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2015年11月

2015年11月30日 (月)

≪漢詩鑑賞≫黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る(李白)

この詩は揚州に赴く親友・孟浩然が、長江を下ってゆくのを見送ったもの。

別離の悲しみと寂しさを、詠っている。

李白の数多い名作の一つである。

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黄鶴楼送孟浩然之廣陵

(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)

故人西辭黄鶴楼  故人(こじん)西のかた黄鶴楼を辞し

烟花三月下揚州  烟花(えんか)三月揚州(ようしゅう)に下る

孤帆遠影碧空盡  孤帆(こはん)の遠影碧空に尽き

唯見長江天際流  唯見る長江の天際(てんさい)に流るるを

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わが親友、孟浩然(故人=古なじみの友人、孟浩然を指す)は、この西の黄鶴楼(揚子江のほとりにたつ高楼)に(辞し)

春、花霞の三月(烟花三月)に、揚州(=広陵。揚子江の下流にあり豪華な商業都市である)へ舟で下っていく

楼上から眺めると、たった一つの帆かけ舟(孤帆)のかすかな姿(遠影)が、青い空(碧空)に吸い込まれて消え(尽き)

あとには、ただ長江の流れが天の果て(天際)へと流れてゆくばかりである

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☆(次は、孟浩然の名作)

春暁(しゅんぎょう)

春眠不覚暁  春眠暁を覚えず

處處聞啼鳥  処処啼鳥を聞く

夜来風雨聲  夜来風雨の声

花落知多少  花落つること知んぬ多少ぞ

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2015年11月29日 (日)

若者は、『新・戦争論』『大世界史』(池上彰・佐藤優対談)を読め!

◆安倍政権批判番組

今朝、久しぶりに『サンプロ』(TBS)を観た。

この番組は、どんな国際情勢・事件も、安倍政権批判へと結びつけるのが特徴である。

「風が吹けば、桶屋が儲かる」式の<論理飛躍>の為、時々、<論理破綻>を起こす。

そんな時、「違和感を感じる」「理解できない」などと言って、誤魔化す。

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◆私なんか、シロウトですが・・・

「プロパガンダ番組」なので、たらい回しに「風が吹けば・・・桶屋が儲かる」とおしゃべりするだけだ。

中東情勢が話題の時に、司会の関口宏が、「私なんか、シロウトですが・・・」とおしゃべりを繋げた。

「私なんか、シロウトですが・・・」は、関口宏の口癖である。

シロウトが、「政治発言をしてはダメ!」とは言わない。

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◆関口宏は卑怯である

だが関口宏の場合、司会者として「公共の源波」で発言しながら、未だに「シロウト」ですが・・・」とは何なのか?

最初から、「言い訳」しているとしか思えない。

「安保法制」反対デモのシロウト大学生(シールズ)よりも、関口宏は卑怯である。

特に若い人に言いたい。

しっかりと勉強し、読書をし、自分の言葉に、自信と責任を持つべきだ。

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初心者にとって、『新・戦争論』『大世界史』(池上彰・佐藤優対談)などは、平易で、読みやすい名著のひとつだと思う。

何時までも、「シロウト」を売り物にしてはいけない。

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2015年11月28日 (土)

政教分離論(まとめ)

◆古典的名作『教育勅語』

日本人は、父祖の代から、素晴らしい道徳心を持っていた。

その道徳心を醸成したのが、『教育勅語』である。

日教組などの左翼は、『教育勅語』というと、軍国主義教育!と反対するが、その癖、『教育勅語』を読んだことがなく、その為、教育勅語の“12の徳目”の何たるか、についても無理解である。

日本には、『教育勅語』という古典的名作がある。学校の教材として学ぶべきである。

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◆道徳教育と宗教教育

高い道徳心は、日本人の誇りである。

就中、政治家には、道徳心と同時に、、宗教心が要求される。

道徳心と宗教心の違いは何か?教育においては次の様になる。

「ひと様に、迷惑をかける」と、間違いを正すのが『道徳教育』、「誰も見えなくても、神様が見ている」と正すのが『宗教教育』である。

公教育で、『教育勅語』の学びと共に、『宗教教育』を復活すべきである。

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◆政治の現実主義、宗教の理想主義

扨て、政治と宗教は互いに「矩を超えず」に在るべきことを述べた。

しかし、政治と宗教は相反するものではない。

政治の現実主義、宗教の理想主義の違いはあっても、「平和な世界を実現する」という目標は同じ筈である。

自衛隊の戦闘機パイロットが、「平和な世界を実現する」ために緊急発進するのは、日本の平和と安全を守るためである。

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◆政教分離論(まとめ)

先の国会を通過した「安保法制」について、未だに宗教者の中には、「(戦争への)危惧を感じる」という人が多い。

その主な論旨は、①憲法が時の権力者により、恣意的に解釈変更される、②「秘密保護法」で、真実が隠される。言論・信教の自由は大丈夫か?という漠然としたものである。

漠然としているのが「反対」の特徴であり、逆に、それ故、時々の「世論」に流されないように、民主主義のルール(政治の領域)をしっかり守るべきである。

政教分離論は、その方法論の一つである。

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2015年11月26日 (木)

