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2016年3月

2016年3月27日 (日)

金慶珠マシンガンvsケントバズーカ(日本の教科書検定で中韓反発!『新報道2001』)

今朝の『新報道2001』(フジテレビ)は面白かった。

テーマは、日本の教科書検定問題であった。

中味は、①日本の領土(竹島・尖閣)に関する記述、②いわゆる慰安婦問題、など当然ながら日本と中国・韓国が双方とも「相容れない問題」である。

マシンガントークと異名をもつ韓国人女性学者(?)の金慶珠氏だが、喋りまくる事で相手を圧倒する、相変らず「ピリオドの無い、接続詞だらけ」の弁論術だった。

(隣の中国人が霞んでしまうほど)

息継ぎをしないで喋るのだから、金慶珠氏の肺活量は、相当なモノだろうと思う。

こんな女性と口論したら、大抵の男性は、負けてしまうネエ・・・。≪笑≫

だが、ケント・ギルバート氏は、次のように反論した。「日本の教科書検定なのだから、それは中国・韓国による内政干渉だ!」

「内政干渉!」というのは、ズバリその通りである。

これ以上、説明しなくても良いほど的確な反論で、まさにケント・ギルバート氏のバズーカ砲だった。≪笑≫

更に、相手の3倍以上も喋りまくる金慶珠氏に対して、下村博文元文科相が、「学者なら、事実を話すべき」と諌めたところ、更に逆切れして喋りまくっていた。

下村氏は、「領土・主権・国民は、国家の3要件である」「領土を教科書で教える事は、当然の事だ」と、冷静に説明していた。

『新報道2001』(フジテレビ)は、『サンデーモーニング』(TBS)の「反論の無い・・・お通夜の様な」偏向番組と違い、実に面白い番組だった。

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2016年3月26日 (土)

平和安全法案の施行直前で、「廃止法案」を提出する野党五党の迷走

与野党ともに、政党政治は劣化しているようだ。

自民党大西議員の、「巫女のくせに」「夜の街で説得」云々の発言は、意味不明(谷垣幹事長談)の「無駄口」でしかない。こんな発言をすれば、「マスメデイアの標的になるだけだ」という≪想像力≫の欠片もない。

自民党のイメージダウンになるだけでなく、政治家全体のイメージ低下に繋がる。国会議員は、就中与党議員は、(その言動が)マスメデイアの標的になっている事を十分自覚し、自己研鑽に努めなければならないが、その資質が欠ける議員が(与野党問わず)多い。

最近は、「議員」だけでなく、「政党」の劣化が甚だしい。

野党五党(民主・維新・共産・社民・生活)が、昨年国会で採決された『平和と安全に関する法案(通称:安保法案)』に対して、廃止の法案を共同提出するという。

これは、否決されるのを見越した「選挙対策パフォーマンス」である。

それも、施行直前で「廃止」を提出するというのは、無責任極まりなく、野党五党の迷走をしめすものだ。

即ち、健全な野党は、何でも「反対」ではなく、是々非々の立場をとる。そして、重要な法案に対しては、「反対」の場合はしっかりとした「対案」を法案として提出すべきである。

「廃止」は、「対案」ではないのだから・・・。

議員の劣化もそうだが、政党、就中「野党五党」も相当劣化していると言える。

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2016年3月24日 (木)

李氏朝鮮時代ドラマて解ること

韓国の時代劇ドラマは面白い。

つまり、典型的な「勧善懲悪」で、結末が穏やかなハッピーエンドである。そして、李氏朝鮮時代の王様は、概ね民の為「善政」を施すために、悪徳官僚一派の悪だくみを打ち砕くという。

私が気に入ったドラマは、『トンイ』『イサン』『チャングムの誓い』『馬医』など、イ・ビョンフン監督の作品である。中でも、『トンイ』は、映像の美しさから好きな作品である。(節約の為か、舞台装置は、どれも同じのものを使っているようだ≪笑≫)

共通しているのは、「正義は必ず勝つ」という内容である。

この場合、「正義」とは朝鮮国王であり、国王を崇拝する愛国民衆である。韓国の時代劇ドラマだから、それは当然である。

では、「敵」とは誰か?国王に刃向かう悪徳官僚一派である。時折、日本がドラマに登場するが・・・必ず「敵役」で登場する。中国の明や清は、朝鮮王朝にとって宗主国であり、同盟国として描かれていて「敵役」ではない。

