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2015年10月10日 (土)

≪漢詩鑑賞≫晁卿衡を哭す 李白

阿部仲麻呂は、20歳で遣唐留学生として入唐した。

当時の中国・唐は、世界最高峰の文化水準であり、漢詩教養は政治家・官僚の必須科目であった。

それ故、古代中国に於いても、その影響を受けた日本でも、文学と政治は不可分の関係にあった。

入唐後の仲麻呂は、名前を晁卿(ちょうこう)と改め、大学に学んだ。

唐に於いての仲麻呂は、(例えるならば)日本文化に造詣が深く帰化したドナルド・キーンさんのような存在だろうと想像する。

同い年の李白らと交際があったのだろうが、この時期が≪日中文化交流史の源泉≫とも言える。

52歳の時、遣唐使の藤原清河に従って帰国の途につくが、仲麻呂の乗った船は、暴風雨に遭い安南(ベトナム)に漂着する。

再び長安に戻るが、帰国できぬまま異国の地で没した。

この詩は、死の知らせ(実は誤報だったが)を聞いた李白が悲しんで作ったものである。

尚、帰国の途につく出発前に阿部仲麻呂が詠じた歌が次の歌である。

あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 

三笠の山に 出でし月かも

晁卿衡を哭す  李白<七言絶句>

日本晁卿辭帝都  日本の晁卿(ちょうけい)帝都を辞し

征帆一片遶蓬壺  征帆(せいはん)一片蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)

明月不歸沈碧海  明月(めいげつ)帰らず碧海(へきかい)に沈み

白雲愁色滿蒼梧  白雲(はくうん)愁色蒼梧(そうご)に満つ

日本の晁卿(仲麻呂の中国名)は、唐の都・長安を辞去し

一片の去りゆく帆影は、蓬壺(東の海上にある仙人の住む島。蓬莱山。)をめぐって行った。

明月のように輝かしかった君は、深い緑色をした大海原(碧海)に沈み

白い雲(白雲)と深い悲しみの色(愁色)が蒼梧(中国東南部の海岸)の空に満ちわたる。

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