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2015年8月

2015年8月30日 (日)

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には・・・、「戦争反対」を疑え!

安保法制反対のデモで、「戦争反対」のプラカードが目立つ。

「戦争反対」という言葉には、二つの意味がある。

一つは、戦争は嫌だ!という純粋な気持ち(厭戦)からくる「戦争反対」である。

もう一つは、共産党の戦略的プロパガンダとしての「戦争反対」である。

「戦争から内乱へ」「内乱から革命へ」と、共産主義者は巧みに導いた歴史がある。

日露戦争を契機としたロシア革命のレーニン、スターリンであり、日中戦争を契機とした中国共産党の毛沢東である。

共産主義者は、心中では「戦争」を歓迎し、上手に「利用」していたのである。

今、野党、就中「民主党」は、安保法制に関して、冷静な「反対議論」を諦めて、国会外での熱狂と偏見の「街頭デモ」に重点を移した。

「戦争法案反対」を叫ぶ共産党・社民党と共に、廃案を目指している。

日本の内乱を夢想している。

戦後70年の今こそ、歴史を振り返るべきである。そして、「戦争反対」という言葉を疑うべきである。

以下は・・・靖国神社境内のパール判事『顕彰碑』の言葉だ。

時が熱狂と偏見とを

やわらげた暁には

また理性が虚偽から

その仮面をはぎとった暁には

その時こそ正義の女神は

その秤を平衡に保ちながら

過去の賞罰の多くに

そのところを変えることを

要求するであろう

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2015年8月29日 (土)

維新の党は、スッキリ分裂するべし

維新の党の松野代表と、橋下最高顧問は、何時か別れると思っていた。

それは、政策の違いというよりも、性格の違いである。

民主党議員だった松野氏が「大阪維新ブーム」に便乗して、いつの間にか維新の党代表になった。

選挙事情が理由である。

だが、古巣の民主党に郷愁を感じ、「野党連合」志向の松野氏と、天下国家を志向する橋下氏とでは、そもそも性格が違いすぎる。

柿沢幹事長にいたっては、松井氏が言うように「幼稚」過ぎて話にならない。

このままでは、自民党の高村氏が言う通り、(安保法制で)維新の党との協議は進まない。

政策の違いよりも、性格の違いが影響するからである。

だから、維新の党は、スッキリ分裂するべし。

民主党の場合、分裂する気概すら失っているようだ。

分裂することで、「閉塞感」を打破し、「政治のダイナミズムが生まれる」事を期待する。

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2015年8月28日 (金)

マスコミと一部野党のせいで、安保法制の理解が進まない

最近の政治の話題は、低俗である。

今朝の、テレビ朝日だが、アントニオ猪木議員の「大声の質問」、山本太郎議員の「(安倍総理と)一騎打ち発言」という、クダラナイ話題を取り上げていた。

「安保法制の国民の理解が進まない」というが、こんな話題では安保法制の理解が進まないのも無理はない。

安保法制を理解するには、ネットで調べて自分の頭で考えることで事である。

メデイアに登場するTV局「御用達」解説者のコメントは、不必要である。

先日、福島瑞穂(社民)が、「戦争法案・・・戦争法案」を連呼して、安倍総理が、「戦争法案(?)とは、どの法案の事ですか?」と切り返していた。

マスコミと一部野党のせいで、安保法制の理解が進まないのが現状である。

ところで昨日・今日、メデイアの取り上げる話題は変わった。

維新の党・柿沢幹事長が「民主・共産推薦候補を応援した」事で、岡田民主ベッタリの松野=柿沢ラインと、大阪維新会の橋下=松井グループが対立している。

野党再編というが、選挙を睨んでの党利党略であり、私の目には、野党再編の総大将は共産党で、社民・民主はその配下に見える。

こんな時に、民主・共産推薦候補を応援するなんて、(松井が言う通り)柿沢は幼稚なガキ大将だ。

安保法制についての維新の党の「対案」も、党内ゴタゴタでは、与党との協議もまとまらないだろうし、期待もできない。

どうやら、政界は安保法制成立後を睨んで動き出したようだ。

マスコミと、一部野党は、「安倍政治の独走」と、批判するだろうが、自民党は安倍総裁で揺るぎない。

「安保法案成立」は規定通りで、参議院選挙の季節がやってくる。

(中山恭子先生が党首になった)次世代の党と、大阪維新の会の橋下=松井グループには頑張って欲しい。

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2015年8月24日 (月)

