とは、人生そのもの。本居宣長、小林秀雄、橋本治をつらぬく一本の道ー。」とある。
 70過ぎの市井の爺である私には、此の「フレーズ」が気に入った。
 小林秀雄は、私にとってエベレストの頂上を目指すような、「無謀」過ぎる挑戦である。しかし、著者の橋本治ならば、昭和23年生まれで同時代に「生きた」という気安さから、高く険しい山とはいえ、エベレストに例えるならば7合目あたりだろう。
 橋本治は、エベレストの案内人でもあった。
 橋本治は、「37歳で読んだこの本(『本居宣長』上下巻)に震えるほど感動した」と述べている。更に、私は、「現代国語の教科書で「小林秀雄」の名を知る。だから教科書に載っていただろう小林秀雄の文章を「読んだ」という記憶がない。
 ・・・だから、「当時の日本で一番難解」と思われた『本居宣長』を、その中に叩きこもうとした。・・・そして感動してしまった。
 「小林秀雄はいい人だ」と思った。と記述している。橋本治の「震えるほどの感動」を、私も体験してみたいと思った。
小林秀雄は、『本居宣長』を10年かけて、完成したという。だから、私は10年かけて、此れを読めばよい。71歳の爺が、エベレスト頂上を目指すには、丁度良い時間だ。
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2019年3月18日 (月)

野党の憶測ネタ、罵声質問は、もう飽きました!

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本を読みながら、国会中継を観ていた。モリカケ以来、特に野党の其れは、国会は憶測ネタを基にして、罵声(挑発)質問が多く、実につまらない。

小西洋之参議院議員という男は、その言動が常軌を逸している。

数年前、『安全法制』が成立する委員会で、採決を阻止する為、委員長席へ原稿をダイビングした。ところが、ヒゲの隊長こと佐藤正久議員に阻止され、その場に自沈した。

「成立すれば、亡命する!」と公言していた彼にとっては、決死のダイビングだったのだろう。だが、「バカ男」にしか見えない。

これなどは、印象に残るシーンである。小西洋之は、山本太郎議員と並ぶとも劣らない「奇人」である。しかし、山本太郎の場合は、ヘンな言い方だが、「純酔」なところがある。

少し演技かかった善人面した山本太郎よりも、小西議員の方が薄笑いを浮かべながら毒舌を吐くあたり、やはり「国民の敵」と呼ぶに相応しく、間違いなく「奇人」と呼べる。

先日、横畠内閣法制局長官をして「思わず激怒させた」事があった。その直後、横畠長官は陳謝した。小西洋之は、益々得意満面の顔をしていた。

その後、安倍総理の「品格注意」発言に対しては、「安倍総理に言われる程、落ちぶれてはいない!」と捨てセリフの如く、反発していた。駄々っ子に対するように、安倍総理と、麻生副総理は苦笑していた。

後日、余程、ニュースネタがないと見えて、横畠長官への批判が、メデイアから起こった。与党内からも上がった事は驚いた。益々、調子に乗るだろう。

確かに、国会での言論(質問)は、議員の特権であり、自由である。しかし、何を言うのも自由だが、ガセネタを基にした印象操作、延々とした決め付けの演説だったり、内容が多い。

山本太郎は、内容がメチャクチャだが、言葉遣いは、乱暴ではない。「年長者の注意」に從う素直な面もある、しかし、小西洋之は内容も、言葉遣いも、非常に乱暴である。

このような憶測ネタ、に基づく罵声質問は、もう飽きた!

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2019年3月14日 (木)

韓国に対しては、目には目を、歯には歯を!(近代法概念)の範囲内で、効果的に報復して欲しい!

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☆……☆……☆……☆……☆……☆

麻生財務大臣の発言(?)が一部報道された。

「韓国に対する報復措置を検討」という内容である。日本の報復可能性に「韓国は緊張高まる」という憶測も、同時に付言された。 

“報復措置の検討”とは、韓国政府に対して、“戦う姿勢”を見せる事である。この意図は、相手(韓国)に自制を促すこと、日本国内の世論を鼓舞することであろう。

尚、敢えて言うならば、この“深長なる意味”は、「戦うぞ!」という意思表示(ファイティング・ポーズ)に過ぎぬ。

しかし、韓国と違って・・・日本は法治国家であるから、“報復”を実施するには、「国内法の整備が先ず必要」(橋下徹談)で、実施にはハードルが高い。しかし、無為無策のママではダメだ。