朝鮮王朝にとって、敵とは「夷狄(いてき)」と呼ばれている。即ち、東夷(東の日本)、北狄(北方の遊牧民)が、彼らにとっての敵なのである。これらのメンタルは、現代の韓国人・朝鮮人にも、受け継がれているようだ。

我々が、韓国と友好を深めようとしても、韓国人にとっては今でも、「日本人は敵」なのである。パク・クネ大統領が、「(日本に対する)恨みは千年経っても消えない」と言ったのは、彼らの拭い去れない本音であることが分る。

だがら、韓国ドラマは面白いが、韓国は腹の底から好きになれない。日本人を拉致している北朝鮮は尚更である。

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2016年3月21日 (月)

≪漢詩鑑賞≫蜀相(=蜀の宰相・諸葛亮孔明)~杜甫

杜甫は、孔明を尊敬していた。

この詩は、杜甫49歳の作。成都に来て、諸葛孔明の廟に参拝し、うたったもの。第五句の「三顧」とは、三顧の礼のこと。

孔明は、五丈原で魏の司馬懿と対戦中、陣中で病死した。その夜大きい流れ星が落ちたという。(三国志より)

☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆

蜀相   孔明(七言律詩)

丞相祠堂何處尋  丞相(じょうしょう)の祠堂何れの処にか尋ねん

錦官城外柏森森  錦官城外柏(はく)森森(しんしん)たり

映堦碧草自春色  堦(かい)に映ずる碧草(へきそう)自から春色

隔葉黄鸝空好音  葉を隔(へだ)つる黄鸝(こうり)空しく好音

三顧頻繁天下計  三顧頻繁(ひんぱん)なり天下の計

兩朝開濟老臣心  両朝(りょうちょう)開済(かいさい)す老臣の心

出師未捷身先死  出師(すいし)未だ捷(か)たざるに身はまず死し

長使英雄涙滿襟  長(とこしえ)に英雄をして涙襟に満たしむ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

蜀の丞相(宰相)諸葛孔明を祭ったお堂(祠堂=ほこら)はどこに尋ねたらよいだろうか

成都城(錦官城)外の柏の木々がこんもり(森森)と茂っているところがそれだ

祠堂の階段(堦)にみどり色(碧草)を映じている草は春がくれば春のよそおい(春色)をこらす

葉かげ(葉を隔つる)で鳴くうぐいす(黄鸝)は、空しく美しい聲でさえずるばかり

昔、劉備は三度もひんぱんに孔明を尋ねて、天下を治める策(天下の計)をたずねた

孔明はこれに心を動かされて、劉備、劉禅の二代(両朝)にわたって仕え、創業、守成して(開済)老臣のまことを尽くした

しかし、魏討伐軍を出して、まだ戦いに勝たない(捷たざる)うちに、その身は先に死んでしまい

とこしえ(長)に後世の英雄たちのえりを哀痛の涙でむらすのである

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記  死せる孔明、生ける仲達を走らす

孔明の死を知らない、司馬懿(字は仲達)が逃げた事からこの諺が生まれた。天才軍師・孔明の能力を知る好敵手・仲達ならではの出来事である。

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2016年3月20日 (日)

マスコミの偏向・暴走こそチェックすべきだ!

マスコミが云うセリフで多いのが、次のフレーズだ。

憲法は権力を縛るためにある。

このフレーズは、誰が言い出したか知らないが、「反権力」を売り物にするジャーナリスト(?)たちが、よく口にする。

しかし、憲法のどこにも、それに類する条文は無い。従って、「権力を縛る」が憲法の「目的」であるというのは、彼らジャーナリストの捏造である。

彼らによれば、「権力者は悪いことをする」という前提に立って、「権力をチェックする」のがマスコミ、ジャーナリストの役割だと、言う。

(我々が、正義の監視機関だと)

勿論、権力をチェックする事も、マスコミの役割であることは否定しない。

だが、其処には「マスコミの無謬性」という、上から目線が存在するし、役割も発揮していない。

実際には、マスコミこそが、ある意図をもって事実を捻じ曲げ、隠蔽し、偏向し、暴走する事が多く、「第四の権力」と呼ばれている。

そうであれば、マスコミの偏向・暴走を誰がチェックするべきか?

