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2017年3月

2017年3月27日 (月)

≪漢詩鑑賞≫『曲江』(杜甫)人生七十古来稀なり

この詩は、杜甫49歳の作品である。

「どうせ70歳(古稀)まで生きられないのだから、酒でも飲もう」

・・・と、杜甫が心を癒やすように詠った。

但し、杜甫自身は古稀を迎えられず59歳で生涯を終えている。

小生は、今年70歳(古稀)を迎えている。

・・・随分長く人生を送ってしまった。

☆……☆……☆……☆……☆……☆

曲江

朝囘日日典春衣  朝より回(かえ)りて日日春衣を典(てん)

毎日江頭盡酔帰  毎日江頭に酔を尽して帰る

酒債尋常行處有  酒債(しゅさい)は尋常行く処に有り

人生七十古来稀  人生七十古来稀なり

穿花蛺蝶深深見  花を穿つの蛺蝶(きょうちょう)深深として見え

點水蜻蜓款款飛  水に点ずるの蜻蜓(せいてい)款款として飛ぶ

傳語風光共流轉  伝語(でんご)す風光共に流転して

暫時相賞莫相違  暫時(さんじ)相賞して相違うこと莫れと

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝囘  朝廷より下がる

典  質入れする

江頭  曲江のほとり

酒債  酒代の借金

尋常  平常、普段

穿花  花の間に入り込む

蛺蝶  あげはちょう

點水  水に尾をつける

蜻蜓  とんぼ

款款  ゆるやかな

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2017年3月26日 (日)

「100万円」は、籠池氏の虚言に過ぎない!

今朝も、民放・NHK共に、森友問題を取り上げていた。

野党は、相変わらず・・・「昭恵夫人の証人喚問」を要求している。

だが、今までのファクト(夫人同士のメール、谷夫人付のゼロ回答FAXなど)を総合するならば、総理&夫人の「政治関与」は皆無である。

また、昭恵夫人の言動についても、「軽率な点」があったとしても、「違法性」はない。

それ故、「昭恵夫人の証人喚問」は、その必要は全く無い。

寧ろ、籠池氏の虚言が浮き彫りになった。

福山哲郎(民進党)は、「どちらが、正しいかわからないが・・・」と言い、福島瑞穂(社民党)は、「安倍総理の隠蔽工作」と、レッテル張りで吠えていた。

この主張には、無理がある。

籠池氏は、次の様に言っている。

「総理から100万円を戴いたことは名誉な事なので、よく覚えている」

だが、私は素朴に思う。

もし、「名誉な事」ならば、(金の入っていたとする)封筒を、捨てたりしない。

封筒は、丁寧に残すのが礼儀であり、普通である。

これは、社会人としての常識である。

それに、昭恵夫人には、(何の問題もないのだから)「人払いして100万円」を渡す理由は無い

そもそも、籠池氏は、「安倍総理を尊敬している」等と嘯いている。

だが、これは偽善である。

籠池氏の言葉通りならば、何故、最近になって「100万円をもらった」というのか?

(貰ったとされる)その日のうちに、手紙で「礼状」をだすのが、礼儀ではないか?

だが、メールにおいても、「100万円をもらった」事への「お礼」の文言はない。

もし、籠池氏の言葉通りだとしても、この人は、人間として失礼な人である。

こんな人の証言を信じるのが無理である。

それ故、社会人の常識として、次の様に断言できる。

「100万円」の授受は、籠池氏の虚言に過ぎない!

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2017年3月25日 (土)

「法廷ドラマ」より面白い国会劇場~ついついTVを観てしまう

◆核心は?