政教分離論③

◆カノッサの屈辱

宗教が政治を支配する時代は、中世ヨーロッパのように暗黒時代となる。

『カノッサの屈辱』のように、如何なる政治権力者(皇帝)も、宗教教団トップ(ローマ法王)が破門すれば、ひれ伏すしかない。

「地動説」を唱えた科学者ガリレイも、自説を撤回するしかない。

中世ヨーロッパは、宗教裁判が「絶対真理」であり、暗黒時代である。

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◆権威者の言動

現代においても、宗教者の言動は、世間に与える影響力は大きい。

就中、教団トップは権威者だけに、その「政治発言」は慎重でなければならない。

仮に、「政治発言」をするとしても、「問答無用!」ではなく、様々な意見に耳を傾ける姿勢が大切である。

「平和な世界を実現したい」という思いがあったとしても、その思いは「政治的言動」ではなく、高い倫理観で人々を導くべきである。

瀬戸内寂聴さんの「安保法制」反対デモへの参加は、間違っていた。

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◆相手の話を「聞こうよ!」

瀬戸内寂聴さんが「安保法制」反対デモに参加して、「一緒に、反対しましょ」と説教(?)していたが間違いである。

宗教者であれば、「平和のために、皆さんと共に祈りましょう、そして感謝しましょう!」と言うべきではないか?

その上で、「ダメ!ダメ!と言わず、お互い仲良くしましょ」「安倍さんの話を、キチンと聞こうよ!」と言うべきだ。

「一緒に、反対しましょ!」ではなく、相手の話を「聞こうよ!」と言うべきである。

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◆言論の自由、信教の自由

宗教者は、信教の自由が「権力者によって」なし崩しにされることを、戦前の治安維持法の「記憶」から危惧している。

「秘密保護法」もそうだったが、「安保法制」については、国家機密(防衛機密)は、国の安全にとって、死活問題である。

「秘密」が多いという事と、「信教の自由」が脅かされる事とは次元が異なる。

全く根も葉もない、反対派の流した「デマ」「風評」である。

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◆何故、「戦争」に進んだのか?

安保法制は、「戦争への一歩」と反対者は叫ぶ。

日本は、成熟した民主主義国家である。もっと、日本人の見識に自信と誇りを持つべきではないか?

政治には、政治のルールがあって、それに従うべきだ。

その時々の「世論」に左右されることの方が危険である。

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2015年11月25日 (水)

政教分離論②

◆宗教の「領域」、政治の「領域」

政治と宗教の違いは何か?

政治は「多数決」で決める。一方、宗教は「高い倫理観」である、と昨日述べた。

即ち、政治と宗教は、方法論(実現のためのプロセス)が違う。

宗教と、政治はそれぞれ「領域」が異なる事を認識すべきだ。

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◆何故、「反自民」か?

宗教者も、「実践が大切」という名目で、祈りを超えて政治の「領域」に無思慮に入り込んでいるのが現状である。

元来、日本の宗教団体は「非政治性」「脱世俗」を特徴としていた。

だが、創価学会の政界進出により、更には創価学会を母体とする公明党の自民党接近に対する、反発。

それが、宗教団体の一部が「反自民」に傾斜した原因である。

「反自民」の宗教団体に、左翼病「民主党」や白アリ「共産党」などが、(票田として)食い込んでいる構図である。

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◆「平和な世界を実現したい」という思い

宗教者の動機は、平和を望む・・・という「純粋」な気持ちである。

だが、その「純粋」な気持ちは、政治のプロに利用される。

宗教者の「平和な世界を実現したい」という思いは、高い倫理観で人々を導かなければならない、それが、宗教者の宗教者たる所以である。

だが、無思慮に「戦争反対」と叫ぶほど、宗教の「領域」を踏み外すことになる。

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◆「憲法違反」か?

話を、戻すが安保法制反対の理由で、最も多かったのは「憲法違反だ!」というものだった。

多くの憲法学者が「憲法違反だ」というから「憲法違反なのだろう」という、安易すぎる決め付けである。

憲法違反かどうか?を決めるのは、憲法学者でも、世論でもない。最高裁判所が「合憲・違憲」を判断するのである。

それが、三権分立の「政治」のルールである。

宗教者も、「政治参加」するなら、「政治」のルールに従うべきである。

  (つづく)

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2015年11月24日 (火)

政教分離論①

◆集団催眠

あれは何だったのだろう?

夏の終わり、国会前は、安保法制「反対」デモの喧騒の中にあった。

シールズと称する『ガキの集団』は、夏祭りを楽しむように、「戦争反対」のプラカードを手に、笛と太鼓に合わせて声をリズム良く刻んでいた。

その陶酔した姿は、まるで、“集団催眠”のようでもあった。

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◆宗教者の政治参加

集団の中に、三色旗を掲げた創価学会員もいた。

他にも、様々な宗派の人たちも、夫々の様相で参加していた。

瀬戸内寂聴さんも、「黙っていられない」として喧騒の中で、声を挙げた。

宗教者のデモ参加が目立った。

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◆政治と宗教の違い

宗教者が、「そのままの法衣姿で、デモに参加し、声を挙げる」という・・・異様な風景である。

宗教者も、政治行動の自由がある。

だが、その場合、宗教者としてではなく、政治の方法論(ルール)に従うべきである。

政治と宗教の違いは何か?