恣意的に「女性議員」を増やす(?)愚策

日本では、「女性議員の割合が少ない」という議論が以前からある。

女性が社会的に活躍し、議員の数が多くなることは良い事だ。

だが、しかし、恣意的に数をふやすことは如何なものか。

予め、「女性枠」を設けるという議論がある。

だが、これは、投票数が少なくても「女性枠」で当選できるというもので、「男女」不平等であると、私は考える。

憲法で認めた被選挙権は男女平等であるからだ。

今朝のニュースで、自民党の野田聖子議員らが、「比例当選の男女比を50:50にする」という事を、検討しているという。

全くナンセンスである。

「女性の役割」を主張するのなら、「男女平等」の選挙制度の中で競い合うべきである。

恣意的に「女性議員」を増やす法案は、愚策というしかない。

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2015年8月23日 (日)

原発再稼働反対の「世論」は必ずしも正しくない

川内原発再稼働について、世論調査では「反対」が相変わらず多い。

その理由は、原発稼働ゼロでも、需要に対して電力供給不足は発生していない。だから、敢えて「危険」な原発を再稼働すべきではない。

・・・というものである。

だが、「世論調査」の結果で、政策判断するのは間違いである。

世論は必ずしも正しくないのである。

私は、「安全基準」をクリアしたものは再稼働しても良いと考える。

その理由は、①電力料金の低廉化、②CO2の削減、③エネルギー政策、などがある。

最近では、一部野党やマスコミが煽っても、「原発反対デモ」は、下火になっている。

どうも…原発反対の議論を聴いていると、様々な誤解が多かったし、今でも感情的傾向が多い。

そもそも、「安全基準」という考えが間違いである。

「原発は危険である」という前提に立ち、「危険」を極小化する事が大切である。

そうでなければ、再び「安全神話の愚」を繰り返すことになる。

従って、「安全基準」は、世界一厳しくて当たり前で・・・常に現実に即して変更・改正すべきである。

もう一つの反対理由が、「最終処分場が無い」(トイレの無いマンション)である。

だが、最終処理の問題は、原発に賛成だろうが反対だろうが、解決しなければならない人類の課題で、今ある原発の再稼働とは別問題である。

国・地方が協力して、暫定的な中間処理施設を建設するよう努力すべきだ。

中間処理施設というと、地方は「必ず・・・反対する」のである。

福島原発事故の教訓は、安全神話と風評被害を排する事である。

中国「化学工場」の爆発事故を思えば、到る処に「危険」が存在している。

その事を認識すべきで、何となく「世論調査」の結果で政策判断するのは間違いである。

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2015年8月22日 (土)

≪漢詩鑑賞≫倦夜(杜甫)

   倦夜(けんや)      

竹涼侵臥内  竹涼(ちくりょう)は臥内(がだい)を侵し

野月満庭隅  野月(やげつ)は庭隅(ていぐう)に満つ

重露成涓滴  重露(ちょうろ)涓滴(けんてき)を成し

稀星乍有無  稀星(きせい)(たちま)ちに有無(うむ)

暗飛蛍自照  暗きに飛ぶ蛍(ほたる)は自ら照し

水宿鳥相呼  水に宿る鳥(とり)は相い呼ぶ

萬事干戈裏  万事は干戈(かんか)の裏(うち)

空悲清夜徂  空しく悲しむ清夜の徂(ゆ)くを

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

竹林の涼しさ(竹涼)が、この寝室の中(臥内)まで入ってきて、野の月の光は、我が家の庭のすみずみ(庭隅)まで満ちている。

葉に結んだ露(重露)は、やがてしずく(涓滴)となって落ち、空にまばらに出た星(稀星)は、光ったり消えたりしている(乍有無)。

暗いところに飛ぶ蛍は、自分で光を放って照らし(自照)、水辺に宿る鳥は、互いに呼びあっている。

これらすべての事(万事)は、戦争(干戈)の中で行われていることを思うと、この清らかな夜がすぎてゆく(徂)ことを悲しく思う。

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2015年8月21日 (金)

小っちゃい事

最近の政治話題は小っちゃい事ばかり。

安保法制の議論はどうなったのか?

今は、武藤議員の「若者のバカ騒ぎ発言」「週刊誌ネタ」「自民党離党」の話題が大きく取り上げられている。

そもそも、若者が国会周辺でデモをするのは、自由である。

それを、「バカ騒ぎ」「軽いノリ」と批判する武藤議員こそが「バカ議員」である。

そんな事はどうでも良い事である。

「安保法制の議論をすべき」大切な時に、こんな話題は「小っちゃい事」であるが、これしか安倍政権を批判するネタが無いという事か?

