« 北朝鮮の脅威を、直視すべきだ!(対話などあり得ない)) | トップページ | 教育勅語をどう読むべきか?≪続≫ »

2017年5月15日 (月)

教育勅語をどう読むべきか?

日本は、言論の自由の国だが、教育勅語に関しては、一部マスコミによる誤解と偏見による批判(プロパガンダ)が多いネエ。(批判は2つの傾向がある)

◆1つは、時代錯誤というもの。

教育勅語は、明治23年10月30日に、明治天皇が「父祖の教えを胸に抱いて」「立派な日本人となるように」と、おおせられた公式のお言葉である。

明治23年というと、随分昔のため言葉も難解ですが、だからといって「時代錯誤」というのは、間違いである。

そうだとするならば、古典は全て「時代錯誤」になるではないか。

「朕惟うに」「我が臣民」などという言葉は、「私は思う」「親愛なる国民」という風に口語文に訳せば、現代でもその真意は伝わる。

◆2つは、憲法違反というもの。

明治時代と平成の現代では、憲法をはじめ、時代背景が違うのは事実である。

しかし、12の徳目は、我々日本人の残された「伝統的美風」であり、憲法違反であるという批判はあたらない。

(日本国憲法は、決して「12の徳目」を否定してはいない)

◆教育勅語の価値観は不変である

是非、教育勅語を口語文訳と合わせて読んで頂きたいものである。

そうすれば、価値観(12の徳目)は不変であることが、今年70歳になる私にも良く分かる。

教育勅語は、道徳教材としてだけでなく、その(日本人の心の中に伝わる)価値観は、子供にも大人にも不変である。

教育勅語をどう読むべきか?

私は、『古典教材』として、『歴史史料』として、違う角度からも読んでみる事を、お薦めしたい。

======================

|

« 北朝鮮の脅威を、直視すべきだ!(対話などあり得ない)) | トップページ | 教育勅語をどう読むべきか?≪続≫ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564386/65281625

この記事へのトラックバック一覧です: 教育勅語をどう読むべきか?:

« 北朝鮮の脅威を、直視すべきだ!(対話などあり得ない)) | トップページ | 教育勅語をどう読むべきか?≪続≫ »