≪漢詩鑑賞≫辺塞詩と閨怨詩
六朝末から唐代には、北部(北狄)・西部(西戎)との戦争と、遠征に、大勢の民衆がかりだされた。
戦争は悲惨だが、皮肉にも優れた詩を生むことが多い。
辺塞の地において、兵士の側から、悲哀を詠ったのを辺塞詩(へんさいし)と呼ぶ。
辺塞とは、国境の要塞(とくに長城)を意味する。
一方、故郷に残された妻の側からの悲哀を詠ったのを閨怨詩(けいえんし)と呼ぶ。
閨(けい)は女性の部屋、閨怨(けいえん)は、女性が部屋の中で怨み悲しんでいる様を意味する。
次の詩は、「七言絶句の聖人」と称された王昌齢(盛唐の詩人)の作品である。
☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆
出塞(しゅっさい)
秦時明月漢時關 秦時の明月漢時の関
萬里長征人未還 万里長征して人未だ還らず
但使龍城飛将在 但だ竜城の飛将をして在らしめば
不敎胡馬度陰山 胡馬をして陰山を度(わた)らしめず
秦のころにも照っていた明月、漢の時代からの関所、今も変わりない
万里の長征して夫はまだ帰れない
ただ、漢代に竜城の飛将軍と恐れられた李広将軍のような名将がいたならば
えびす(胡馬)の敵兵に、陰山山脈をこえて侵入させるようなことはさせないものを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
閨怨(けいえん)
閨中少婦不知愁 閨中(けいちゅう)の少婦愁いを知らず
春日凝妝上翠楼 春日妝(よそお)いを凝らして翠楼に上る
忽見陌頭楊柳色 忽(たちま)ち見る陌頭(はくとう)楊柳の色
悔敎夫壻覓封侯 悔ゆらくは夫壻をして封侯を覓(もと)め敎(し)めしを
部屋の中の若い妻(少婦)、何も愁いを知らない
その愁いを知らない妻が春のうらうらとした日に、お化粧(妝)を念入りにして、美しい高殿(翠楼)へ上がっていく
彼女はうきうきとした気分で二階から外を見る。と、ふと目に入った(忽見)のは大通りのほとりのうっすらと芽吹いている柳の色(※楊柳は別れの象徴)
柳の色を見ているうちに去年の今時分のことを思い出した。ああ悔やまれてならない。戦争へ行って手柄をたて大名になってよ、と夫(夫壻)を送り出したことが。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ≪漢詩鑑賞≫虞美人草(曹鞏)(2018.04.16)
- ≪漢詩鑑賞≫杜甫の代表的な絶句(2018.04.03)
- ≪漢詩鑑賞≫烏江亭に題す(杜牧)(2018.03.24)
- ≪漢詩鑑賞≫七哀の詩(王粲)(2018.03.06)
- ≪漢詩鑑賞≫不出門(門を出でず)菅原道真(2018.02.10)
コメント