民主党、維新の党、共産党、社民党、山本太郎と仲間たち(?)の野党は、「安倍政権打倒」で協力すると言っている。

安保法制の議論よりも、党利党略が優先される。

「反安倍」のターゲットにしていた「総理談話」が、中韓からはさほどの反発が無いので肩すかし状態。

内閣支持率も、発表されないが「下げ止り」ではないか?

最近の政治の話題と言えば、小っちゃい事ばかり。

自民党総裁選があるようだが、安倍総理には、引き続き頑張ってもらいたい。

小っちゃい事しか言わない「野田聖子」なんて論外だ。

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2015年8月20日 (木)

神仏共生~心の旅

昨日まで北海道・東北を夫婦二人旅した。

初日は墓参り(札幌市里塚霊園)に始まり、札幌では後期高齢者の兄たちとジンギスカンでビールを飲み、翌日は女房の実家が初盆のため函館五稜郭駅へ。

その夜も、親兄弟たちと食事会・・・。

段々、齢をとると『生存確認(笑)』が主な目的だ。

三日目の朝、青函トンネルをわたって函館から青森へ。新青森から東北新幹線で盛岡まで・・・。

周囲から聞こえる方言が懐かしい。

(盛岡市では、遠くでマイクの音がして、選挙運動の最中のようだった)

四日目の朝、平泉にタクシーで移動する。

世界遺産の中尊寺及び毛越寺をガイドさんの案内で、観光する。

神社仏閣を見学しながら、思った。

日本人の宗教観というものは、古くからの神道も、大陸から伝来した仏教も、対立するものではなく、共に共生するものである。

中尊寺の本堂には、天台宗・比叡山延暦寺の『(1200年続く)不滅の法灯』の灯が受け継がれいる。

青森県にある宗教法人・松緑神道大和山では、延暦寺の『不滅の法灯』への油を献上している。

毛越寺の常行堂の祭礼では、正月20日で、古式の法要の後「延年の舞」が神仏に奉納されるという。

このように、神仏共生は日本人の宗教観である。

久しぶりに、心の旅をした。

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2015年8月15日 (土)

格調高い、戦後70年談話に拍手を送る

昨日、安倍総理による『戦後70年総理談話』が発表された。

静かにテレビの前で拝聴した。

格調高く感動した。

村山元総理が、「村山談話を継承したか?」の質問に、「何を言っているのか?わからん」と吐き捨てるように批判した。

この爺様は、真に歴史と向き合う姿勢が無いようだネエ。

総理談話は、全体を通して、「未来への決意」が強調された内容である。

最も感動したのは、次の部分である。

「先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」

私は、心から拍手を送る。

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2015年8月14日 (金)

『安全神話』は何故生まれたのか?

それでは、『安全神話』は何故生まれたのか?

その原因は、そもそも反対運動にある。

原発が起動した時、反対運動が起こった。

その表向きの反対理由は、「原発は危険である」「事故になれば大災害」というものだった。

反対運動と電力会社の論争は、「危険だ」「いや安全だ」というものだった。

そこに問題があった。

電力会社が新たに安全の為に設備投資すると、反対派はそれは原発が「危険な」証左と反発した。

電力会社は「安全だ」と言い続けた。

(安保法制で)「自衛隊の任務は安全か?危険か?」という議論があった。

それと、同じくらい不毛な「論争」だった。

反対運動も、電力会社も、「安全か?危険か?」という二者択一の、『安全神話』に陥った。

その結果、福島原発の「人災」が発生したのである。

『安全神話』の過ちを繰り返してはいけない、と思う。

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2015年8月13日 (木)

『安全神話』から脱皮せよ!

日本では、未だに・・・『安全神話』が蔓延っている。

米軍ヘリ事故のニュースがあった。

東京新聞は、「基地があるから事故が起きる」と、見出しで大きく取り上げていた。

だが、この見出しは、支離滅裂で・・・間違いである。

事故の原因は調査中だが、「基地があるから」ではない。

操縦ミスなのか?、機械の故障なのか?それとも他に?徹底究明が大切である。

「事故が起きる可能性」を想定し安全対策を講じる事が、何より肝要である。

如何なる場合でも、『安全神話』はいらない!