政治は「多数決」であり、宗教は「教義」というように、『方法論』の違いである。

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◆政教分離

『政教分離』という言葉がある。

「政治と宗教は、互いに尊重し、互いに介入すべきではないという考え方」である。

昔、公明党が初めて国政選挙に出馬する時、確か、創価学会政治部と呼ばれていた。

候補者たちは、池田大作会長の前に正座して、“忠誠”を誓ったのである。

世間は、「宗教の政治介入」を危惧して、『政教分離』という原則が認識されたのである。

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◆低いハードル

「戦争反対」というプラカードに象徴されるように、デモ参加(政治参加)の「ハードル」が、異様に低かった。というより、間違いである。

「戦争反対」は、庶民の「心からの願い」であり、それは宗教者にとっても同じ事。

だが、共産主義者が標榜する「戦争は怖い→戦争反対」は、共産革命へのプロセスに過ぎず、目的ではない。

だが、「戦争反対」が、政治の方法論ではなく、デモの参加者数・世論調査で決定されることになれば、その方が余程「怖い」ことである。

   (つづく)

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2015年11月23日 (月)

≪漢詩鑑賞≫辺塞詩と閨怨詩

六朝末から唐代には、北部(北狄)・西部(西戎)との戦争と、遠征に、大勢の民衆がかりだされた。

戦争は悲惨だが、皮肉にも優れた詩を生むことが多い。

辺塞の地において、兵士の側から、悲哀を詠ったのを辺塞詩(へんさいし)と呼ぶ。

辺塞とは、国境の要塞(とくに長城)を意味する。

一方、故郷に残された妻の側からの悲哀を詠ったのを閨怨詩(けいえんし)と呼ぶ。

閨(けい)は女性の部屋、閨怨(けいえん)は、女性が部屋の中で怨み悲しんでいる様を意味する。

次の詩は、「七言絶句の聖人」と称された王昌齢(盛唐の詩人)の作品である。

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出塞(しゅっさい)

秦時明月漢時關  秦時明月漢時

萬里長征人未還  万里長征して人未らず

但使龍城飛将在  但竜城飛将をしてらしめば

不敎胡馬度陰山  胡馬をして陰山(わた)らしめず

秦のころにも照っていた明月、漢の時代からの関所、今も変わりない

万里の長征して夫はまだ帰れない

ただ、漢代に竜城の飛将軍と恐れられた李広将軍のような名将がいたならば

えびす(胡馬)の敵兵に、陰山山脈をこえて侵入させるようなことはさせないものを

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閨怨(けいえん)

閨中少婦不知愁  閨中(けいちゅう)少婦愁いをらず

春日凝妝上翠楼  春日妝(よそお)いをらして翠楼

忽見陌頭楊柳色  忽(たちま)陌頭(はくとう)楊柳

悔敎夫壻覓封侯  悔ゆらくは夫壻をして封侯(もと)(し)めしを

部屋の中の若い妻(少婦)、何も愁いを知らない

その愁いを知らない妻が春のうらうらとした日に、お化粧(妝)を念入りにして、美しい高殿(翠楼)へ上がっていく

彼女はうきうきとした気分で二階から外を見る。と、ふと目に入った(忽見)のは大通りのほとりのうっすらと芽吹いている柳の色(※楊柳は別れの象徴)

柳の色を見ているうちに去年の今時分のことを思い出した。ああ悔やまれてならない。戦争へ行って手柄をたて大名になってよ、と夫(夫壻)を送り出したことが。

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2015年11月22日 (日)

テロ対策のため~北朝鮮による日本人拉致はテロ以上に卑劣だ!

金曜日の夜、拉致被害者を救う会の東京連続集会(於:三田友愛会館)に参加した。

ゲストの中山恭子先生(次世代の党)と、西岡力先生(救う会会長)は、北朝鮮による日本人拉致の問題では、最も信頼できる人である。

拉致問題の現状報告と、今後の取り組みについてデイスカッションを聞いた。

少し前進したと感じたのは、紳士然とした“外務省”主導の「交渉」から、”官邸”主導の「対策」へ転換したことだ。

拉致を行なった犯罪者に対して必要なのは、「交渉」ではなく、「対策」即ち・・・解決のための効果的な圧力である。

北朝鮮とは、水面下で激しい「やりとり」があったと聞くが、拉致問題の解決とは、何か?

被害者の全員・即時・無条件帰国であって、「ストックホルム合意」の履行ではない事を確認すべきである。

拉致はテロである。

特定失踪者も含めて拉致被害者は、今でも北朝鮮に数百名も捕らわれたままである。

日本人ジャーナリストがIS(イスラム国)に拉致された時は、連日メデイアは報道した。

結果的には、卑劣なテロリストによって、二人の日本人は殺害された。

拉致はテロである。否、テロ以上に卑劣な犯罪である。

北朝鮮の拉致=テロは、ISのテロと、どこが違うのか?

