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2013年5月 3日 (金)

≪読書感想≫海の細道(長谷川櫂著)

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◆芭蕉の夢

『海の細道』(俳人・長谷川櫂著)を読んだ。

本著は、“芭蕉の夢”をなぞった“紀行文”である。

“芭蕉の夢”とは、大坂で客死して果せなかった“芭蕉の西国への夢”である。

その旅は、芭蕉があこがれた中国の大詩人・杜甫が亡くなった洞庭湖の辺りにまで辿る。

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◆海の旅

『おくのほそ道』が、もっぱら“陸の旅”ならば、『海の細道』は、大坂から瀬戸内海を抜けて大陸へ向かう“海の旅”である。

『海の細道』は、勿論、『おくのほそ道』(松尾芭蕉)に肖ったものである。

私が、図書館の本棚から本著を手に取った動機は、その『海の細道』という本のタイトルが原因である。

私はミーハーだから、本のタイトルの放つ“インパクト”は侮れない。

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◆文学性を逸脱した未熟な政治性

ところで私は冒頭、『海の細道』(長谷川櫂)を、“紀行文学”ではなく“紀行文“と呼んだ。

紀行文学とは、旅行によって体験したり見聞したりしたことを、日記・書簡・詩・随筆のような形式をとって表現した優れた“文学作品”の事である。

ところが、『海の細道』は、“文学作品”としては、疑問を感じた。

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◆紀行文学

代表的な“紀行文学”といえば、『土佐日記』『おくのほそ道』がある。

『土佐日記』(歌人・紀貫之)は、平安中期、土佐国から京への帰路55日間、書き手を女性に仮託して仮名で日記風に綴った。

『おくのほそ道』(俳人・松尾芭蕉)は、「月日は百代の過客にして・・・」という序文に始まる我が国最高峰の“紀行文学”である。

だが、『海の細道』(俳人・長谷川櫂)には、「文学性を逸脱した、中途半端で未熟な政治性」を感じる。

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◆航海から生れた詩歌のリズム

『海の細道』の旅を終えて、著者は次のように述べている。

俳句や短歌という日本の定型詩が、なぜ五音と七音の組み合わせからできているか。・・・日本の詩歌のリズムが、じつは航海から生れたのではないか。・・・これは俳人である私にとっては、何より「住吉みやげ」である。

興味深い記述である。

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◆嫌日思想

だが、次の記述は、『海の細道』の文学性そのものを、台無しにしてしまった。

日本人は日本史より東アジア史を学ぶべき。・・・日本はほかの国より優れた国であり、日本人はほかの民族より優れた民族であるとする「思想」は、・・・国を賛美するように見えながら、じつは対外緊張を高め、戦争を起こし、その結果、この国を滅ぼす・・・。

「日本への嫌悪感」に満ちている。

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◆文学と政治

私は、“文学作品”の「権力批判」という“政治性”を、否定しない。

だが、それは、優れた“文学性“の上に立つものである。

杜甫の漢詩には、“民衆への愛”があるが、著者・長谷川櫂の「権力批判」の視点は、「嫌日思想」(日本への嫌悪感)に満ちているだけである。

「文学性を逸脱した、中途半端で未熟な政治性」と、私が酷評した所以である。

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