この見出しは、マスコミの役目であるべき「事実の追及」ではなく、「反基地闘争」のプロパガンダに過ぎない。

「安保法制が戦争を誘う=戦争法案」と同じ思考構造である。

そもそも、「安保法制」に反対する理由の一つに、「憲法違反だから」がある。

憲法9条は進駐軍が、「敵国日本を、完全に武装解除」するのが目的だった。

それ故、「自衛隊創設」以来、日本防衛には常に、「憲法違反」の疑義がかけられた。

九条派の考えでは、「憲法9条で、平和は保たれた」という。

「丸腰(無防備、非武装)なら、撃たれない」という・・・。

これも、『安全神話』の一つである。

他方、原発再稼働に反対する理由の一つに、「危険は完全には払拭されない」がある。

これも『(原発)安全神話』の裏返しの思考構造である。

(私の孫たちを見ていて思うが・・・)「危険」などというものは、日常茶飯事、到る処にある。

大切なのは、予防、危険回避、緊急対処法である。

いい加減に、『安全神話』から脱皮せよ!

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2015年8月11日 (火)

≪漢詩鑑賞»飲酒(陶淵明)

70年総理談話だが。

「お詫び」の言葉を入れることで決着したようだネエ・・・。

そんな言葉を入れようが入れまいが、どうでもよい事。

「総理の真意(=未来志向)」とは無関係だ。

話を、本題に移す。

この詩(飲酒)は、陶淵明が役人を辞して、田園に隠居した晩年の作品である。

弁ぜんと欲すれば已に言を忘る・・・の句が有名であり、隠遁詩人・陶淵明の面目躍如というところだ。

最近、私も、「言を忘れる」ことは間々ある。

それは「軽い健忘症」の為であり(笑)、大詩人・陶淵明の「言を忘る」とは違う。

☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆

飲酒

結廬在人境  廬を結んで人境に在り

而無車馬喧  而も車馬の喧しき無し

問君何能爾  君に問う何ぞ能く爾るやと

心遠地自偏  心遠ければ地自ら偏なり

采菊東籬下  菊を東籬の下に采り

悠然見南山  悠然として南山を見る

山気日夕佳  山気日夕に佳く

飛鳥相輿還  飛鳥相与に還る

此中有真意  此の中に真意有り

欲辯已忘言  弁ぜんと欲すれば已に言を忘る

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2015年8月10日 (月)

来賓の総理大臣に対して、非礼ではないか!

昨日、原爆投下の長崎市で『平和祈念式典』が開催された。

安倍総理も出席し、原爆犠牲者を追悼し、核兵器廃絶の願いを込めて挨拶した。

鎮魂と平和は、多くの日本人が共通に抱く願いである。

鎮魂とは、敬虔な祈りである。、

平和とは、国の安全保障政策である。

ところが、田上長崎市長は、「(参院で審理中の)安保法制については、不安と懸念が広がっている」と、安倍総理を批判した。

「(政治的立場の)批判」は、鎮魂の式典では慎むべきが礼儀である。

来賓の総理大臣に対して、非礼である。

昨今、『平和祈念式典』で、来賓の総理に対して、現地では非礼な振る舞いが多い。

今年6月、沖縄での『式典』で、来賓として挨拶に立った安倍総理に対して、参列者の中から、「帰れ!帰れ!」の野次が起こった。

メデイアは、「(安倍政権への)怒りの声」などと美化した。

(一部だが)沖縄県民のマナーの悪さには驚いたが、その原因はメデイアの報道姿勢にあると思う。

沖縄と言えば、一昔前、天皇陛下(当時は皇太子殿下)が沖縄ひめゆりの塔を訪れた時、過激派が火炎ビンが投げつけた事件があった。

「沖縄県民への配慮」ゆえの警備の甘さが、指摘された。

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2015年8月 9日 (日)

野中広務氏の少しマトモ(?)な意見

今朝の『時事放談』(TBS)の出演者・野中広務氏は、少しヘンだった。

野中氏と言えば、「反安倍」「親中」を吐露するのだが、今朝は少しヘンだった。

老衰なのか、御厨氏の質問が聞こえないらしい。

安保法制の採決について、「(国会採決時に)プラカードを掲げて、委員長席を囲む」のは、前代未聞である。と、野党を批判していた。

更に、メデイアの取り上げ方に疑問を呈していた。

野中氏しては、少しマトモ(?)な意見だ。

「強行採決」に対する安倍批判を期待していた御厨氏は、少し戸惑っていた。

野中氏は、磯崎発言や、70年談話について、「(水面下で中国と折衝しているので)問題ない」と断言した。

「反安倍」「親中」で、同類(?)の河野洋平とは、ちょっと違うようだ。

河野氏は、「媚中・媚韓」が殆どであるが、野中氏は、「戦争」への嫌悪感、「反戦・平和」が背景にある。

それだけに、少しマトモである。

「(半藤氏の制作した映画)日本で一番長い日を、早速観たい」と言った。

半藤氏が「戦争を始めるのは簡単だが、終えるのは難しい」と言った。

その通りである。

「戦争」への嫌悪感、「平和」を求める点では、(私も含めて)多くの日本人は同じである。

今は、鎮魂の季節である。

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2015年8月 8日 (土)