①テロリストの支配地域で「拘束」されたのではなく、拉致は日本国内で起きた計画的犯行=「人さらい」である。

②拉致被害者は、北朝鮮とは無関係の無垢な一般人である。

③拉致は「過去」の事ではなく、「現在進行形」の国家犯罪である。

本来であれば、メデイアは「日本人ジャーナリスト」以上の怒りを“北朝鮮とその仲間たち”に浴びせるべきだ。

私は、心に誓った。

日本人拉致被害者が、全員帰国するまで、私の戦いは終わらない。

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2015年11月21日 (土)

テロ対策のため~「憎まない」も、テロリストには馬耳東風

「掛け替えのない人を、最愛の人を、息子の母親を君たちは奪った」

「でも君たちを憎まない」

「憎しみという贈り物を君たちにあげない」

「怒りで応じてしまったら、君たちと同じ無知に屈することになる」

このような・・・パリ同時テロ遺族・レリスさん(34)の和訳抜粋を読んだ。

各国メデイアからは、「平和へのメッセージをありがとう」等々・・・共感を呼んでいるという。

日本のメデイアも取り上げていて、私も、テロ遺族の「沈痛なメッセージ」に共感する。

「妻はいつもわれわれと共にいて、再び巡り合うだろう」「君たちが決してたどり着けない自由な魂の天国で」

これは、深い宗教心を感じさせる言葉だ。

「憎しみでは、何も解決しない」と、普通の(善良な)人ならば誰でもそう思うだろう。

だが、『報道ステーション』(テレビ朝日)では、スリカエで論評していた。

古館氏は、テロリストの「暴力」を批判すると同時に、(ほゞ対等に)欧米による空爆の「暴力」を批判していた。

「空爆」も誤爆があるから、テロと変わらない。という独特のスリカエ論法。

だが、憎しみで「空爆」をやっているのではない。テロリストの拠点をピンポイント(誤爆を避けるため)で制圧するための最小限の「空爆」である。

古舘氏のように、「空爆」を批判する世論などは、テロリストには「テロ支援」としか聞こえない。

テロ遺族の崇高な文章ですら、テロリストの耳には「馬耳東風」である。

だがら、我々が考えるべきは、具体的効果のある『テロ対策』である。

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2015年11月20日 (金)

テロ対策のため~国境検問

テロ犯は、シリア難民を装って移動する。

ヨーロッパを転々として、途中、何度か国境検問所を通過してフランスに入国したという。

国境検問所は、テロリストにとって最も緊張する場所だが、当地の国民にとって安全安心のための「国境」である。

ビートルズの名曲『イマジン』では、「国境のない、争いのない平和な世界を想像(イマジン)してみよう♪」とある。

だが、「国境」があるから「戦争」が起こるのではない。「国境」は、戦争防止の最後の砦である。

だが、中近東の遊牧民にとって「国境」など元来無かった。砂漠に国境線を引いたのは英仏である。

テロリズムとイスラム教とは無関係である。勝手にイスラム教徒を名乗っているだけだ。

最初の「宗教を名乗るテロ」は北アイルランド紛争(キリスト教を名乗っている)だった。

即ち「テロと宗教は無関係」なのである。

イスラム世界及びキリスト世界を理解する事は中々難しい。

だが、テロは現実的な脅威であり、日本にとっても例外ではない。

EU諸国の中では「移動は自由」で、検問所で犯人が捕まることは殆どない。

国境を超えると、犯人たちにとって「自由の地」である。

そう考えると、「国境検問」を強化することは、必要である。何度も言うが、テロリストは「難民」や「旅行客」に紛れて入国する。

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2015年11月19日 (木)

テロ対策のため~テロリストに幻想を持つな!

チャンネルを変えると、『モーニングバード』(テレビ朝日)という番組中だった。

「そもそも総研」というコーナーで玉川某が、「テロ対策」について「熱弁」していたが、正直言って、「熱弁」の割に中味が無い。

女優の高木美保がコメンテーターだから、そもそもこの番組は、「政治討論会」ではない。

最近のメデイアの特徴は、芸能人などシロウトに「政権」批判をさせる事が多い。

シロウトが悪いわけではないが、シロウトなら多様な意見を謙虚に知るべきだ。

シロウトが、よく使うフレーズに「(安倍総理のやり方に)違和感を感じる」というものがある。

プロパガンダ番組ではよく聞くフレーズであるが、「違和感」は本人の感覚だから「反論」を受け付けない。

玉川某は、次の様に「(日本の)テロ対策」を熱弁した。

「軍事では、テロは根絶されない」

「暴力は暴力の連鎖を呼ぶ」

「日本は(戦争をしない)特別な国である」

「軍事ではなく、人道支援で貢献すべきだ」

驚くのはまだ早い。

その上で、次の様に結論付けた。

(日本がテロに巻き込まれないためには)「日本は特別な国(敵ではない)である」ことを発信すべきだ。

「そうすれば、日本はテロのターゲットとしての優先順位は下がる」

国際協調で、テロと戦っている時に、「日本だけが白旗を掲げて、休戦交渉を申し入れる」という信じられない内容である。

「日本だけがテロに巻き込まれないため」という発想は、国際協調を乱すもので、身勝手な「特別な国」として、欧米各国の批判を受けるだろう。

逆に、テロリストにとって日本は恰好なターゲットになる恐れすらある。

何故なら、テロリストは、弱いところを狙ってくるからだ。

玉川某は、「テロリストにも、大義名分がある」「冷静になるべきだ」と言っていたが、バカ野郎と言いたい。

何の罪もない日本人ジャーナリストを人質にして、挙句の果て殺害したテロリストに、如何なる”大義名分”があるというのだ!