私は、日本政府の意思表示(=報復措置を検討)を支持する。

しかし、同時に、何らかの法整備。あるいは、何が一番効果的な“報復”となるか?例えば、大使の召還、特定品目の輸出禁止等の具体的検討を、至急政府に願いたい。

勿論、報復のレベルとしては、「目には目を、歯には歯を!」という近代法概念の範囲内で、抑制的に、且つ、最も効果的であるべき。

“国家間の約束”とは、云うまでもなく、1965年日韓基本条約、及び請求権協定を指す。そこで、賠償問題は全て解決済みとなった。韓国内での個人補償は、韓国政府の責任領域である。

これは、日本政府の基本論拠である。

一方、韓国側は、「日本の植民地支配」「韓国の三権分立」を論拠とし、「日本政府はもっと謙虚になれ」(文大統領)と嘯き、国連人権高等弁務官事務所に書簡を送るなどロビー外交を、活発に展開している。

ここで、国際法の原則を再度確認しておく。

①国家間の約束(=条約等)は、国内法に優先する。②この約束は、当事国の合意のみで規定され、他国は、当事国に対して強制力を持たない。③国際法の解釈・適用・執行に関して、国際司法裁判所に提訴する場合は、関係国の同意が必要。

しかし、日本政府から再三の注意に対して、韓国は聞く耳を持たない。「日本はかつてアジアを侵略した」と、歴史問題に歪曲していて、狂乱している。

日韓対立の争点は、国際法(日本)vs歴史問題(韓国)という図式のようだ。

日韓は、異次元の論理を根拠とするため、噛み合わない。そもそも国際法では、日韓問題は1965年に「解決済」であるが、それを相手(韓国)に説いても無意味である。

外交とは、相手が嫌がることを、国力を背景に行うことである。

今朝のテレ朝番組では、増田某(女性)コメンテーターが、日韓双方に「大人の対応」「冷静な話し合い」を求める、という頓珍漢な発言をしていた。

予め用意されたコメントだろうが、この認識は間違いだ。それをコメントする段階ではない。

日本は、国際世論に訴えながら、報復措置を優位に進めるべきだ。そもそも、報復、あるいは仇討、は悪い事だとする道徳観は、GHQによって戦後刷り込まれたものである。

そろそろ覚醒すべき時ではないか?

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2019年3月13日 (水)

森鷗外『舞姫』読後感

遥か昔、森鷗外の『舞姫』を読んだ記憶がある。

しかし、其れは幽かな記憶であって、“読書”と呼ぶには程遠い。作品の鑑賞とは別物で、単に知識としての「あらすじ」を知ったに過ぎない。

其れは、「作者」と「作品」とを「マークシート」で埋めるような、謂わば国語テストという類である。今思えば、「あらすじ」すら、後日の映画などで、記憶が補てん・補完されたという“疑惑”すら持つ。

多くの人は、作品云々の以前に、森鴎外(本名:森林太郎)の実像に躊躇するであろう。文豪であり、医師である。且つ、漢文に優れ、外国語学にも秀でたこの実在人物を、天才と呼ぶは決して誇張ではない。

夏目漱石ですら、ロンドン滞在中は「悶々たる孤独の日」を送ったの比して、鷗外は、現地の多様な人物と(現地語で)交わり、それを「楽しんだ」という。

そのマルチ・タレントぶりは、他に類をみない。

その滞在中の実体験を基にして、ドイツ語から日本語へ、言語変換するようにして『舞姫』を執筆したのであるから驚く。時に、明治23年、鷗外28歳であった。

五~六年前だったが、上野に女房と花見に出かけた。二人で徘徊中、偶然にも、「此処で、舞姫を執筆したという」森鴎外旧宅に出会った。隣のレストランでは、『舞姫ランチ』を食べる。

久しぶりに、鷗外の残影との再会だった。

『舞姫』は、古文の技巧が至る箇所に散在し、その上、意味を持つ漢語が骨組みとして文章を支えている。それ故、現代語に慣れ親しんだ小生には、難解なものになっていた。

二度三度、味読した。

何故、『舞姫』を古文の技巧で書いたか?舞姫エリスへの切なく悲しい恋情を表現するには、恐らく白居易の『長恨歌』を彷彿とする“漢詩のような詩”が最適である。

それは、恋に落ちたエリート官僚の持つ“秘かな自尊心”でもある。

帰途の船中、主人公(我)は「幾度となく我が心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨みを銷(せう)せむ。若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌にもよめる後は心地すがすがしくもなりなむ。」と吐露してしている。

これは、文に認めた詩でもある。

エリスとの出会いは、「鎖したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつつ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。」と、恋の予兆すら無い。

だが、間もなく、「暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬を流れ落つ。」と変化する。

主人公(我)は、「公使に約せし日も近づき、我が命は迫りぬ」。

エリスへの恋情は、「その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にここに及びしを奈何にせむ。」と益々進境する。