籠池氏は、3通の契約書については、「刑事訴追」の恐れがあるので答弁拒否している。

これが「違法性があったかどうか?」の核心の一つである。

もうひとつの核心は、財務省~大阪府の認可過程で、「何らかの権力介入(違法性)があったかどうか?」である。

◆核心から離れた話題

だが、メデイアの話題は、次の点に傾斜している。

「(明恵夫人から)100万円もらったか?」

「双方の主張は食い違うようです」

「謎は深まる」

「徹底解明が必要」・・・。

◆総理夫人を喚問(野党)

それを受けて・・・民進党議員が、口を揃えていうのは、次の通り。

「籠池氏は証人喚問に応じて答弁した」

「真偽のほどは分らない」

「だが・・・明恵夫人も同じ土俵(証人喚問)に立つべき」

「そうでなければフェアではない」

◆違法性が無く拒否(自民党)

それに対して、自民党は拒否している。

(総理夫人の言動に)違法性もなく」

「事柄の本質ではない」「その必要はない」

◆まだまだ続く国会劇場

マスコミ・メデイアの総括では、「自民党の早期幕引き」vs「野党の政局化」という構図が見える。

その上で、「まだまだ・・・疑問は残る」としている。

マスコミ・メデイアとしては(外国特派員も含めて)、「話題性」「視視聴率」の点では「(違法性は無くても)総理夫人の証人喚問」が最も稼げる話題である。

それ故、国会劇場は、シリーズ・ドラマ化して、放映するだろう。

そして、「次回をお楽しみ」と視聴者の関心を搔き立てる。

◆下手な「法廷ドラマ」より面白い

私は、高梨議員(自民党)が言うように、「国会としては捜査機関ではないから、これ以上は無理」で、あとは「東京地検特捜部」の出番ではないか?と、考えている。

だが、国会中継を観ていると、下手な「法廷ドラマ」より面白いから、ついつい馬鹿馬鹿しいとは思いながら、ついついTVを観てしまう。

私は、そういう自分を恥じる・・・。

正に、『国会実況ドラマ』である。

そのドラマの主役は、平然として嘘をつく「稀代の詐欺師」籠池氏本人だろうと思う。

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2017年3月23日 (木)

籠池証人の被害妄想・逆恨みに振り回されているネエ

今日は、TV国会中継に釘付けになった。

衆参予算委員会で、森友学園の籠池理事長の証人喚問で、各局がライブ中継を行い、ずっと観ていた。

安倍総理夫人から「100万円もらった」という籠池証言が大きく取り沙汰されていたが、これが事の本質ではない。

何故なら、仮に「100万円もらった」というのが事実だとしても、これは違法行為でもないし、政治家の「圧力」とは無関係である。

当初から、野党・メデイアは、『教育勅語』を採用した教育方針・理念に対する批判と、(同じ理念を持つ)保守派政治家の学校認可への関与をゴチャ混ぜにしている。

しかし、学校認可の基準は、法律に定めている通りある。

ポイントは、教育理念ではなく、学校を設立させるだけの資金はあるか?ということであり、それ以上でもそれ以下でもない。

籠池氏は、「ハシゴを外された」として、松井大阪府知事に恨みを表明している。

だが、それは逆恨みという事だ。

松井知事は、設置基準に沿って、「不認可」を最終的に決定したものでしかない。

これは、教育方針・理念として『教育勅語』の重要性を認める私でも、法基準に遵うべきことは当たり前であり、行政当局としては、当然の決定である。

今日、籠池氏の答弁を聴いていて、籠池氏の独特の人物像が浮かび上がった。

この籠池氏は、自分の「愛国心」にかなり陶酔していると事があり、周囲も皆、「自分と同じ考えだ」と錯覚している処がある。

安倍総理の「かなりシツコイ人」という表現は、そのような氏の独善性が浮かび上がる。

それ故、それが上手くいかない場合は、被害妄想となり、逆恨みとなる。

名前を出された人はいい迷惑な話である。

民進党蓮舫代表が、早速「総理夫人の証人喚問」を要求している。

明日も参考人質疑があるが、野党もメデイアも、籠池氏の被害妄想・逆恨みに振り回されている様相だ。

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2017年3月19日 (日)

メデイアのニュース報道を、チェック・格付けする機関が必要だ!(続)