怒りすら感じるシロウト発言である。

テロリストに幻想を持つな!と言いたい。

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2015年11月18日 (水)

テロ対策のため~監視の強化、法律の整備をすべき

フランスのパリで起こったテロは、監視体制を潜っての犯行だけに、欧米各国は大きな衝撃を受けている。

罪もない一般大衆を殺戮する残虐非道なテロ行為を、許すことはできないし、実行犯グループは、何処までも追い詰め“法の裁き”を受けさせなければならない。

安倍総理も、各国と連携してテロとの戦いを表明している。

これは、法治国家であれば、当然の意思表示である。

だが、日本のマスコミの中には、これに異を唱える者がいる。

「テロの原因は、シリアでのIS(イスラム国家)地域への空爆がある][暴力の連鎖は憎しみの連鎖を呼び、テロは無くならない」「粘り強い交渉・説得が大切」という内容である。

さらに、「(テロリストへの怒りを鎮め)冷静になれ」との内容だ。

だが、怒りはあるが、誰も冷静さを失っているのではない。

これらの論調は、テロリストの理屈を「助長」するものでしかない。

日本人ジャーナリストが殺害された時も、一部野党と共に「安倍総理の対テロ発言」を批判していた。(総理発言は、テロリストへの「配慮」に欠けるという驚くべきものだった)

テロ行為は、単独犯で出来るものではなく、必ず、周辺に協力者が存在する。

つまり、計画から隠匿、見張り、実行、攪乱、逃亡・・・という一連の作戦を遂行するのは、グループ(共犯)によるものである。

自民党の谷垣氏は、「共犯」に対する「監視」の法的強化を検討すべきと言ったという報道があった。

要注意人物に対する「監視」は絶対必要である、と私は思う。

だが、マスコミ報道では、「国民への監視が強まる」ことへの懸念を強調していた。

この様な、一部マスコミの論調こそが、テロリストを「助長」させ、一般大衆をテロリストの「隠れ蓑」にするだけである。

テロリストに人権・プライバシーなどあろうはずがない。

テロ対策のため、監視の強化、法律の整備をすべきである。

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2015年11月14日 (土)

「穏健保守」と自称する民主党前原誠司氏の限界とは

今朝の『ウエークアップぷらす』(日本テレビ)を観ると、民主党の前原誠司氏が出演していた。

前原氏の論旨は、次の通りだった。

①(民主党内の分派活動か?)そうではない。党首・岡田氏とは、「政権交代可能な野党をどう作り上げていくか」という問題意識では一致している。

②(支持率低迷している中、対抗勢力は出来るか?)民主党政権が誕生した時も、小沢一郎氏の剛腕によってできた。大同団結が可能だと思う。

③(共産党は、共闘を呼び掛けているが?)私は、京都なので「共産党の本質」は承知している。共産党とは、違い過ぎる。

④(安保法制について、今後どうするか?)安保法制の「廃案」での共闘はあり得ない。「修正」の方向で共闘できると思う。

まあ、ザッとこんな調子で語っていた。

若し、これが本音だとすれば、前原氏は政治家としては珍しく楽天主義者ではないか。

何を根拠に、「政策の一致の上に・・・大同団結する」と言えるのか?「政策の一致」を優先すれば「数は少なくなる」事は、避けられない。

前原氏は、政治家としての感性が鈍くなったようだ。

それは、次の言葉に表れている。

「私は、穏健保守である」

穏健とは、「過激」に対義語として使われている。

つまり、「右翼・軍国主義=安倍自民党」を連想させ、それにブレーキをかける役目をもつのが「穏健保守」なのだという観念論である。

此処に、政治家・前原誠司の限界がある。

政治家・安倍晋三は、保守であり(勿論、愛国主義者であり)、その上、現実主義者である。

「保守とは何か?」の論述は別にするが、此の観念論は、間違っている。

前原誠司氏は、残念ながら・・・理想主義者に過ぎない。

宗教家なら、「理想」を語るのも良いが、政治家が、それでは困るのが国民の方である。

民主党政権の「反省」が何もない。

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2015年11月13日 (金)

民主党とは、「反自民」の受け皿を狙った「選挙」互助会である

民主党という政党は、何なのか?

