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2015年11月24日 (火)

政教分離論①

◆集団催眠

あれは何だったのだろう?

夏の終わり、国会前は、安保法制「反対」デモの喧騒の中にあった。

シールズと称する『ガキの集団』は、夏祭りを楽しむように、「戦争反対」のプラカードを手に、笛と太鼓に合わせて声をリズム良く刻んでいた。

その陶酔した姿は、まるで、“集団催眠”のようでもあった。

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◆宗教者の政治参加

集団の中に、三色旗を掲げた創価学会員もいた。

他にも、様々な宗派の人たちも、夫々の様相で参加していた。

瀬戸内寂聴さんも、「黙っていられない」として喧騒の中で、声を挙げた。

宗教者のデモ参加が目立った。

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◆政治と宗教の違い

宗教者が、「そのままの法衣姿で、デモに参加し、声を挙げる」という・・・異様な風景である。

宗教者も、政治行動の自由がある。

だが、その場合、宗教者としてではなく、政治の方法論(ルール)に従うべきである。

政治と宗教の違いは何か?

政治は「多数決」であり、宗教は「教義」というように、『方法論』の違いである。

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◆政教分離

『政教分離』という言葉がある。

「政治と宗教は、互いに尊重し、互いに介入すべきではないという考え方」である。

昔、公明党が初めて国政選挙に出馬する時、確か、創価学会政治部と呼ばれていた。

候補者たちは、池田大作会長の前に正座して、“忠誠”を誓ったのである。

世間は、「宗教の政治介入」を危惧して、『政教分離』という原則が認識されたのである。

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◆低いハードル

「戦争反対」というプラカードに象徴されるように、デモ参加(政治参加)の「ハードル」が、異様に低かった。というより、間違いである。

「戦争反対」は、庶民の「心からの願い」であり、それは宗教者にとっても同じ事。

だが、共産主義者が標榜する「戦争は怖い→戦争反対」は、共産革命へのプロセスに過ぎず、目的ではない。

だが、「戦争反対」が、政治の方法論ではなく、デモの参加者数・世論調査で決定されることになれば、その方が余程「怖い」ことである。

   (つづく)

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