メデイアの報道番組を観ていると、字幕にその特徴が表れているようで・・・。

即ち、「ワンフレーズ」見出しの繰り返しと、偏向コメントによる視聴覚効果を狙った内容が多い。

その中で、各局によって微妙にその重きが異なる。

① TBSは、「稲田大臣集中砲火・・・」「大臣の適性?」などと、主に稲田氏への個人攻撃が重点となっている。

② テレビ朝日は、「安倍総理の100万円寄付」「籠池証言」など、森友学園問題への「政治家の関与疑惑」が重点になっている。

③ フジテレビは、「小池劇場」「小池百合子vs石原慎太郎」が重点となっている。

しかし、どれも、問題の核心からはズレている。

メデイアの報道は、ガッチリと「報道の自由」「報道しない自由」という「メデイアの権利(特権)」に守られている。

即ち、メデイアのウソを規制する有効な法律がないという事で、これが一番の問題である。

慰安婦問題で、捏造記事を連載した朝日新聞などは、それでも・・・廃刊になっていない。

戦争中は戦争賛美の記事を書き、戦後は全て日本(日本兵)を悪者扱いした。

戦争中、戦意発揚のため「日本軍人による百人斬り」というデマ記事が下で、戦後「死刑」になった2名の旧日本軍人がいる。

2名の旧軍人は、理不尽にも日本のマスコミのウソ記事の犠牲になったのである。

所謂、稲田朋美弁護士の『百人斬り裁判』(旧日本軍人の名誉回復と新聞社弾劾)がそれである。

朝日・毎日は、それ以来(反日勢力がよく使う言葉だが)「右翼」とレッテルを貼り稲田氏を「目の敵」としている。

マスコミ・メデイアの傲慢さは、今も昔も変わる事はない。

再度言う!

メデイアのニュース報道をチェック・格付けする機関が必要だ!

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2017年3月17日 (金)

頑張れ!稲田防衛大臣

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   (パル判事の顕彰碑より)

稲田防衛大臣に対するマスメデイアによる集中攻撃が続いている。

まるで四面楚歌の様相である。

これに乗じて・・・民進党の蓮舫代表は、「防衛大臣罷免」を要求している。

正に、時は戦後の混乱期のように、「熱狂と偏見」に向かいつつある。

野党&メデイアは、「日報隠し」など、「シビリアンコントロール(文民統制)」が効いていないとして、稲田大臣の統制力不足を理由に挙げている。

しかし、この理由は間違いである。

(ホンネは、稲田氏が真っ当な保守派であるからである)

南スーダンの自衛隊活動の「日報隠し」は、稲田大臣の調査指示によって<発覚>した事で、民主党政権の時は、(隠ぺいが)問題にすらならなかった。

しかも、徹底した監査着手を、稲田防衛大臣は指示している。

これは正しい判断である。

これこそが、「シビリアン・コントロール(文民統制)」である。

、二重国籍疑惑に説明を果たしていない蓮舫ごとき「熱狂と偏見」のバカ女には、「大臣の資質」を語る資格がない。

稲田防衛大臣は、その職責を全うしていただきたい。

頑張れ!稲田防衛大臣!

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2017年3月16日 (木)

メデイアのニュース報道を、チェック・格付けする機関が必要だネエ!

私は、最近のニュース・報道を観ていると、真偽のほどがよく分からない。

メデイアのニュース報道は、殆ど信用できない。

昨日、突然「森友学園問題」で、ノンフィクション作家と自称する籠池理事長の代弁者がマスコミの前に登場してペラペラ喋っていた。

何やら、籠池氏の話として、「大物現職閣僚の関与」を匂わせたりして、「風聞」を拡散している。

胡散臭い感じがする。

国会での野党の質問・追及は、これら「風聞」を材料にしている。

そして、巧みに「失言」を誘導しようと躍起である。

例えば、稲田大臣が、「訴訟代理人として出廷した事実」に、答弁を訂正し、謝罪したが、この「記憶違い」を、メデイアでは(野党と連携して)、「稲田大臣バッシング」の材料にしている。