憶測で批判する野党・民主党

野党・民主党の安倍批判は、極めて下劣である。

安倍総理の「発言」に対してではなく、安倍総理の心中を「憶測」して批判しているのである。

例えば、安倍総理は「徴兵制」「核兵器の輸送」は、100%念頭に無い、絶対にあり得ない、と断言している。

だが、野党・民主党は「安倍総理は信用できない」として、安保法制が「徴兵制」「戦争」に繋がると批判を強めている。

普通、国会論戦での批判というものは、「(議事録に残る)発言」についてなされるものだ。

だが、野党・民主党の批判は、安倍総理の心中を勝手に憶測して批判している。

『報道特集』(TBS)が、「私が(徴兵制、核兵器の輸送など)は絶対にあり得ない」という安倍総理の発言を、「国民は(?)信用できない!」と批判していた。

これは、言論封殺である。

(ジャーナリストを自認するなら、言葉には言葉で対抗すべきである)

独裁者が、側近を粛清する時も、「お前は危険人物だ」と言って側近を粛清する。

それと同じだ。

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2015年8月 6日 (木)

原爆投下の罪は誰にあるのか?

今日は8月6日、広島原爆の日である。

原爆投下は、当時のアメリカ大統領の犯した『大罪』である。

女性・子供を含む一般市民(非戦闘員)を、一瞬にして大量殺戮した。

人道に対する『大罪』である。

ところが、最近メデイア報道を見ているとヘンだ。

あたかも原爆投下は、(戦争を起こした)「日本(軍国主義者)の責任に有るかのごとき」扱いである。

「もう二度と間違いを犯しません(誰が?)」

冗談じゃない!

戦後70年、日本は平和国家の道を歩み、アメリカは最も大切な同盟国である。

これからも、過去の戦争を反省し、平和国家の道を歩むべきである。

だが、原爆投下は、当時のアメリカ大統領の犯した『大罪』であることに変わりはない。

この事実を踏まえたうえで、日本人は未来志向であるべきである。

そういう意味で、鎮魂の祈りをしようと思う。

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2015年8月 5日 (水)

佐藤正久(元自衛隊イラク派遣隊長)と小野次郎(元警察官僚)の違い

政治家も、以前の職業によって、「発想」が随分違うなあと思った。

参議院特別委員会での事、佐藤正久議員(自民党・元自衛隊イラク派遣隊長)と小野次郎議員(維新の党・元警察官僚)の質疑を聴いてそう思った。

佐藤議員の質疑は現地の自衛隊員の「安全確保」に集中し、小野次郎議員の質疑は(空理空論とは言わないまでも「法的安定性」に集中していた。

それは、自衛隊がネガティブリスト(※1)ではない。ポジティブリスト(※2)で行動する組織だという事に起因する。

※1 ネガテイブリスト 禁止事項を明記し、それ以外は原則自由

※2 ポジテイブリスト やっていいことを明記し、それ以外は原則禁止

本来なら、自衛隊は(世界基準の)ネガテイブリストで行動すべきだ。

現地で自衛隊が、武装集団に急襲されたとき「法的安定性は関係ない」のである。

だから、ポジテイブリストで行動する警察と、自衛隊員は違う。

佐藤正久氏と、小野次郎氏の質疑を聴いてそう思った。

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2015年8月 4日 (火)