物語は、果して悲恋で終わる。

悲恋は、エリート官僚の、あるいは実像の天才・森鴎外の宿命である。それは、生来の人間嫌いをしのばせる鷗外の叶わぬ恋愛の結末である。

そうであるが故に、『舞姫』は美しいのである。

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2019年3月 9日 (土)

夏目漱石『明暗』読後感

遂に、夏目漱石の『明暗』を読み終えた。70過ぎの老人には、贅沢な自由時間があるとは雖も、視覚能力の低下で読書は難儀な事である。

某ハズキルーペのように、「字が小さ過ぎて読めない!」このコマーシャルに不思議と説得力を感ずるのである。

此の大作を読むのに、「明治の文豪に対する畏敬の念」もあって、一日4時間~5時間、総計ひと月も費やした。

それ故に、「遂に」と、感嘆詞を吐露するような達成感がある。其れは、久しぶりの充実感でもある。

常日頃、小説を読み進むと、物語の≪結末≫が気になる。その為、私は、物語の結末だけを知るために途中の展開(推理)をすっ飛ばして読む癖がある。

小説の場合、途中の展開(推察)にこそ楽しみがある。それは、読書家の秘かな悦楽であるが、私は、此の「読書家」の楽しみを知らずに人生を過ごしたようだ。

と云うのも「長編」の場合は、結末にゴールインする前に、断念する事がある。ところが、幸いなるか『明暗』は、未完の小説である。それ故に、私は小説の≪結末≫を気にすることなく、平常心で読めた。

途中まで読むと、不思議な事に次の展開が気になる。その様にして、ゆっくりと味読することが出来た。私は、この「悦楽」を初体験したのである。

晩年の夏目漱石は、病身のまま絶筆となった小説『明暗』を書く毎日だったという。午前中は、『明暗』の執筆、午後は、漢詩(就中、七言律詩)の作詞に耽っていたという。

小説には、内面の「思索」が多い。また、漢詩の影響が色濃く映されている。それは、語彙力の豊富さと共に、定型詩の持つ韻の美しさ(対句の妙など)である。

私は、小学生のように大きな文字で、漢字の学習をした。漢字の楽しさを知っているのは、世界中で日本人なのではないか?とさえ思った。時には小説家になるつもりもないのに、気に入った文章を書き写したりする。

YouTubeで音楽を聴き乍らの至福の時間であった。次は、その抜粋の一部である。

然し彼としては時々吉川家の門を潜る必要があった。それは礼儀の為でもあった。義理の為でもあった。又利害の為でもあった。最後には単なる虚栄心のためでもあった。 「津田は吉川と特別の知り合いである」 彼は時々こういう事実を脊中に脊負って見たくなった。

彼はすぐ玄関から茶の間に通り抜けた。 茶の間は何時もの通りきちんと片付いていた。鉄瓶が約束通り鳴っていた。長火鉢の前には、例によって厚いメリンスの座布団が、彼の帰りを待ち受ける如く敷かれてあった。

この長い幕間を、少しの不平も云わず、かつて退屈の色も見せず、さも太平らしく、空疎な腹に散漫な刺戟を盛って他愛なく時間のために流されていた。 彼等は穏和かであった。彼等は楽しそうに見えた。

粗放のようで、一面に緻密な、無頓着のようで同時に鋭敏な、口先では冷淡でも腹の中には親切気のあるこの叔父

これが彼女の論法(ロジック)であった。又希望であった。最後の決心であった。

はお延に事情を打ち明ける苦痛と、お秀から補助を受ける不愉快とを商量した。

彼から見た妹は、親切でもなければ、誠実でもなかった。愛嬌もなければ気高くもなかった。ただ厄介なだけであった

彼等の所作は単調であった。しかし勤勉であった。特別な意味が附着していた。小説的に組み合わせても見た。

そして、小説『明暗』は、次の表現と共に未完となった。

「奥さん」と云おうとして、云い損なった彼はつい「清子さん」と呼び掛けた。 「貴女は何時頃までお出です」 「予定なんかまるでないのよ。宅から電報が来れば、今日にでも帰らなくちゃならないわ」 津田は驚いた。 「そんなもの来るんですか」 「そりゃ何とも云えないわ」 清子はこう云って微笑した。 津田はその微笑の意味を説明しようと試みながら自分の室に帰った。 -未完ー

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2019年3月 8日 (金)

我は心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり(明治18年福沢諭吉『脱亜論』)

