≪漢詩鑑賞≫楓橋夜泊(張継)
楓橋夜泊(ふうきょうやはく)は、日本人に親しまれている漢詩のひとつである。作者・張継(ちょうけい)は、中唐の詩人。
この詩は、解釈において異説が多い事でも有名である。しかし、そのような議論よりもこの詩のしっとりとした旅の情感を味わいたい。
===================
楓橋夜泊 張継<七言絶句>
月落烏啼霜滿天 月落ちて烏啼いて霜天に満つ
江楓漁火對愁眠 江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外の寒山寺
夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声客船に到る
☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆
月は西に落ちて闇の中に烏の鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ち満ちてもう夜明けかと思われた。
紅葉した岸の楓(かえで)、点々とともる川の漁火が、旅の愁いの浅い眠りの目にチラチラと映る。
折しも姑蘇の町はずれの寒山寺から、
夜半を知らせる鐘の音が、わが乗る船にまで聞こえて、ああ、まだ夜中だったか、と知らされた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※楓橋 江蘇省蘇州の郊外、楓江にかけられた橋。
※夜泊 夜、船の中で泊まることをいう。
※烏啼 この語の解釈には三つの説がある。①烏が鳴くのは明け方の風物だとする説、②やはり夜中だとする説、③烏啼山(うていざん)という山の名だとする説。
※霜滿天 霜の降りる気配が大空に満ち満ちている様。
※愁眠 やるせない旅愁の中で、まどろんだり目が覚めたりする浅い眠り。
※姑蘇 春秋時代の呉の都。今の蘇州。
※寒山寺 蘇州の郊外、楓橋の近くに在る寺。
=====================
追記)
この詩の全体を流れる「愁眠」は、作家の五木寛之先生の云う「暗愁」に通ずるものがある。それは、<切ない>悲しみであるが、同時に、<力強い>悲しみとなって、静かに我が心を鼓舞する。
================
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ≪漢詩鑑賞≫王維、美的世界(2019.02.02)
- ≪漢詩鑑賞≫白頭を悲しむ翁に代る(劉希夷)(2019.01.21)
- ≪漢詩鑑賞≫菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る(陶淵明の世界)(2018.12.15)
- ≪漢詩鑑賞≫王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す(白居易)(2018.11.30)
- ≪漢詩鑑賞≫登高(杜甫)(2018.11.12)
コメント