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2015年8月 1日 (土)

磯崎補佐官の発言、全体の文脈で読む

磯崎総理補佐官の発言(法的安定性・・・)が、取り上げられているようだ。

「総理補佐官」の発言は、総理、国防大臣、外務大臣(主務大臣)以外の「ベンチ内」の発言であり、「試合進行」(国会審議)とは関係ない。

批判するにしても、「言葉尻」を捉えてすべきではない。

全体の文脈で、根本にある思想を捉えるべきである。

磯崎総理補佐官の「平和と安保法制」に関する演説も、全体の文脈から見れば何の問題もない。

即ち、国を守る事の方が、法的安定性を守る事より大事だと言っている。

当然の事を云っていて、同感だ。

「国を守ること」は最重要と言っているだけで、「法的安定性を守る事」を否定してはいない。

「どちらが重要か?」という文脈の中でみれば当然の事である。

このような「言葉尻」を捉えて批判することは、ガキの口喧嘩のようなもので馬鹿馬鹿しい限りである。

話はかわるが・・・。

今朝、NHKの番組で『終戦の詔書』の玉音放送が口語訳全文と共に放映された。

私は、あらためて玉音放送を拝聴した。

是非、若い人は、自分の目で全体を確かめて欲しいのだが、最後の部分を紹介する。

私はこうして国を滅ぼすことは避けることができた。私は今後も諸君の忠誠を信頼し、常に国民とともにあるつもりである。今後、感情にまかせてむやみに騒ぎをおこしたり、自国民同士で争ったりすれば、国の将来をそこない、世界の信用を失ってしまうだろう。そのようなことは決してしてはならない。

これからは国をあげて、子孫を残し、日本が決して滅ばないという確信を持たねばならない。その責任は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾けねばならない。人道と正義を重んじ、強固な精神を保たねばならない。そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう。国民諸君には、どうかこの私の願いを実現してもらいたいと思う。

私は、自然と涙が流れた。

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