「真実の追及」より、「倒閣運動」という政治目的が優先している。

稲田大臣については、これは、「森友学園問題」の核心ではない。

『教育勅語』の問題は、大いに議論すべきだが、「森友学園問題」の核心ではない。

要するに、最近のニュース・報道を観ていると、真偽のほどがよく分からない。

この原因は、メデイアにあると思う。

即ち、メデイアのニュース報道をチェック・格付けする第三者機関が無い事である。

三権(立法・司法・行政)は、其々第三者によって、「チェック」を受ける仕組みになっている。

だが、マスコミ権力に対しては、「自主規制」しかない。

それ故、難しい課題だが、メデイアのニュース報道を、チェック・格付けする独立機関が必要だと思う。

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2017年3月14日 (火)

火の無い処にも煙を立たす式の野党質問、それを飛散させるメデイア

昨日、参院予算委員会での野党質問を観て思った。

森友学園問題では、安倍晋三総理も、稲田朋美防衛大臣も、キッパリと国会の場で、「政治的関与」を否定している。

だが、野党は「重箱の隅」を突く様に、この問題で「安倍口撃」「稲田口撃」を止めようとしないが、時間の無駄だ。

安倍総理や稲田防衛大臣の「関与アリキ」の印象操作を目的としたもので、証拠に基づくものではない。

民進党小川敏夫氏の質問では、「森友学園の訴訟(共同)代理人に名を連ねている」と言っていた。

稲田氏は、「共同代理人に名を連ねる事は、よくある事」「法律相談も受けた事も、(その件で)裁判所に出廷した事もない」と答えた。

訴訟代理人に名を連ねる事は、よくある事は、元検事ならよく承知の筈なので、寧ろ「悪意」を感じる小川質問である。

それに、仮に「この件で、(昔)出廷した事実がある」(毎日新聞記事)と言っても、それは何の問題もない。

(道義的にも、法的にも、問題はないという事である)

森友問題とは、全く無関係の出来事であるが、今朝の『テレ朝』では、俳優の中尾彬さんに感想を求めていた。

中尾さんは、(メデイアの意向を汲んで)「言う事が矛盾している」と稲田防衛大臣を批判していた。

これは、よくあるメデイアの「印象操作」の手法だ。

「事実がハッキリしない事柄」に対しては、「(人気俳優・芸能人など、あるいは街の声?などの)政治素人に言わせる」手法である。

これなら、後で「事実無根」であっても、「素人の感想」と言い訳が出来る。

社民党の福島瑞穂氏の質問では、露骨な「安倍口撃」が展開されていた。

これらは、「火の無い処にも、煙を立たす」ものであり、冤罪を起こしかねない。

国会議員としての「特権」はあるにせよ、法曹出身の小川敏夫氏、福島瑞穂氏は、強く弾劾されなければならない。

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2017年3月12日 (日)

『教育勅語』をどう読むべきか?(続)