結論から言えば、「反自民」の受け皿を狙った「選挙」互助会である。

「反自民」「選挙」・・・この二つのキーワードで説明できるのが、今の民主党である。

昨今、久しぶりに民主党のニュースがあった。

メデイアによると、「民主党解党」を主張する前原・細野と、それには反対する岡田代表が「路線対立」の模様との事だ。

だが、その対立構造は、選挙で「共産党と協力するか?しないか?」というもの。

「選挙」対策に過ぎず、政治理念や政策を巡ってのものではない。

「路線対立」と言えるほど高尚ではない。

安保法制の国会審議の時には、民主党は(維新の党と違い)「対案」すら提出しなかった。

「廃案にする」「説明不十分」と叫ぶだけだった。

「対案」が無いのだから、政策を巡って「路線対立」そのものが起こらない。

民主党の支持率が、相変わらず1ケタ台と低調な理由がそこにある。

「国会を開かないのは憲法違反」という声も、空ろに響く。

今では、憐れみすら感じる。

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2015年11月11日 (水)

衆参予算委員会が開催されるも低調な議論ばかり

野党が、臨時国会を開催しないのは「憲法違反」と、批判していた。

だが、与党側が「安倍総理の外交日程がタイトな事」「開催時期については政府=与党の裁量権」を理由に応じていない。

昨日からの予算委員会を観るかぎり、質問内容は極めて低調である。

特に、民主党の岡田克也代表の質問は酷かったなあ。

日韓首脳会談が長い間開かれなかったのは、安倍総理の「歴史認識」が間違っていると言わんばかりに批判していた。

その後の質問では、高木大臣の「カネとスキャンダル」問題について集中していた。

高木大臣の「スキャンダル(?)」は、“国益を左右する”程の問題ではない。

衆参予算委員会が開催されるが、低調な議論ばかりである。

野党は、「臨時国会を開催しないのは憲法違反」と、「高木大臣のスキャンダル(?)を、追及材料(攻撃材料)にしているに過ぎない。

ホント・・・馬鹿馬鹿しい。

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2015年11月10日 (火)

お笑い芸人の「政治批判」に、管直人(元総理)がヘラヘラ笑い

自らを、「太田総理」と称している笑い芸人がいる。

お笑いだけなら面白いのだが、時々調子に乗って「政治批判」をすることがある。

「庶民感覚」で政府与党などの“政治権力者”をバッサリ斬るという手法だ。

中味は、的外れで、単純に権力者を≪遠くで≫罵倒するだけ・・・。

お笑い芸人が「政治批判」をするのは構わないし、自由だ。

だが、公共電波で「政治批判」をするなら、それなりに「勉強」すべきである。

「庶民感覚」だけで言うのは如何なものか・・・。

実際には、「素人枠」で、反日メデイアによる政府批判のプロパガンダの片棒を担がされているに過ぎない。

ある民放番組で、「政治家」を呼んだところ、来たのは片山さつき(自民党)と、元総理の菅直人(民主党)のヒマな二人だった。

その他は、シールズの学生など、素人ばっかり。

そんな中、菅直人と言えば、ヘラヘラ笑いを浮かべていて、「安倍総理」批判を垂らしていた。

率直に言って、あの番組は、気持ち悪かった。

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2015年11月 9日 (月)

≪漢詩鑑賞≫人は寒山の道を問うも(寒山)

「寒山と拾得は共に唐代の脱俗的な人物で、両者とも在世年代は不詳である。」(Wikipedia)とある。

特に寒山は、詩作をよくし、「寒山子詩」と呼ばれる多数の詩を残している。

この詩は、その中の一つである。

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人は寒山の道を問うも  寒山(五言律詩)

人問寒山道  人は寒山の道を問うも

寒山路不通  寒山には路(みち)通ぜず

夏天氷未釋  夏天(かてん)にも氷未だ釈(と)けず

日出霧朦朦  日出づるも霧朦朦(もうもう)たり

似我何由届  我に似るも何に由りてか届(いた)らん

輿君心不同  君と心は同じからず

君心若似我  君が心若し我に似たれば

還得到其中  還(ま)た其の中に到るを得ん

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世の中の人々は、寒山への道(寒山道)を尋ねるけれど

寒山へ通じる道(寒山路)など、もともとありはしない

そこは夏(夏天)でも氷は解けず、人を寄せつけず

日が差しても霧がモウモウ(霧朦朦)とたちこめている

この世の世界には、ただ私の形を真似ただけで、どうして入る(届)ことができようか

もともと私と君とは心が違っているのだからな

だがもし、君の心が私と同じようであるならば

この世界(其中)にのりこむことはできるであろうが

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※寒山  天台山(浙江省)近在の山。ここでは、地名としてより“悟りの心境”として使われている。

※其中  本来的なものを意味する。究極のもの。

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2015年11月 8日 (日)

「慰安婦問題」とは何か?≪続≫

今日のNHK日曜討論では、岸田外務大臣を中心に(日韓間の懸案として)「所謂・従軍慰安婦問題」が議論されていた。

NHKの司会者が、視聴者の声として(所謂・従軍慰安婦問題に関して)次の二つを紹介していた。

一つは、「(解決済みの問題で)これ以上妥協すべきではない」という意見。

もう一つは、「(友好促進の為)話し合いを粘り強く継続するべきだ」というべきだ。

NHKが紹介した二つの意見は、どちらも間違った意見である。

何故なら、二つの意見は、どちらも「賠償」を前提としている。

だが、「賠償」とは「補償」と異なり、国家間の“加害者(対)被害者”、即ち(国家)犯罪を指す言葉である。

昨日も書いた通り、「慰安婦」はいた。

だが、合法的且つ戦時の女性の人権に配慮したものであって、賠償の「対象」とはならない。

戦時・・・貧乏で、身売りされた女性たちのいた事には同情するが、「20万人の若い女性を銃で脅し、強制連行し、性奴隷のように扱った」というのは、事実無根である。

NHKは、此のことを明確にするべきなのである。

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2015年11月 7日 (土)

「慰安婦問題」とは何か?