戦後70年間は、北朝鮮の世襲独裁テロ政権、中国共産党のファシズム統治、即ち“中朝は日韓の共通の敵”。・・・だった筈だ。

しかし、韓国に文政権が登場してからは構図が変わった。“日本が中韓朝三国の共通の敵”となった。

以前は、38度線で北と対峙する韓国軍に対しては、「仲間」意識があった。今は、「韓国海軍のレーダー照射」等、お世辞にも「仲間」と思えない。

昨今の推移を見るならば、韓国は日本にとって、「仲間」から『敵」へと意識が変わった。(元来、韓国から見れば、日本は永遠の『敵』だった。)

元来、韓国は自由主義陣営の一員とは言え、「自由」「法治」「人権」「正義」などの近代概念を理解できない国柄であった。「国際法」も然りである。

明治期、日本は、西欧文化を取り入れ『文明開化』を成し遂げた。だが、当時の朝鮮は、清国の属国のままで、内部権力抗争に明け暮れていた。

その様は、『韓流歴史ドラマ/トンイ」のセリフにも露呈している。「正義が権力をとる、のではなく、権力をとった者が正義だ」(オクチョン妃)

其の朝鮮に対して西郷隆盛らが「征韓論」で、「開国独立」を迫る。しかし、朝鮮は、内部抗争の最中であった。彼らの得意技は、面従腹背である。

福沢諭吉が、『脱亜論』を発表したのは、明治18年の頃である。

『脱亜論』の結論は、「悪友を親しむ者は共に悪友を免れる可からず、我は心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」とある。

福沢諭吉先生の先見性は、この『脱亜論』に表れている。日本は、海洋国家である。中韓とは、(深入りすることなく)手を引いて、「謝絶」するのが良い。

親日国(仲間)は、世界中に沢山あるではないか。

 

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2019年3月 7日 (木)

『正論』『hanada』を推奨する理由

私は、月刊誌『正論』『hanada』を選んで愛読している。既刊本を時折、引っ張り出しては読み返す。まるで、古典を読むように。普遍性とも云うが、年月の変化に『主張』が耐え得るか?は、私が新聞・雑誌などを選ぶ基準となる。

(1)ジャーナリズムの役割~言論の自由

新聞、雑誌、週刊誌には、夫々「主張」があり、それは、ジャーナリズムの根幹を形成する。私の考えだが、その「主張」を批判し合う自由(言論の自由)を認める事。その自由闊達な『主張』こそが、日本文化の一部を形成するのである。これが本来のジャーナリズムの役割である。

(2)「言論の自由」の危機

この「言論の自由」が、今危機に瀕している。一つだけ、具体例を挙げる。杉田水脈氏の「少子化対策を扱った論文」の一部を切り取っての、異様なバッシング騒動があった。結果、『新潮45』は廃刊になった。バッシング理由は、「差別感」という漠然たる「被害意識」であった。その一部始終を振り返るならば、多くの言論人は政治家も含めて、「差別」となると、問答無用になるようだ。

(3)言葉狩り

近年「言葉狩り」が、ジャーナリズムの美名によって横行している。杉田騒動では、『生産性』という言葉が,、≪言葉狩りに≫に見舞われたが、その前後の文章を読めば何ら「差別感」はない。騒動の実態は、ジェンダーフリーを主流とする反日活動家である。真面目に考えるならば、本当に公的支援が必要なのは、LGBTの中でもT(トランスジェンダー)の一部である。より良い施策の為には、トランスジェンダー(性同一性「障害」)と、LGBとは区別すべきである。

(4)ジャーナリズムによる言論抑圧

私も含めて、多くの人は、LGBTへの「差別」意識はない。彼らは決して社会的弱者でもない。例えばマツコさんのコメントを聴いて同感する事が多い。当事者にとって、「社会的弱者」と見られるのは、全く迷惑な話でしかない。要するに、「杉田憎し」感情が、この騒動の原因である。「安倍政権打倒」が背後にある。これは、政治運動であり、ジャーナリズムによる「言論抑圧」といえる。

(5)世の変化に耐えうる不偏性

扨て、随分話が脱線した。政治外交等、諸問題は、夫々の専門家によるレポートを読むのが良い。新聞、雑誌、週刊誌には『主張」がある。読者は、主に「共感」する紙媒体を愛読するものである。愛読の条件として、「共感」の他に、例えば1年後、読んでも耐えられる「普遍性」を挙げる。その意味で、私は、書棚に積んでいる既刊の『hanada』『正論』などは、何時読んでも、世の変化にも耐えられる。それが、選ぶ基準だ、その意味で良書だ。

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2019年3月 6日 (水)

今朝のテレ朝(寺脇研・玉川徹ら)の児童への体罰禁止を巡る議論が酷い!