先ずは言いたいことは、この議論(教育勅語に対する賛否)をする前に、『教育勅語』を読んでいただきたい。

『教育勅語』を一度も読まずして、賛成も反対もない。

それは・・・不毛な議論である。

難解だというならば、口語訳も出版されているので、それを読むとよい。

普通の(日本語に対する)理解力があれば、理解できる内容である。

だが、メデイアでは、『教育勅語』を全否定する議論が多く、一部でも肯定する議論は、殆ど紹介されない。

今も、TBS番組で、デーブ・スペクターが「時代遅れ」などと発言している。

問答無用の議論である。

先日、寺脇某元文部官僚が、TV出演して喋っていた。

『教育勅語』は、戦前の軍国主義教育を否定し、平和憲法の下、教育基本法が制定されて、『教育勅語』は学校教育(道徳教育)で「廃止となった」と、述べていた。

『教育勅語』が軍国主義であるというのは、一度でも読めばわかる事だが、間違いである。

国防の精神と、軍国主義は異なる。

昭和20年8月、我が国は敗戦となり数年間は占領下で、日本古来の文化伝統、例えば・・・神社・家族関係・剣道などが否定された。

その一つが、『教育勅語』であった。

だが、寺脇氏をはじめとする否定派の議論は、概ね次の通り。

①法律上「廃止になった」から、『教育勅語』、は禁止となった。

②『勅語』(天皇のお言葉)は、(国民主権を理念とする)現憲法に違反する。

③「愛国心」が、「軍国主義」を助長させた。

という内容である。

だが、それは『教育勅語』の中味(日本人の道徳観~12の徳目)に関する事ではない。要するに、『教育勅語』を読んではならない文書(?)として封印するのと等しい。

的外れな、暴論である。

今の憲法は、基本的人権、国民主権、平和主義と理念としていて、私はそれは賛成だ。

だが、古いものが全て、「時代遅れ」ではない。

歴史を謙虚に俯瞰べきである。

温故知新というように、ここに、『古典』を学ぶ意味がある。

『教育勅語』もまた、『論語』と同じく『古典』と言える。

そうであるならば、『教育勅語』を、学校教育で<教材>として採用すべきである。

特に高校教育において、『古典教材』、『歴史史料』として学ぶべきである。

兎も角、内容を読んでから議論すべきではないか!!

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2017年3月10日 (金)

『教育勅語』をどう読むべきか?

森友学園問題とは、許認可プロセスに法的問題があったかどうか?である。

教育方針に『教育勅語』を取り入れているか?は、問題ではない。

それは、私学教育の自由である。

だが、メデイアは、『教育勅語』に対する批判を強めている。

批判と言っても、『教育勅語』の中味(12の徳目)に対するものではなく、①「戦前の修身教育」の基本だから、②戦後、教育基本法(昭和21年)で廃止されたから、という内容である。

私は、『教育勅語』に反対する人に対して言いたい。

「一度、素直に教育勅語を読んでみるべきだ!」と・・・。

その上で、批判するなら「どこが問題なのか?」を具体的に示すべきだ。

「戦前」のだからダメ!という・・・「戦前」のものを全て、否定するのは間違っている。

勿論、時代と共に「適応」できないものも、あるだろうが、12の徳目は、普遍的な人間としての生き方を示したものである。

他方、「勅語」という天皇を主体とする内容は、「国民主権」の世の中では「適当」ではないという意見がある。

これが、唯一の反対理由のようである。

だが、日本は、成熟した民主主義国家であるから、『教育勅語』は「憲法違反」とする批判は、間違っている。(つまり、内容の批判ではなく、制度上の批判にすぎない)

道徳観(倫理観)を、法的整合性で批判する事は、そもそも間違いである。

昨日、元文部官僚某氏がテレビで、「憲法違反」「教育基本法違反」と、『教育勅語』を批判していた。

それは、教育勅語に対する≪批判≫ではない。≪抹消≫であり、日本文化に対する重大な挑戦である。

日本の国は、「古来言霊の幸(さまお)ふ国」として、言葉を非常に大事にした国である。

ところが、古い「文献」を検証もなく抹消するのでは、修養も道徳も条理もすべて廃れてしまう。

『教育勅語』から学ぶべきは多い。

『教育勅語』を、歴史的文献(古典)として読むのも一つの方法である。

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2017年3月 9日 (木)

中国人の日本観③

詩歌は、民族のエッセンスを知る上で重要な史料ともなる。

漢詩に親しんでいくと、それは、日本人にも多大な影響を与えたことが分る。

そては、科挙の試験科目に、「漢詩創作」があった事とともに、私が中国人や中国文化に敬意を払う理由である。

日本は、漢字を通じて中国から多くのものを学んだ事は、事実である。

それと同時に、平安時代には、日本独自の『国風文化』を発展させた事も事実である。

それ故、過去の中国に対して、敬意を持つと同時に、随・唐との文化交流によって、我が国の学者が真摯に貪欲に学び取った事に、そのような日本の歴史に誇りを持つべきである。

日本人を指す蔑称である、「倭」(wa)も、やがて「大倭」から「大和」と表現するようになった。

即ち、蔑称から、誇りある表現で表記されるようになった。

因みに、「ヤマトタケル」は、古事記では『倭建命』だが、日本書紀では『大和武尊』と表記される。

それは、わが民族(ヤマト民族)に対する誇りが隠されている。

大和(ヤマト)と言えば、天皇の住まわれる土地であるからである。

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2017年3月 8日 (水)