磯崎発言を巡る~野党=左翼マスコミの<言論弾圧(思想弾圧)>

これは、度を越した<言論弾圧≫だと思うんだよ・・・。

昨日、磯崎補佐官が「誤解を与え大変申し訳ない」と謝罪した。

だが、野党からは「ダメ!ダメ!ダメ!」と野次の大声。

事の発端は、(磯崎氏の国会外での)演説である。

野党=左翼マスコミ連合が、「法的安定性は関係ない」という『言葉尻』を捉えた。

そして、「法的安定性を否定した」と歪曲し、決め付けた事に始まる。

「関係ない」事と、「否定した」事は、違う概念である。

と、私は思うんだよ。

だが、磯崎補佐官は、(国会運営を配慮して?)「法的安定性を否定した発言」はしていないが、「誤解を与えたとしたら申し訳ない」として、発言を撤回して謝罪した。

まあ、責任ある政治家としては、理解できるが・・・。

普通なら、これで一件落着である。

だが、野党席からは「ダメ!ダメ!ダメ!」と野次の声。

さらに総理を追及する構えである。

昨夜『報道ステーション』(テレ朝)で、常連「憲法」学者が、次の様に批判していた。

「言葉(尻)」は撤回したが、根本(思想)は何ら変わっていない。

批判するのは自由だが・・・これは、言論弾圧を超えた思想弾圧である。

最低限、「言葉(尻)」に対する批判に留めるべきである。

正に、野党=左翼マスコミの<言論弾圧(思想弾圧)>である。

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2015年8月 3日 (月)

歴史の史料として読む、『終戦の詔書』(昭和20年8月14日)

「戦後70年の総理談話」について話題になっている。

中韓や、反日メデイアが挙って、「村山談話」の文言を使うかどうか?安倍総理への言論圧力を強めている。

「村山談話」の文言とは、「侵略戦争」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのお詫び」などである。

これは、(歴史の検証とは程遠い)自虐史観の極みである。

万人が認めるが、戦後70年、日本は平和国家の道を歩んだ。

戦後とは、「村山談話」(戦後50年の村山総理談話)からではなく、『終戦の詔書』(昭和20年8月14日)から始まる。

終戦の詔書(昭和20年8月14日)の原盤が宮内庁から公開された。

昭和天皇の肉声(玉音放送)であるが、全文を、テレビ番組(NHK、日本テレビ)で、口語訳字幕付で聞いた。

今まで、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の部分は、何度も聞いているが、全文をそのまま聞いたのは、初めてである。

全文の玉音放送を放送した事は、良い事である。

コメンテーターたちが、「戦後70年の出発点は『終戦の詔書』である」と言っていた。

そうであるなら、この『終戦の詔書』は、歴史の重要な史料として精読するべきである。

そこには、自虐史観の文言は一つもない。

未来志向の文言で、貫かれている。

結語は、次の様にある。

日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう。国民諸君は、どうかこの私の願いを実現してもらいたいと思う。

終戦の詔書(昭和20年8月14日)を歴史の史料として読むことが肝要である。

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2015年8月 1日 (土)

磯崎補佐官の発言、全体の文脈で読む

磯崎総理補佐官の発言(法的安定性・・・)が、取り上げられているようだ。

「総理補佐官」の発言は、総理、国防大臣、外務大臣(主務大臣)以外の「ベンチ内」の発言であり、「試合進行」(国会審議)とは関係ない。

批判するにしても、「言葉尻」を捉えてすべきではない。

全体の文脈で、根本にある思想を捉えるべきである。

磯崎総理補佐官の「平和と安保法制」に関する演説も、全体の文脈から見れば何の問題もない。

即ち、国を守る事の方が、法的安定性を守る事より大事だと言っている。

当然の事を云っていて、同感だ。

「国を守ること」は最重要と言っているだけで、「法的安定性を守る事」を否定してはいない。

「どちらが重要か?」という文脈の中でみれば当然の事である。

このような「言葉尻」を捉えて批判することは、ガキの口喧嘩のようなもので馬鹿馬鹿しい限りである。

話はかわるが・・・。

今朝、NHKの番組で『終戦の詔書』の玉音放送が口語訳全文と共に放映された。

私は、あらためて玉音放送を拝聴した。

是非、若い人は、自分の目で全体を確かめて欲しいのだが、最後の部分を紹介する。

私はこうして国を滅ぼすことは避けることができた。私は今後も諸君の忠誠を信頼し、常に国民とともにあるつもりである。今後、感情にまかせてむやみに騒ぎをおこしたり、自国民同士で争ったりすれば、国の将来をそこない、世界の信用を失ってしまうだろう。そのようなことは決してしてはならない。

これからは国をあげて、子孫を残し、日本が決して滅ばないという確信を持たねばならない。その責任は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾けねばならない。人道と正義を重んじ、強固な精神を保たねばならない。そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう。国民諸君には、どうかこの私の願いを実現してもらいたいと思う。

私は、自然と涙が流れた。

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