今朝、羽鳥さんのテレビ朝日を観た。「児童虐待防止」が議論のテーマであった。出席者に「ゆとり教育の推進者(首謀者)」である寺脇研氏がいたので、ある程度は≪番組の意図≫を感じていた。予感は的中した。

『子供への虐待』は放置できない。それ故、今般の「虐待禁止法案」は、一歩前進である。其の辺りまでは、出席者同様、小生も納得する。そして、民法822条(親権者の懲戒権)の存在が、問題になった。「虐待」と「懲戒」の境界は、何処であるか?難しい問題であるが、その辺までは、良い議論である。

しかし、寺脇氏は、「民法822条は、明治憲法のまま」と、議論は戦前の『教育勅語』の批判へと飛躍した。「明治礼賛だ」と批判した上で、「教育は家庭ではなく、社会でやるべき」という社会主義思想(ジェンダーフリー思想)が彼の思想の根幹であることを暴露した。だが、「教育勅語は戦後GHQで排除された」という法律的理由以外には、否定する明確な根拠はない。

玉川氏は、其れに呼応して次の様に述べた。小中学校で行われている「運動会」というのは、戦前の軍事調練の延長だ。中学生の詰襟・学生服は、軍服の模倣だ。更に、止むを得ない躾という名の暴力を許せば、(アメリカのように)止むを得ない拳銃保持が許され、「已むをえない」戦争に突入する。“子供への虐待から一気に、戦争する米国への批判”の飛躍には驚いた。

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2019年3月 5日 (火)

米国の戦略は?朝鮮半島からの撤退か?

トランプ大統領とは、どんな性格の持ち主か?

巷間、“粗暴な熱血漢”という評価がある。だが、私はそうは思わない。彼の言動を偏見なく見れば、余りにも正直過ぎるが、「ノーベル平和賞を期待する」善良な平和主義者”である。

それは、重要な人格の一部である。その上で、政治家としては、トランプ大統領の基本戦略は、首尾一貫して“米国経済優先・アメリカファースト”である。トランプは、北朝鮮の若き独裁者・金正恩を、「ナイスガイ!」「頭が良い!」と見事に手のひらに乗せていた。恰も、親爺が悪ガキをしっかり諭すように、「ナイフを棄てたら、オヤツをあげる」と言っている姿だ。

米朝会談の様子は、≪風刺画≫として見るならば、尊大な虎に睨まれた狡猾な狐というところであろう。

而して、米朝会談が「物別れ」になった後、「米韓合同軍事演習が中止」というニュースが這入った。軍事演習の「継続こそ軍事抑止力」という軍事一般常識からすれば、意外なニュースである。

米国は、在韓米軍の軍事費軽減を「理由」に挙げている。韓国の基地負担への不協力が「裏の理由」である。然し乍ら、「経済」だけが「軍事演習中止」の理由ではない筈。本当の理由は何か?

戦略的には、「朝鮮半島から引いた方が」イザ!の時、北朝鮮を攻撃しやすいという逆の意味で其れは軍事的「常識」でもある.。

ほんの少し前、北朝鮮の挑発が高まり、米軍との軍事衝突の危機が高まった。その時、「北朝鮮に圧倒的に勝利する事は可能だ。だが、在韓米軍とその家族にも被害が及ぶのは必至」と、米国国民の生命・安全を優先した。それは、軍事シュミレーションの結果である。何度も戦争をしているからこそ、その米国の結論にはリアリテイがある。

今回の、「米韓の軍事演習中止」の本当の理由は何か?

それは、「日本の自衛隊機に対するレーダー照射」などの事実から、韓国軍には軍事常識がない。軍事機密が韓国を通じて流出する恐れ。約束を守らない韓国、などの理由で、結局は「韓国を信用できない」という疑念が重厚に蓄積された、されてしまったのである。心底の「疑念」は、民主党鳩山総理の時のように、同盟国にとって「致命的」である。

トランプは、前述したように「アメリカファースト」である。

米国民の生命・安全の優先」が米国大統領の思考回路の主流である。さらに、「経済重視」と「平和主義者」の要素が加われば、何時までも朝鮮半島で無駄な軍事費を使う理由がない。情勢が許されれば、又米国の安全が保証されるなら、明日にでも半島を退却して、対馬半島を防衛最前線としたい。論理的帰結である。

「米韓合同軍事演習の中止」は、その為の布石でもある。と考える。

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2019年3月 4日 (月)