中国人の日本観②

阿倍仲麻呂は遣唐使に随行して唐に渡った。

唐では、李白、王維など最高の文人と親交を温めた。

その仲麻呂が日本に帰る時、王維は送別に際して『秘書晁監の日本国に帰るを送る』の漢詩の中で次の様に詠っている。

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積水不可極  積水極むべからず

安知滄海東  安んぞ知らん滄海(そうかい)の東

九州何處遠  九州(きゅうしゅう)何れの処か遠からん

萬里若乗空  万里空に乗ずるが若し  (以下略)

ひろびとした海(積水)の果てはきわめようのない

東の海(滄海)のさらに東、君の故国のあたりのことなど、どうしてわかろうか

中国の外の九大州(九州)のうちでどこが一番遠いだろうか

君の故国へ帰る万里の道は、空中を飛んで行くようなものだろう

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「滄海」「九州」などの語は神話伝説にでてくる言葉で、空想上の世界である。

当時の中国人の日本観、ひいては世界観が垣間見える。

中国の古代周王朝で、「東夷」とは、現在の山東省を指していた。

日本は勿論の事、朝鮮ですら「東夷」の外側、即ち古代中国人にとって地の果て、圏外だったのである。

唐代ですら、中国にとって日本は、未知の国だったから、阿倍仲麻呂はまさしく、遠い滄海の東からやってきた異邦人だったのである。

だが、此の異邦人(阿倍仲麻呂)は、高い教養を備えた文人で、中国人の日本観を大きく変えたのではないかと思う。

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2017年3月 7日 (火)

中国人の日本観①

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あおがき)

山隠(ごも)れる 倭し うるはし

 倭建の命(ヤマトタケルノミコト)『古事記』歌謡31

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これは「ヤマトタケル」の歌である。

「まほろば」とは、素晴らしい理想郷という意味である。

「ヤマト」とは、「日本国」の意味であり、日本人なら、ヤマトタケルノミコトならずとも、"ヤマト”の表音に特別な気持ち(愛着)を抱く。

中国「三国志」時代の歴史書には次の記録がある。

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・・・・・・楽浪の海中に倭人有り、分かれて百余国を為し、歳時を以って来たりて献見すという・・・・・・

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「楽浪の海」とは、今で言う「東シナ海」の事である。

「倭」(wa)には、「辺境・異郷の地」という意味合いがあり、倭(倭人)とは、大陸から見た日本(日本人)の蔑称でもある。

(尚、「倭」(倭←委)の表記から「東夷」の派生とする説もある)

中華思想の世界観では、天子(中国皇帝)を中心として周辺属国の更に外部には、天子に服従しない異民族がいて、東夷・北狄・西戎・南蛮と呼んで蔑んでいた。

朝鮮は中国王朝の属国であり、「東夷」ではない。

因みに、朝鮮王朝が、敵を「夷狄」と呼ぶのは、東方の日本や、北方の遊牧民を意識しての蔑称である。

さらに、日本人を「倭人」と呼ぶことで、日本に対する優越性を示そうとした。

これは、小中華思想とも呼べる。

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2017年3月 6日 (月)

豊洲移転問題~安全(客観性)と安心(主観性)とは異次元の尺度

先日、石原慎太郎氏(元東京都知事)が記者会見したので、テレビで観ていた。

マスコミは、不満顔だった。

「真実は語られなかった」「責任転嫁、逃げ」と、石原氏を批判していた。

小池知事も、「(武士として)石原氏らしからぬ?」として、皮肉たっぷりに石原氏を批判していた。

物怖じしない小池百合子さんらしくて良いが・・・私は違う感想を持つ。

あの会見は、「(石原氏は)できるだけ誠実に、正確にに答えたのではないか?」と思う。

質問に答えない(黙秘)のならまだしも、分らないない事は「分からない」と答え、記憶にない事は「記憶にない」と答える事は、決して不誠実な事ではない。

(想定問答により準備をした)石原氏より、感情的な、想像・決め付けによる幼稚な質問を繰り返すマスコミ陣の方にこそ、私は不満を持つ。

石原氏は、最高裁決者(知事)として責任を認めた。

そのうえで、議会も含めて都庁全体の責任を強調していた。

これは、「潔くない」というが、逆に石原氏一人に罪をなすり付けるものである。

極めて暴論であり、陰湿な人格攻撃、言論封じと同じだ。

石原氏は、正しい事を言った。

「(小池知事は)豊洲は安全なのだから、早く移転すべきだ!」・・・その通りである!