日韓首脳会談で、パク・ウネ大統領が執着したのは「慰安婦問題の早期解決」だった。

反日「4点セット」といえば、①竹島、②靖国神社、③教科書(学習指導要領)、④慰安婦、の4点である。

何故、「慰安婦」に執着したのか?

その理由は、自称「被害者」が存在し、「賠償請求」に絡んでいるからだ。

①竹島、②靖国神社、③教科書と違って、「慰安婦」は、<タカリ>の口実にしやすい。

言下に「金をくれ!」との暗示である。

この問題に、日本側が、率直且つ明快に答えなければ、日韓関係は良くならない。

此の「慰安婦問題」とは何か?もう一度、整理してみよう。

日本側の主張は、日韓基本条約で「戦後賠償は全て解決完了した」というが、これは正確ではない。

何故なら、「慰安婦」問題は、そもそも<賠償>の対象にはならない。

韓国側の主張は、「根拠のない捏造」である。

「慰安婦」は存在したが、「日本軍が、女性を強制連行し、性奴隷(Sex Slave)として暴行された」という事実は、全くない。

「慰安所」とは、「女性の人権侵害を守る」ために作られたものである。

即ち、①現地人女性の保護、②性病の防止、③兵士の秩序維持、などが「慰安所」の目的で、「強制連行」でも、「性奴隷」でもない。

これを「人権侵害」だとするならば、韓国兵がベトナムで行ったことこそが、女性の人権侵害だと言える。

慰安婦問題は、韓国と朝日新聞の捏造である。

その発端は、ペテン師・吉田清治の「捏造」証言である。

そして、日韓関係をダメにした元凶は『河野談話』である。

「強制連行さえ認めれば事は収まる」という、韓国側の甘言に騙されてしまった河野洋平というバカが、訳が分らず(慰安婦強制連行を)認めたことで、日韓関係を決定的にダメにしたのである。

歴史を直視すべきは、韓国の方である。

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2015年11月 6日 (金)

ならず者超大国=中国との距離感≪続≫

中国との距離感とは何か?

古来中国は、中華帝国を中心とし、近距離の周辺国は属国(朝貢国)として支配していた。

遠距離になると東夷(東方)・北狄(北方)・西戎(西方)・南蛮(南方)と蔑んで、事あらば「征伐」の対象であった。

(因みに、韓国歴史ドラマでは、「夷狄と戦う」という言葉が登場するが、中国の方角である西戎(西方)とは、決して言わない。(言えば、即座に殺される=恐怖心からである)

韓国・朝鮮にとって、中国は(服従すべき)宗主国である。

そのメンタリテイーは、今の韓国大統領にも脈々と受け継がれている。

中国の周辺国は二種類しかない。

一つは属国(服従国)であり、もう一つは敵国(不服従国)である。

即ち、中国から見た場合、周辺国は属国(朝貢国)か敵国(対等関係)しかない。

中国には、(特に周辺国の場合)「友好国」などは無い。

現在の中国共産党独裁に至るまで「中華思想」は一貫としている。

日本は、中国の属国(支配下)になった事は、歴史上一度もない。

それ故、(中国の認識では)「日本は永遠の敵国」である。

相手が、敵という認識である以上、わが国の認識も、「中国=敵」という認識が正しい。

それが、対中外交、平和外交の大前提である。

「距離感」とは、剣道で言う「間合い」である。

遠過ぎても、近過ぎてもダメ。

それ故、中国と対峙する場合、適当な距離(間合い)が大切という事である。

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2015年11月 5日 (木)

ならず者超大国=中国との距離感

中谷防衛大臣が出席していたアセアン拡大会議では、「航行の自由」が決議されなかった。

中国の経済支配下にあるラオス・カンボジアが反対し、その他の国は、フィリピン・ベトナム以外は「中国に配慮」して先送りをしたためである。

中国のアセアン諸国への影響力拡大を垣間見た。

米国カーター国防長官と中谷防衛大臣が[握手したこと]以外は、日本にとって成果はない。

永年の『アジア謝罪外交』の結果であることを反省すべきだ。

すなわち、「中国に配慮」したことが、中国をどれだけ助長させたか知るべきである。

中国は、今や、「ならず者超大国」へと成長した。

周辺国に、対中外交では「友好親善」を感じている国は一か国も無い。

ならず者超大国=中国との距離感はそれぞれ違う。

だが、共通するのは「(征服されるという)恐怖心」である。

フィリピンとベトナムは、海が直接征服されているから、米国の提唱する「航行の自由」に賛成だ。

韓国が中国に接近するのは、(中国が好きだからではなく)「恐怖心」が動機である。

自民党・野田聖子議員が、「(南シナ海での出来事)、日本と無関係」と、中国寄りの発言をしたという。

ただし、このバカ議員のバカ発言の動機は、「恐怖心」ではない。

単に「無知無能」な、平和主義者に過ぎない。

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2015年11月 4日 (水)