戦わずして勝つ、孫子の兵法

◆トランプが帰国した
言論の自由は、自由社会の証明である。
トランプ大統領はベトナム・ハノイから帰国した。
その後、米国の一部メデイアは、「(米朝会談の)物別れ」について、「トランプ大統領の失敗」との批判した。
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◆総じて好評価である
しかし、ボルトン補佐官は、「大統領は、国益を守り通した!」という認識を示した。専門家は、総じて好評価である。
トランプは、大勝利した凱旋将軍ではないが、敗軍の将でもない。戦わずして威圧した。而して、北朝鮮の策謀を阻止した。と言えるのではないか。
☆……☆……☆……☆
◆失意の金正恩
一方、北朝鮮の金正恩は、失意のまま帰国した。独裁体制の故に、北朝鮮国内からの表立った批判はない。それと同じくらい、暗くなっているのが韓国・文大統領である。
兎も角、日本周辺の近未来の潮流を、冷静に見極める必要があるだろう。
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◆茶飲み話
しかし、安倍嫌いのマスコミ・メデイアは、米朝協議の物別れについては、明快な論評を避けている。まるで、茶飲み話のようである。
これは、日本自身の問題なのだという緊迫感がない。核保有のまま、南北統一が果たされたら、対馬に日本防衛の最前線が来る。その対馬の自衛隊基地周辺で、韓国資本による不動産投資が進んでいる現実は看過できない。
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◆声は大きいが、太平の眠りから覚めていない
午後、参議院予算委員会の中継を観ていた。丁度、森ゆうこ議員が、クレーマーの形相で質問に立っていた。だが、「拉致問題」「沖縄基地基地問題」などで、安倍総理を批判していた。しかし、森ゆうこ議員が、「拉致問題」について質問し、安倍総理を批判しても説得力がない。
拉致問題は超党派で取り組んできた。共産党と社民党、そして小沢一郎の党は不参加である。
声が大きいが、太平の眠りから覚めていない。
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2019年3月 3日 (日)

関口宏が指名し、青木理が発言する偏向番組『サンデーモーニング』(TBS)

◆リハーサル通りの内容
『サンデーモーニング』(TBS)は、究極の偏向番組である。
今も昔も変わらず。
当番組は、関口宏によって指名された出席者が、事前のリハーサル打ち合わせ通り、粛々と発言する。
関口宏の低い声(役者だけあり音は響く)に促される。夫々まとめた原稿を読むように。最後に、左端に座っている青木理氏(以前は、髭の岸井氏がこの役割)が総括し、結論をまとめる。
という反日プロパガンダ番組である。
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◆「心此処にあらず」?
今朝も、「米朝首脳会談で、合意ができなかった」という事実を巡って、頓珍漢な関口宏の進行が続いた。
出席者からは、「トランプの人格」「びっくりした」「トランプスキャンダルが原因?」などと話題が、真相の究明とは程遠く、歪曲された。
そこに、元外務次官の藪中氏までも、「トランプの心此処にあらず」と加勢し、「結局、米朝双方にとってマイナス」と、妙な断定をしていた。
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◆藪中「感想」の欠陥
この(外務省の)官僚意識丸出しの「感想」には重大な欠陥がある。
先ず、「トランプのせいで合意決裂」という分析は間違いである。
正確に言うならば、次の通りだ。
(1)トランプのスキャンダルに絡めて、北朝鮮が交渉で優位に立とうとした、
(2)その北朝鮮金正恩に対して、毅然とそれを阻止した。
それがトランプ大統領の「ちゃぶ台返し」の真相である。
貧しい独裁国家・北朝鮮の「狐」の狡猾さは、世界最強の大統領、「虎」のトランプには通用しなかった、だけである。
☆……☆……☆……☆
◆ボルトン補佐官の存在感
藪中氏の言う、「トランプの心此処にあらず」は、そうかも知れない。
だが、其れに付け込んだ『北の欺瞞』を許すわけにはならない。
トランプ=ボルトンは、咄嗟に判断したのである。トランプは、「新証拠」を示して、対北戦略(全面制裁の継続)を貫いたのである。
(誰も言わないが、ボルトン補佐官の存在感が大きい。私は、ボルトン氏の姿を、拡大会談で発見ときに、強い安堵感が湧いた。)
☆……☆……☆……☆
◆官僚の限界か?
次に、「米朝双方にとってマイナス」という発言は、「合意」が全てと考える元外務官僚らしい物言いだ。
「中味は問わず・・・」交渉の成立だけを目的とした双方の事務方にとっては、あの結果は、マイナスかもしれない。
しかし、対北戦略(全面制裁の継続)を貫いた点では、トランプ大統領は、(韓国の除く)日米の絆の強さを示してくれたのである。
藪中発言は、国益より、自分の本分を優先する「官僚的」限界でもある。
☆……☆……☆……☆
◆ショックの韓国文大統領
米朝合意決裂で、一番ガッカリしているのは、間違いなく、韓国だろう。
援助の期待が外れた北朝鮮と、北朝鮮との融和を目指す韓国、とりわけそのような淡い夢をもって親北・反日路線を疾走していた韓国文大統領だろう。
その韓国であるが、三・一集会の演説で、突然、文大統領が「日本との融和」を訴えた。日韓の懸案問題(日本からの抗議)には一言も触れず、ままだ。
その厚顔無恥ぶりには驚くばかりである。
☆……☆……☆……☆
◆「日韓宥和」を言う前に、約束を守れよ!
朝フジテレビに出演していた有本香氏は、「それ(綺麗事)を言う前に、せめて約束を守る国になって欲しい」と一笑に付した。
詳しくは言わないが全く同感だ。
以前なら兎も角、今の日本人なら誰でも、韓国は嘘を平気で言う国、約束を守らない国という、絶対事実を知っている。知ってしまったのである。
☆……☆……☆……☆
◆「お互いに…」という欺瞞
日韓関係が悪くなった原因は、全て韓国にある。
「お互いに・・・」という言い方は、ご都合主義で、極めて思考回路が、韓国文大統領に似ている。それは、一部メデイアに、色濃く滲み出ている。
韓国の政治は、法の支配が無く、遡及して反日を適用する、罪刑法定主義を逸脱、そして国民感情が優先する。そんな国と、一緒にされては困る。
☆……☆……☆…・・☆
◆青木理の発言
『サンデーモーニング』(TBS)では、青木理が「日韓関係」を次の様にまとめた。
我々は、「日本との融和」という文大統領の発言をチャンスと捉えるべき。
隣国(韓国)に対しての感情的な「罵声」は止めて、日韓協力して「朝鮮半島の非核化」のために米朝協議を後押しすべきだ。というものだった。
日本側が「罵声」とは事実に反する。それに、拉致の「ラ」も、口から出ない。日本の国益を考えていない。「韓国讃辞」「日本蔑視」には唖然とする。
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今の日本にとって「日韓の友好」は無意味であります。