水質モニタリングは、継続して行えば良いではないか!と思う。

小池知事は、「都民の安全・安心は、到底得られない」と言っている。

安全と安心は異次元の尺度である。

即ち、<安全>というのは、客観的な科学的基準をクリアしたもので、それは「科学的数値」で示されるものである。

他方、<安心>というのは、世の中の風評などで醸成される主観的な判断で、それは「科学的数値」では示されない。

それは、「世論調査」などの尺度に表れる。

安全(客観性)と安心(主観性)とは、異次元の尺度である。

小池知事は、よく頑張っている事は認める。

だが、石原氏の言うように、今は「不作為の責任」も痛感すべき時である。

それ故、豊洲移転問題を、都議会議員選挙の争点にしてはならないと思う。

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2017年3月 3日 (金)

頑張れ!安倍総理大臣

森友学園という私学が、連日、問題にされている。

この問題の核心は何か?国有地払下げの過程で、不正(政治家の介入)はあったのか?なかったのか?という事である。

教育勅語を取り入れていることが問題ではない。

だが、一部メデイア(テレビ朝日だったか?)は、「戦前の軍国主義への懐古」として批判していた。

私は、逆に、教育勅語を学習教材に取り入れている事は、「日本人としての正しい道徳心(=教育勅語)を教える上で素晴らしい事だと思う。

だが、教育勅語が問題の核心ではない。

野党は、下品であり、卑劣である。

安倍総理と明惠夫人への個人攻撃(犯罪者という印象操作)を続けている。

総理に対して、不正が無い事を証明しろと、「悪魔の証明」を迫っていて、「日本人なのか?」とさえ思う。

山本太郎議員は、「アッキード事件」と下品に揶揄したが、これは限度を超えた暴論である。

明恵夫人は、森友学園の児童たちの「安倍総理!頑張って」という声に、涙を流したが、このことを、野党やマスコミは、「森友学園とズブズブの関係」と、悪意をもって伝えていた。

だが、「子供たちが、夫に、頑張れ!とエールを送る姿」に、妻として感動して涙を流したという事である。

多くの国民が「頑張れ!安倍総理!」と思う中、総理夫人が、「子供のエール」に感動したのは、人間としてごく自然なことである。

このどこが、「森友学園とズブズブ」なのか?

野党と一部マスコミは、日本人としての正しい道徳心が失われている。

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2017年3月 1日 (水)

≪漢詩鑑賞≫黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

李白の名作・七言に絶句の一つである。

この詩は、別離の寂しさを表現したにとどまらない。

親友孟浩然が、雄大な長江を下っていく情景が、それを消えるまで見送っている李白の気持ちが、ゆっくりとした動画の様に描かれている。

☆・・・・・・☆……☆……☆……☆

黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

故人西辞黄鶴楼  故人西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し

烟花三月下揚州  烟花(えんか)三月揚州に下る

孤帆遠影碧空盡  孤帆(こはん)の遠影碧空(へきくう)に尽き

唯見長江天際流  唯見る長江の天際(てんさい)に流るるを

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我が親友(故人=古馴染みの友人),孟浩然君は、この西の黄鶴楼に別れを告げて(辞し)

春、花霞(烟花)の三月に揚州へ舟で下っていく

楼上から眺めると、たった一つの帆かけ舟(孤帆)のかすかな姿(遠影)が、青い空(碧空)に吸い込まれて消え(尽き)

あとにはただ長江の流れが天の果て(天際)へと流れてゆくばかりである(唯見る)

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