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2013年8月 8日 (木)

過剰な“言葉狩り”こそが、「被差別」意識を喚起させる

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◆「ばかでもチョンでも」を撤回?

溝手議員(自民党)が、次の発言をした。

「安倍晋三首相のように非常に勢いのいい首相の下だと、ばかでもチョンでも当選するという要素があるのは否定できない」

溝手議員は・・・すぐに発言を撤回した。

チョン」は韓国・朝鮮人に対する差別表現(蔑称)だ、というのが「撤回」の理由のようだ。

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◆熟語表現とは?

溝手議員に韓国・朝鮮人を差別する(蔑視する)意識は微塵もない。

そのことは、前後の文脈と、“ばかでもチョンでも”という熟語表現(※)から明白だ。

※熟語表現とは、二つ以上の言葉が合成して、新しい意味が生じる事をいう。

従って“ばかでもチョンでも”と、“チョンでも”とでは、全く違う意味である。

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◆「バカチョン」は差別用語ではない!

チョン」とは、元来、・・・半人前の取るに足らない人のことを指す。

芝居の終りに打つ拍子木の音になぞらえた言葉である。

明治時代の小説『西洋道中膝栗毛』には、「馬鹿だのチョンだの野呂間だの・・・」という表現がある。(ウイキぺディアより)

バカチョン」は、韓国・朝鮮人に対する差別用語ではない。

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◆過剰な“言葉狩り”

現在では、“(バカチョンは)韓国・朝鮮人に対する差別表現”だとして、「差別用語狩り」の対象になっている。

一時、流行した「バカチョン・カメラ」(CMのコピー)も現在では放送禁止用語だという。

韓国・朝鮮人の異常な“被差別意識”が、日本で古くから使用される用語を歪曲させている。

正に、過剰な「言葉狩り」である。

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◆「差別」とは?

「差別」とは、同じコミュ二ティーの中で“排除”する事である。

(火事と葬式は例外とする・・・「村八分」は、そこから生じた)

だが、例えば、朝鮮学校などへの“援助停止”は、「差別」などではない。

「差別」とは、同じコミュ二ティーの中で“排除”する事であって、(日本人を拉致した)北朝鮮の金独裁体制を、礼讃している朝鮮学校に対する“援助停止”などは、断じて・・・「差別」などではない。

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◆過剰な“言葉狩り”こそが、「被差別」意識を喚起

既に、述べたように、過剰な“言葉狩り”は、韓国・朝鮮人の異常な“被差別意識”が、原因である。

私は、少し前のブログで、“反日横断幕を掲げた”サッカーの韓国人サポーターを批判して「(反日)韓国人を憎まない、ただ軽蔑するだけ」「軽蔑する事はヘイトスピーチ(憎悪表現)ではない」と書いた。

(バカな事をする人を)「軽蔑する」事は、「差別する」事とは、マッタク違う!

過剰な“言葉狩り”こそが、逆に「被差別」意識を喚起させているのである。

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