高市総務大臣の「「放送法」に関する発言は、そういう問題である。

即ち、マスコミの偏向・暴走をチェックするのは『法律』である。『法律(放送法等)』によって、チェックすべきだ!当然ながら我が国は、人治主義ではなく法治主義である。

大臣と言えども、法律以上の事は出来ない。

法律でチェックする事を、「マスコミが委縮する」などというのは、見当違いも甚だしい。

今の日本で、最も大切な事は。マスコミの偏向・暴走をチェックすることである。

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2016年3月18日 (金)

常識人(マジョリテイ)と、天邪鬼(マイノリテイ)

凡そ一つの国家・国民が、単一の思想であることは、独裁国家でない限りあり得ない。

1000のアリの実験でも、全てが「働きアリ」ではなく、「怠け者アリ」が僅かだがいる。更に、「働きアリ」だけで実験しても、必ず「怠け者アリ」が出現する。

働きアリ(マジョリテイ)と、怠け者アリ(マイノリテイ)の比率は、ある程度一定していて、人間社会の思想でも同じである。

常識人(マジョリテイ)と天邪鬼(マイノリテイ)に分類される。

常識とは、道徳を備えている事であり、「人を殺してはいけない」というのは最低限の道徳である。例えば、中東におけるテロ集団や、北朝鮮の独裁者などが其れ(マイノリテイ)にあたる。

思想の自由だが、それは殺戮や恐怖の上にあってはならない。

一方、思想の自由は、常識人(マジョリテイ)の思想を妨害・破壊するものであってはならないが、これを弾圧するのではなく、思想的に克服することが大切である。

我が国の「政治思想」でみるならば、何に対しても「反対」の、天邪鬼(マイノリテイ)の議員が跋扈している。そしてそれを、後押ししているのが天邪鬼(マイノリテイ)のジャーナリストである。

其の議員とは、共産党・社民党、民主党の一部、そして山本太郎と仲間たち等の議員である。其のジャーナリストとは、鳥越・青木・田原・大谷・金平及びヒゲ(名前を失念)などである。

思想の自由とは、天邪鬼(マイノリテイ)のマヤカシを正確に批判する事である。彼らのプロパガンダに負けてはならない。

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2016年3月17日 (木)

日米関係はどうなる?

アメリカの大統領選挙では、共和党では、トランプ氏が他候補をリードしている。

トランプ氏にとっては、日本も中国も(容姿以外にも)区別はつかないようだ。おそらく、日本列島の位置ですら正確ではないだろう。国際政治に関する知識はゼロに近い。

流暢な日本語で活躍している米国人タレントなどはごく少数で、(残念ながら)トランプ氏に限らず、知日家と言える米国人は、極端に少ない。

日本の外交・防衛上の命運は、日米同盟の存在が80%以上である。としたら、米国にとって日本の存在感は、20%以下ではないか?

日本は、(現実として)米国の『核の傘』のもとに安全保障を構築している。私は、米国の『核の傘』が、我が国の国防上、最も合理的で、安全であると考える。

米国も、また公式には、そのように世界戦略を考えている。

以前、民主党政権が、「アメリカの核兵器はいらない」と主張した時、日本は核武装するつもりではないか?と疑われた。

沖縄の米軍基地のちゃぶ台返しをしたのも民主党政権だったから、日米関係は最悪だった時代である。

(民主党政権の主張は、単に「お花畑」の主張でしかないが、その主張で、米国人に信用されなくなったのは事実である。「お花畑」は、米国人には理解できない。)

トランプ氏の「発言」は、米国版「お花畑」である。

日米関係はどうなるか?日米同盟が、揺らぐことがあってはならない。

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2016年3月15日 (火)