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2019年3月 2日 (土)

囚われない自由な読書

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◆まだ寒い
河津桜は満開だが、当地は半袖で外出するにはまだ寒い。
桜と云えば、日本人の感性を揺さぶる。その代表作は、西行の歌であろう。
・・・・・・・・・・・・
願はくは 花の下にて 春死なん
そのきさらぎの 望月のころ
☆……☆……☆……☆
◆死生観
桜は、日本人に生まれて良かった!と感じる重要な要素。そして、桜は日本人の死生観にも通じるので、この歌には、あらゆる喜怒哀楽を共有する精神の塊があると思う。
女優の樹木希林さんは、ロック歌手で良人の内田裕也の「朝日のあたる家」を聴きながら逝きたい、と洩らしてた。それも死生観として在りだ。
☆……☆……☆……☆
◆70歳を過ぎて発見すること
まだ寒いので、爺は自宅に籠って、「乍らテレビ」を観ながら、雑誌・小説を脈絡なく読むだけの毎日。
現在進行形で、夏目漱石の『明暗』を読んでいる。
恥ずかしい話だが、夏目漱石の代表作とされるものは、十代のころ『坊っちゃん』を読んだ切り。此の歳に至るまで読んではいない。
それ故、女房は「突然変異」と冷笑するが、70歳過ぎての読書は,知る事(新たな出会い)が多い。
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◆伊豆修善寺にて
今まで、情報源の殆どは、偉い先生の講話、テレビ・ラジオだった。
数年前、夫婦旅行で伊豆修善寺に行った事がある。そこの旅館は、漱石が胃腸病を療養した処である。
宿泊した近所に『漱石記念館』があり、行ってみる。漱石の俳句やら漢詩やらが展示されていた。その中で、一句の俳句が心に這入った。
生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ
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◆生きる悦び
病床に臥せていた身を起こし、空を仰ぐとそこには赤とんぼがスイスイ飛んでいた、生きる悦びを表現した作品。何処となく、正岡子規の感性に近い。
療養中、漱石は次の漢詩を残している。
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無題(五言絶句)
仰臥人如唖 仰臥(ぎょうが)人唖(あ)の如し
黙然見大空 黙然(もくねん)大空(たいくう)を見る
大空雲不動 大空雲動かず
終日沓相同 終日沓(よう)として相同じ
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仰向けに寝たまま,唖(おし)のように黙りこくっていると、
大空が見えた。
大空には雲がじっと動かずにいて、
一日中、雲と私は、果てしなく共にそこにあった。
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◆日常生活と二人三脚
私は、極端に読むスピードが遅い。その為、半月かかても未だ半分くらい。
午前中は、『題名の音楽会』を鑑賞。テレ朝では、最も好い番組と言える。TBSでは、『ドラマ』が面白い。娯楽番組は好きだが、不自然に政治を揶揄する内容の無い番組は敬遠する。好きな時に読書する。
こんな具合だから、小説『明暗』は、まだ半分である。小説『明暗』は、私の日常生活と、二人三脚で、ゆっくり、ゆっくり進んで居るのである。
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◆囚われない自由な読書法
私は、文芸評論家ではないので、読書感想をレポートする義務はない。
其れを遣るか遣らないかは私の自由だ。それを囚われない自由な読書法だと、自己満足している。
東大の阿倍公彦教綬は、「夏目漱石スペシャル」で、次の様に述べている
・・・「古典的名著なのだから、私は感動すべきだ」、自らを不自由な暗示にかけたり・・・マジメな人ほど・・・予断をもってしまう。と、作品と「出会う」ことを勧めている。私は、読書の強迫観念から覚めて、自由を得たのである。
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2019年3月 1日 (金)