≪漢詩鑑賞≫野望(王績)

作者の王績(おうせき)は、初唐の詩人。

酒好きで奔放な彼には、役所勤めは退屈だったが、酒を求めて官職に身を置く日々だった。

この詩は、「秋は夕暮れ・・・」の中、そうした孤高の詩人の寂しさを詠ったものである。

☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆

野望(やぼう)  王績 <五言律詩>

東皐薄暮望  東皐(とうこう)薄暮に望み

徙倚欲何依  徙倚(しい)して何くにか依らんと欲す

樹樹皆秋色  樹樹(じゅじゅ)皆秋色

山山惟落暉  山山(さんさん)(た)だ落暉(らっき)

牧人駆犢返  牧人犢(とく)を駆(か)って返り

猟馬帶禽歸  猟馬(りょうば)(きん)を帯びて帰る

相顧無相識  相顧(かえり)みるに相識無し

長歌懐采薇  長歌して采薇(さいび)を懐(おも)

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東の丘(東皐)に立ち、夕暮れ(薄暮)の野をながめる

あたりをさまよって(徙倚)も身を寄せるところがない

山々は、落日(落暉)に赤々と染められている

牧夫が、子牛(犢)を駆りたてて戻って来た

狩人も、獲物(禽)を馬にくくりつけ帰ってくる

こうして家路を急ぐ人々をながめまわしても、見知らぬひとばかり

声を長くひいて歌い、首陽山で薇(わらび)をとった人をしのぶ

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※采薇  周の粟(ぞく)を食まず、首陽山で薇(わらび)を食べ、ついには餓死した伯夷・叔斉の兄弟を指す。二人は周の武王が武力をもって殷の紂王(ちゅうおう)を討つことを諫めたが、聞き入れなかった。

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2015年11月 3日 (火)

お笑い芸人の人間観察力

祝日の今日、「よしもと幕張イオンモール劇場」を観に行った。

若手お笑い芸人が、5~6組出演していた。

さすがに、「お笑い」を引き出すのが上手だ。

色々と、観客を弄(いじ)りながら、思わず笑ってしまう。

観客の質によって瞬時にアドリブを効かす辺り、さすがお笑いのプロである。

お笑い芸人は、人間観察力が優れていると感心した。

そういえば、芥川賞受賞作の『火花』(又吉直樹)の優れたところは、「人間観察力」と、それを基にした「笑い」の精神を見事に文章化したのではないかと思う。

お笑い芸人の又吉直樹さんらしい小説だと思う。

今日の「よしもと劇場」も、予想以上に「質の高い」笑いだった。

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2015年11月 2日 (月)

日中韓首脳会談終了、「平行線のまま」で良い

日中韓首脳会談が、「無事」終了した。

無事とは、何事もなく終わったという事で、「余計な譲歩」をせずに、逆に言えば「特別な成果」もなく終わったという意味である。

その意味では、「余計な譲歩」をしなかったのは、安倍外交の勝利であり、「成果」がないのは、最大の成果である。

「(日中韓首脳会談を)今後も継続」することは、「平行線のまま」という事である。

「平行線」とは、交差しない事である。

反日の中韓相手では、最も望ましい事である。

兎も角、中国は、「孫子の兵法」、韓国は、恨み・呪いなどの「妖術」が外交術である。

安倍総理は、その辺をよく心得ていたようだ。岸田外務大臣も、よく頑張った。

中国共産党が頼みの綱・元総理の「村山富市」「鳩山由紀夫」は、日本人には信頼が無く、存在感も無くなっている。

野党も、すっかり影が薄くなったため、現在では、沖縄の翁長知事が安倍政権に対抗する(中国共産党の)盟友(傀儡)の筆頭格なのかも知れないね。

このまま、ずっと日中韓は「平行線のまま」で良い。

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2015年11月 1日 (日)

今日、日中韓首脳会談が開催~何も「成果」が無く、「無事」終わることを祈る

総理大臣とは、何か?

総理大臣とは、「最高権力者」というより、「重責を荷う人」だと思う。

今日、日中韓首脳会談が開催される。

安倍総理にとっては<反日>を国是とする中国・韓国の首脳と外交儀礼的にせよ「友好的」に振舞うのも「重責」の一つである。

報道によれば、「歴史を直視」「未来志向」で、ほぼ一致したとの事。

玉虫色の意味を持つ言葉であるが、それで良い。

それ以上の事を「約束」すべきではない。

韓国が、「従軍慰安婦で、謝罪と賠償」を蒸返すなら、「日韓基本条約(1965)で解決済み」と答えれば良い。

中国には、「国際社会は力による現状の変更を許さない」と言えば良い。

総理大臣の発言は、『原則論』を繰り返すことで良い。

外交は、兵器を使用しない「戦争」である。

それ故、相手を慮って「仏心」を出して、余計な事など「約束」しない事が肝要である。

何も「成果」が無い事が、日中韓首脳外交の最大の「成果」だと思えば良い。

何事もなく、日中韓首脳会談が「無事」終わることを祈る。

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