民主と維新が一緒になっても、政党支持率は5.7%しかない現実

民主党と維新の党が合わせて、「民進党」という名前の政党に決まったようだ。

だが、この「民進党」という政党は、反自民を旗印に、自民党への批判票の受け皿を狙ったもので、(何にでも反対の)旧社会党への先祖帰りでしかない。

当面する選挙互助会として発足したものであるから、蓮舫議員あたりが、「民進党」の顔としてキャンペーンガールをつとめるだろう。

だが、蓮舫人気にも限界がある。

選挙後は、路線対立が起こり分裂を繰り返す。そして、自民党への批判票は、共産党が受け皿を広げ、野党第一党になる可能性すらある。

全く困ったものだ。「反自民」とか、「護憲」などが、政策だと勘違いしている。健全野党というのは、自らの対案を示し、与党案に対して是々非々で臨む事である。

新しく出来た「民進党」は、その意味で健全野党とは言えない。

政党支持率(時事通信・2月調査)によれば、次の通りであった。

1位:支持なし(58.3%)、2位:自民(26.4%)、3位:民主(5.2%)、4位:公明(4.4%)、5位:共産(1.9%)、6位:おおさか維新(1.4%)、7位:維新の党(0.5%)、8位:社民(0.2%)、9位:生活の党、日本の心を大切にする党、新党改革(0.1%~0.0%)

民主党と維新の党を合わせても、6%未満である。

最近、政党支持率には、意味が無いように思う。アメリカの大統領選挙での共和党・民主党の指名獲得選挙を見ると、共和党と民主党の違いよりも、候補者個人のキャラクターが前面に出ている。

日本でも、「民進党」がどのような政党なのか?誰にもわからない。政党互助会である所以である。

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2016年3月14日 (月)

≪漢詩鑑賞≫白馬篇(曹植)

『三国志』によれば、曹植(そうち)は、十歳余で『詩経』『論語』などを暗唱できたという。父曹操、兄曹共々・・・曹家の人々はこの時代きっての知識人であったといえる。

☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆

白馬篇  曹植

白馬飾金覊  白馬金覊(きんき=おもがい)を飾り

連翩西北馳  連翩(れんべん=飛ぶように)として西北に馳す

借問誰家子  借問(しゃもん=お尋ねします)す誰が家の子ぞ

幽幷遊侠兒  幽幷(ゆうへい)の遊侠児(ゆうきょうじ=命知らず、男だて)

少小去郷邑  少小(しょうしょう=少年のころ)にして郷邑(きょうゆう=故郷)を去り

揚聲沙漠垂  声(な=名声)を沙漠の垂(ほとり=彼方)に揚(あ)

宿昔秉良弓  宿昔(しゃくせき=昔)良弓(りょうきゅう=強い弓)を秉(と=離さず)

楛矢何參差  楛矢(こし)何ぞ参差(しんし=長短そろわない、無造作)たる

控弦破左的  弦を控(ひ)きて左的(さてき)を破り

右蕟摧月支  右に発して月支(げっし=描いた的)を摧(くだ)

仰手接飛猱  手を仰げて飛猱(ひどう=手長猿)を接(むかえう=迎え撃ち)

俯身散馬蹄  身を俯(ふ)して馬蹄(ばてい)を散(さん=撃ち砕く)

狡捷過猴猿  狡捷(こうしょう=すばやい)なること猴猿(こうえん=猿)に過ぎ

勇剽若豹螭  勇剽(ゆうひょう=荒々しい)なること豹螭(ひょうち)の若し

邊城多警急  辺城(へんじょう=辺境の要塞)警急(けいきゅう=非常事態)多く

胡虜數遷移  胡虜(こりょ)(しばしば)遷移(せんい)

羽檄従北來  羽檄(うげき=急に兵を招集する檄文)北より来り

厲馬登高堤  馬を厲(はげ)まして高堤(こうてい)に登る

長駆蹈匈奴  長駆(ちょうく)して匈奴を蹈(ふ)

左顧凌鮮卑  左顧して鮮卑(せんぴ)を凌(しの)がん

棄身鋒刃端  身を鋒刃(ほうじん)の端(たん)に棄(す)