米朝会談の決裂を歓迎する、窮地の北朝鮮、次は安倍総理の出番!

◆内外の反響・評価
米朝会談が決裂して、一夜明けて内外の反響・評価を注視した。大きく二つに分かれている。一つは、ポジテイブ、もう一つは、ネガテイブ。
『モーニングバード』(テレビ朝日)で、アメリカ政治に詳しい中林美恵子先生は、次の様に解説していた。
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◆識者は、ホッとした
米国では、バッドデイ―ル(妥協)する位なら、ノーデイ―ル(決裂)で良かった。ホッとしたという反響。これは、プロに多い。それ以外は、トランプのスキャンダルに関心があり、米朝会談には無関心だった。(正しい、分析である)
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◆「ちゃぶ台返し」は正しい判断
玉川徹氏は、「自分の想像」と断り、「トランプ側が席を立った」(トランプが「ちゃぶ台返し」)などと、暈し乍ら、米国側を批判するネガテイブな発言だった。
トランプから「ちゃぶ台返し」が事実だが、寧ろ正しい政治的決断である。
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◆評論すべき論理が攪乱
メデイアに登場する評論家・ジャーナリストは、評論すべき論理が攪乱し、混乱していた。それは正確に言うならば、論理ではない、希望と呼ぶべきだろう。
テレビ各社は、合意出来なく、決裂してしまった残念な気持ち(ネガテイブ思考)を嚙み殺すように、当惑の眉を寄せていた。
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◆反撃の鉾先は、安倍総理?
そして、突然、日本の「統計国会」に飛躍し、その反撃の鉾先を安倍総理に向けていた。堀潤の今朝の『TOKYOMXテレビ』は、安倍総理を批判するネガテイブ思考の嵐だった。曰く、「これ(米朝決裂)で、再び軍事衝突の危機が迫る」「拉致問題の解決は遠退いた」という、一群の視聴者の声を「紹介する」イメージ操作である。
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◆金正恩が「賢者」?、トランプが「愚者」?
しかし、この論調では、夢は「必ず」叶う、というお花畑の人ならば通用するが、少しで現実を知る人ならば、全く説得力がない。
一部の日本の評論家・ジャーナリストは、トランプ大統領を「愚者」、安倍総理を「愚者の親友」、呆れる事に、金正恩を「賢者」、とする偏見に漲っている。
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◆偏見!
此の偏見は、論理が錯乱した時に思わず露呈するのである。
トランプが、「彼奴(金正恩)はナイスガイだ!」という外交辞令を真に受ける、天真爛漫な子供でも考えない程の偏見である。
「これ(米朝決裂)で、再び軍事衝突の危機が迫る」という扇動は、北のミサイル基地を知り尽くしている米国の軍事専門家には一笑に付される。
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◆単細胞人間の「反安倍」
「拉致問題の解決が遠退いた」という人ほど、断言するが、「反安倍」のありきで、「拉致には無関心」」の単細胞人間でしかない。
若し、米朝の「合意」が成立したならば、(一部にせよ)経済制裁の解除で、窮地の北朝鮮は、息を吹き返しただろう。
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◆次は安倍総理の出番だ!
そうなれば、拉致問題は逆に遠退く結果になり、北朝鮮に「拉致被害者を日本に帰国させる」という理由が無くなる
北朝鮮の制裁を強化しなければ、拉致問題の糸口は見いだせない。従って、米朝会談の決裂を歓迎する、窮地の北朝鮮、次は安倍総理の出番だ!
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