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2016年8月29日 (月)

国民教育の教材として、教育勅語に優るものなし

私は、常日頃「国民教育の教材」として、『教育勅語』に優るものなし、と思っている。

教育勅語には、次の通り「普遍的な徳目」が説かれている。

それは、平成の世でも変わらない、変えてはならない内容である。

☆……☆……☆……☆……☆

≪十二の徳目≫

①孝行(子は親に孝養をつくしましょう)

②友愛(兄弟、姉妹は仲良よくしましょう)

③夫婦の和(夫婦はいつも仲むつまじくしましょう)

④朋友の信(友だちはお互いに信じ合ってつき合いましょう)

⑤謙虚(自分の言動をつつしみましょう)

⑥博愛(広くすべての人に愛の手をさしのべましょう)

⑦修学習業(勉学にはげみ職業を身につけましょう)

⑧智能啓発(智徳を養い才能を伸ばしましょう)

⑨徳器成就(人格の向上につとめましょう)

⑩公益世務(広く世の人々や社会の為になる仕事にはげみましょう)

⑪遵法(法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)

⑫義勇(正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう)

=明治天皇御製・教育勅語謹解『大御心』(明治神宮発行)より=

☆……☆……☆……☆……☆

これほど、国民教育の教材として『教育勅語』に優るものはない、と思う。

私は、学校教育、就中公立学校の現場で、教材の一つとして積極的に、『教育勅語』を採用すべきだと考えている。

だが、『教育勅語』に対する偏見からか、公立学校の現場で、採用されているという話は聞かれない。

残念な事である。

☆……☆……☆……☆……☆

だが、私が推奨する次の図書(※)には、学校教育の現場で『教育勅語』を教材として活用している。

※ 『日本に夜明けを告げるときー朝会訓話集(平成26年1月よ12月まで)』(著者:大和山学園理事長 田澤昭吾先生)

著書の99ページ、103ページには、次のように書かれている。

・・・日本は今、創立者田澤康三郎先生の目指した方向に国をあげて取り組もうととしています。皆さんは、朝会で週に一度、教育勅語を奉読しています。宗教でも、一年生の時に教育勅語について勉強しますし、定期考査で試験問題としても扱っています。・・・

・・・こうした動きを見ていますと、昭和三十年五月の大和山松風塾開塾当初から教育勅語を古典として読み、その精神を人間の基本的な道徳として学ばせてきた創立者田澤康三郎先生の識見に敬服させられます。・・・

※田澤康三郎先生とは、宗教法人・松緑神道大和山初代教主様(法名:大和小松風)の事である。

☆……☆……☆……☆……☆

私も、昔、山田軍太郎大泉支部長に同行して、青森の大和山本部で、初代教主様の法話を拝聴した事があるが、その‟分かり易さ”に感服した記憶がある。

また、大和山学園理事長の田澤昭吾先生は、今、最も尊敬する教育者である。

○○師、○○師という呼び方がある。

一般に、教育に携わる人を、教師という。

この‟師”という言葉には次のような意味がある。

”師”とは、ある分野で自分より優っている‟心や技”をもっている人をいう。しかし、その「差」は、相対的なものであって、‟師”は絶対という事ではない。

また、目指す対象が変われば、人は互いに‟師”であり‟弟子”でもある。

それは、‟教師”と雖も言える事である。

ホンモノの教育者とは、自らも‟人格”を高める努力を常に続けている人の事である。

国民教育の教材として、教育勅語に優るものなし

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