性命安可懐  性命(せいめい)安んぞ懐う可けんや

父母且不顧  父母すら且つ顧みず

何言子輿妻  何ぞ子と妻とを言わん

名編壮士籍  名は壮士の籍に編(へん)せらるれば

不得中顧私  中に私を顧(かえり)みるを得ず

捐軀赴國難  身を捐(す)てて国難に赴き

視死忽如歸  死を視ること忽ち帰するが如し

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2016年3月13日 (日)

国防を怠ると、習近平がヒトラーに変貌する

米韓軍事演習は、北朝鮮に対する軍事的圧力を強めている。

これで、軍事演習の間は、北朝鮮は手も足も出ないだろうし、大規模な軍事演習は極めて抑止力として効果的だ。

北朝鮮ばかりでなく、背後の中国共産党政権も、戦々恐々としている。

北朝鮮や中国が、最も恐れているのは日米韓の軍事的緊密性であることは間違いない。

こんな時、「軍事演習は緊張を高める」という論調が中国側にあるが、これは中国の「兵法」の一つである。

中国の「口車」に乗って、油断し国防への備えを怠ると、中国は益々覇権を拡大する。

南シナ海での近年の動きをみれば、分かる事。

中国に対して、決して「融和政策」などあり得ないという事を、肝に銘ずるべきだ。

そうでなければ、第二次世界大戦前夜のヒットラー(ドイツ)に対するチェンバレン(英国)になってしまう。

国防を怠ると、習近平がヒットラーに変貌するのである。

歴史の教訓を学ぶべきである。

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2016年3月12日 (土)

安倍総理の誤読より、小池氏(共産党)の「子供の苦労がないから」という発言の方が酷い

帰りの新幹線車中で、次の『朝日新聞ニュース』をみた。

安倍首相、「保育所」を「保健所」と誤読 議場騒然、首相はミスを訂正

こんな内容だったが、不思議に思った。

「保育所」を「保健所」と誤読したくらいの些細なミスで、何故「議場騒然」とならなければならない。

私は、思った。

また、野党による「揚げ足取り」が始まったのだろうと思ったが、気になりスマホで調べたら次の通りだった。

『産経新聞ニュース』・・・安倍首相、「保健所」誤読で議場騒然 「子供の苦労ないから」と(小池)共産委員長

産経新聞ニュースを見て、問題の核心が見えた。

問題の核心は、『首相の誤読』ではなく、後半の『(共産党政策委員長の小池氏の)子供の苦労ないから・・・発言』である。

即ち小池氏は、「(子供のいない)安倍総理は、子供の苦労がないから、ああいう言い間違いをする」と言った。

単なる「揚げ足取り」批判とは違い、この発言は、酷い。

朝日新聞の扱いでは、「安倍総理の誤読→議場騒然」しか伝わらないが、小池氏の安倍批判は、「子供のいない人」の心を、傷つけるものであることは、産経新聞ニュースで核心が伝わってくる。

もしこれが、自民党議員の「発言」だったら完璧にアウトだっただろう・・・。

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2016年3月 9日 (水)

千葉市の朝鮮学校への優遇措置に反対する!

私は、北朝鮮による日本人拉致被害者の全員帰国を願っている一人である。

その立場から、千葉市の朝鮮学校(総連施設)への優遇措置に断固反対する!

拉致被害者救出の国民運動は、超党派でされているし、そうあるべきだ。(超党派と言っても、共産党、社民党、小沢一郎の生活の党と山本太郎と仲間たち?だけは、国民運動には参加せず、「北朝鮮との融和路線」を貫いているが・・・)

だが政党以外で、「北朝鮮支援」議員は多数いる。

代表的なのは、拉致実行犯シンガンスの釈放署名をし、親北朝鮮団体「市民の党」との不明朗な関係を指摘されている菅直人元首相である。

(党派に関係なく、徹底的に究明し、糾弾されるべきである)

拉致被害者の救出の為には、効果的で強力な追加制裁をかけるべきである!

