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2012年9月28日 (金)

米国の対日評価は?

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莫邪を鈍と為し、鉛刀を銛と為す

世俗の人が愚昧で、賢人を愚人とし、愚人を賢人とする事の譬えとして、「莫邪(ばくや)を鈍(どん)と為し、鉛刀(えんとう)を銛(せん)と為す」という。

※莫邪=「名刀」 ※鈍=にぶい・なまくら・刃物の切れ味が悪い ※鉛刀=鉛で造った刀 ※銛=するどい・よく切れる

賢愚良否についての世間の評価はデタラメである事を意味している。

(出典『買誼・弔屈原賦』)

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◆「尖閣」に関する米国世論

先日、テレビ番組で、「アメリカの一般国民は、“尖閣”問題についてどのように思っているのか?」という世論調査が紹介されていた。

半数以上の米国民が、(極東での)日中問題に“無関心”で、しかも「尖閣」問題の存在自体を知らないのである。

あ然とさせられた。

更に、驚くべき事に(知っていても・・・)その半数以上が、「尖閣は、中国の領土だ」と思っているのである。

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◆米国の対日世論

米国政府は自国の「世論」を気にするから、「日米安保の範囲」はその通りだが、一方では「日米間の話し合いで解決”すべきと「中立」の立場を発信する。

米国は大統領選の真っ最中である。

米国民にとっては、島根県の「竹島」も、沖縄県の「尖閣」も、所詮は“他国間の争い”である。

豆粒ほどの“関心”しかないのが、現実である。

アヘン戦争以後の「中国に進出した」欧米列強のように、日本が「侵略戦争で(中国から)奪った」と、何の根拠もなく思っているのである。

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◆「東京裁判史観」との闘い

「竹島」も「尖閣」も、歴史的にも国際法的にも“日本固有の領土”であることは間違いない事である。

だが、そのような“正論”を、韓国・中国相手にに、何度繰り返しても無駄である。

野田総理の国連演説に対して、中国・楊外相は、「(尖閣は)日清戦争で中国から日本が奪ったもの」「敗戦国(日本)が、戦勝国(中国)に挑戦しようとしている」「戦後秩序を破壊しようとしている」と、反発した。

中国共産党政府の戦略は、明らかに「領土問題」を「歴史認識」と絡めていると同時に、その「歴史認識」は、東京裁判史観(=戦勝国の論理)に依拠している。

「東京裁判史観」との闘いは、国際世論に向かって、今後避けられないし、又避けるべきではない。

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◆国際世論をこそ注意すべきだ!

政財界の大物が、“関係改善”のために「中国詣で」をしたが、中国共産党の“序列4位”氏に、「日本が、反省して、努力せよ」と、軽く扱われた。

会見場(人民大会堂)の中央には、売国奴・河野洋平の醜い姿が映っていた。

これ以上、醜態を観たくない。

今、我が国・日本が注意すべきは、韓国や中国の世論ではなく、国際世論(特に米国の世論)である。

国際世論をこそ注意すべきだ!

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◆米国はどう見るか?

オスプレイ配備を巡って、沖縄では普天間基地のゲートに一部デモ隊(過激派)が突入しようとして警官隊と衝突した。

彼らは、「基地撤去!」「日米安保廃棄!」と叫んでいるのである。

中国での暴動デモは、一応、“反日”であるが、沖縄のオスプレイ反対デモは、究極、“反米”である。

米国民は、これをどう思うだろうか?

国際社会はどう見るか?

野田民主党政権は、危機感が無さ過ぎる!

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コメント

外国の反応などどうでも良い!
大切な事は日本人が何故今、安倍晋三総理を望むのかだ!

投稿: 監督 | 2012年9月28日 (金) 21時04分

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