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2015年12月 8日 (火)

『開戦の詔勅』(昭和16年12月8日)を考える

今日は何の日?と問われて答えられる人は、少なくなった。

今日(12月8日)は、大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦日(宣戦布告日)である。

終戦の日(8月15日)前後には、「戦争特集」報道番組が流され、過去の「戦争」について想起する事が多い。

だが、どのマスコミも・・・ただ「戦争は悲惨だ」「二度としてはならない」という結末が繰り返されるだけで、何故、日本は「戦争」に至ったのか?という冷静な考察が無い。

残念な事である。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という、『終戦の詔勅』(昭和20年8月14日)は、誰でも知っているだろう。

だが、『開戦の詔勅』(昭和16年12月8日)は、意外と知らない人が多い。

歴史を正しく見つめるならば、『開戦の詔勅』を史料として読むことが重要である。

そうすることで、当時の日本国民が、国際社会の中でどういう厳しい環境下に置かれていたのか、を知ることが出来る。

(以下、『開戦の詔勅』現代語訳を掲載する)

☆……☆……☆……☆……☆……☆

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本文をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心かけている事である。

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。

このような事態は、私の本意ではない。

中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大な脅威を加えている。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、英米は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀬することになる。

ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

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