「拉致問題は、日本政府の課題で、地方政治とは関係ない」という風潮がある。だが、それは間違いである。(例えば、地方自治体による朝鮮総連施設への税減免等の優遇措置をストップするだけで、相当の効果がある。)

地方自治体でも、やれることはあるし、それをやれば効果がある。

「効果」とは、金正恩独裁政権の資金「枯渇」を意味する。

「隗より始めよ」である。

私の地元千葉市は、朝鮮学校・総連施設への減免措置を続けているが、ストップすべきである。

前衆議院議員の田沼たかしさんは、明確に「ストップすべき」と主張していて頼もしい。他の(地方議員を含めて)議員さん達は、声を挙げるべきである。

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2016年3月 7日 (月)

与党も野党も、憲法改正議論を回避するな!!

憲法制定から、70年が経過し、国際情勢が大きく変化した。

「戦争に繋がる(?)改憲議論は絶対に許さない」という9条派の主張は極端であり、思考停止を強要するものであるが、幸い、国民の間には、徐々に冷静に憲法を「見直す」風潮がでてきた。

(改憲論議を選挙の争点にすべきか?どうかは別にして)最高法規としての憲法を、法的整合性から冷静に「見直す」時期であることに間違いない。

私は、次のように考える。

憲法の三原則(①基本的人権②国民主権③平和主義)を堅持しつつ、現実から乖離した条文を、当然の事ながら・・・三原則に照らして正しく憲法を改正すべきである。

それが、改憲の最大の理由であり、憲法三原則を現実に即して堅持しようとすれば、「改正」は自然な帰結である。

(史実はそうであっても・・・)GHQのつくった「おしつけ」憲法だから、「自主憲法」を創ろうとというのではない。

誰が創っても、良いものは良く、悪いものは悪い。

時代と共に乖離した条文を改正すべきは当然であり、現行憲法の手続き(3分の2の発議、過半数の賛成→改正)で行うことになる。

また、民主党の岡田などは、「(安倍政権下での)憲法改正に反対」と言っているが、これも党利党略の発言だ。

誰が創っても、良いものは良く、悪いものは悪い。

維新との結党大会においても、改憲はハッキリしてないようだ。

「安倍政権下での・・・」という理由で、改憲議論すら回避し、「改憲反対」を主張するのは、無責任である。

今さら、民主党に「政治家として矜持を持て!」と言っても「鳩に豆鉄砲」だろうが、少なくとも、民主党内の数少ない「保守派」が黙っているがどうしたことか?

与党も野党も、憲法改正議論を回避するな!

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2016年3月 6日 (日)

≪漢詩鑑賞≫七歩の詩(曹植)

長編ドラマ『三国志』を興味深く見ている。

『三国志』は、中国の漢末から魏・呉・蜀(三国)の戦乱の歴史である。

興味深いのは、この時代には数々の武勇伝が有名であるが、一方では、詩の面でも優れたものが残されている。

「英雄色を好む」というが、加えるならば「英雄詩を好む」とも言える。

魏の建国者である曹操は、その意味では『文人』としても第一級の人物である。

曹操は、しばしば息子の曹丕(後の文帝)、曹植に詩作を要求し、その詩の内容から内面の心を読み取った。

(当時は、親兄弟と言えども、権力闘争の中にあっては疑心暗鬼となる。)

この詩は、(曹操の死後)息子・曹植が、兄の文帝に、「七歩あるく間に詩を作らなければ死刑にする」と命じられ作った詩である。

☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆

七歩の詩  曹植(そうち)

煮豆持作羹  豆を煮て持て羹(あつもの)と作(な)

漉豉以為汁  豉(し)を漉(こ)して以て汁と為す

萁在釜下燃  萁(まめがら)は釜の下に在って燃え

豆在釜中泣  豆は釜の中に在って泣く

本是同根生  本(もと)は是れ同じ根より生ぜしに

相煎何太急  相煮ること何ぞ太(はなは)だ急なるや

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豆を煮てスープ(羹)を作り

みそ(豉)を漉してみそ汁とする

豆がらは、釜の下でパチパチ燃え

豆は釜の中でグツグツと泣く

豆がらも豆も、もとは同じ根からできたものなのに

豆がらよ、どうしてそんなに激しく煮立てるのだ

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2016年3月 5日 (土)

『報道特集』(TBS)では、高市総務大臣を批判し、「中国、北朝鮮ですら言論の自由を保障している」と発言

夕方の『報道特集』(TBS)では、高市総務大臣の「放送法に関する発言」について、時間をかけて批判していた。

(ウンザリするほど、手前味噌の編集である)

即ち、「(高市発言は)放送社を委縮させる」「言論弾圧に繋がる」というニュアンスの批判キャンペーンである。

それについては、以前「(自称)ジャーナリストへの批判」を述べたが、簡単に言えば。次の通りである。

何人も、言論の自由はある。

だが、何人も、デマ・捏造の自由はない。

安倍内閣批判は、いつもの如くである。

だが、驚いたことに、「言論弾圧に繋がる・・・」の流れで、キャスターが次のように言った。

「中国、北朝鮮ですら言論の自由を保障している」

私は、耳を疑った。

独裁国家の、中国、北朝鮮の放送が、「言論の自由を保障している」とは、どうして言えるのか?

驚くべき、偏見である。

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2016年3月 4日 (金)

最高法規である日本国憲法をこれ以上「放置」することは許されない

民主党の岡田=枝野執行部は、ますます「反自民」「反安倍」色を強めているようだ。

さらに、共産党を含めた野党五党の<選挙共闘>へと発展させようと、企んでいるようだ。

だが、この<企み>は失敗するだろう。

何故なら、国民は既に見切っている。

「反自民」「反安倍」は、単に「自民党が嫌い」「安倍が嫌い」という駄々っ子の主張に過ぎず、それは「政権構想」でも「政策」でもない。

例えば、自民党は、憲法草案を示している。

これに関しては、公明党や自民党の中からも参議院議員選挙の「争点」にしたくないという意見もある。「争点」にするかどうか別にして、全ての党は、草案を示して改憲議論をすべきである。

判断するのは主権者である国民である。

大阪維新の会の片山虎之助議員は、同党の『改憲案』をまとめていると言っていた。良い事である。

だが、民主党は、「(言論の自由がない?)安倍政権の下での憲法改正は許さない」というへ理屈を付けて、「議論すら許さない」と言っている。

世界情勢が大きく変わり、最高法規である日本国憲法を、これ以上「放置」することはゆるされない。

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2016年3月 3日 (木)

「表現の自由」を歪曲するジャーナリスト達(青木理・大谷明宏・金平茂紀・岸井成格・田原総一郎・鳥越俊太郎)

高市総務大臣が「政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局の電波停止」に言及した問題で、6人の自称「ジャーナリスト」が非難声明をあげた。

その会見に同席したのは、青木理、大谷明宏、金平茂紀、岸井成格、田原総一郎、鳥越俊太郎の6氏であり、田勢康弘氏も呼びかけ人に名を連ねた。

国会予算委員会でも、民主党が取り上げ追及していたので、私は注目して質疑を聴いていたが、民主党や既述ジャーナリストの「表現の自由に反する恐れ」などは微塵もないと考える。

そもそも、ジャーナリストが「政治課題を取り上げにくくなり」「委縮する」という発言があるが、こんなのは本当のジャーナリストではない。(そんな話を聴くと、情けなくなる)

本当のジャーナリストとは、どんな世の中の風潮であっても、様々な内外の圧力があっても真実を曲げないで堂々と「主張」することである。

民主党は、6名のジャーナリストを「著名な」ジャーナリストと媚びを売っていた。岸井氏などは「権力をチェックして暴走にブレーキをかける」として、反自民の「立場」を鮮明にしている。

だが、岸井氏個人がどんな思想を持つかは自由である。だが、放送で「ウソ」「事実歪曲」「デマ」をしてはならない。

個人思想以前に、「ウソ」「事実歪曲」「デマ」は、ジャーナリストとして失格である。

本当のジャーナリストとは、例えば櫻井よしこ氏の事である。

私は、表現の自由とは、最も大切に保障するべきものと考える。

だが、その「表現の自由」は、自称ジャーナリストだけの「特権」ではない。

国民全体が共有すべきものである。

それ故、「表現の自由」と、放送による不偏・不当、真実の報道は表裏一体でなければならない。

安倍総理は、「マスメデイアも間違いを犯す」と答弁しながら、「間違いは正していただくのは当然である」と、極めて当然の事を言っていた。

自称ジャーナリストたちは、自分たちこそは正しい(無謬性)という前提こそ反省すべきである。

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