« 「希望を捨てず、お体を大切にしてください」(松原仁拉致問題相・北向けラジオで) | トップページ | 小沢一郎は、推定「有罪」 »

2012年4月24日 (火)

≪漢詩鑑賞≫子を責む(陶淵明)

Dk21x03x12

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆子供への「期待」と「落胆」

これは、我が子の不肖を嘆き責める陶淵明の詩である。

陶淵明には五人の男の子がおり、上から儼(げん)・俟(し)・份(ふん)・佚(いつ)・佟(とう)と名付けられた。

息子たちは、そろいもそろって不出来・ボンクラであったという。

父親の陶淵明にしてみれば、息子たちへの「期待」が大きかっただけに、その「落胆」も大きい。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆ファミリースケルトン

ファミリースケルトン(family skeleton)という英語がある。

“家庭内の秘密(恥部)”という意味で、古今東西を問わず、何処の家庭にも、「ファミリースケルトン」がある。

浮世を離れて悠然としているはずの詩人・陶淵明にも、この「ファミリースケルトン」があったと思えば、人間的なものを感じ愉快になる。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆未だ能く道に達せず

後に杜甫がこの詩を読んで、次のように陶淵明を嘲笑している。

「陶潛は俗を避けし翁なるに、未だ能く道に達せず、・・・子あり賢と愚と、何ぞ其れ懐抱に掛けんや(=そんなこと気にかける必要はないではないか)」

杜甫の子も期待したほどではなかったので、身につまされたのだろう。

======================

子を責(せ)む  陶淵明<五言古詩>

白髪被兩鬢  白髪両鬢(りょうびん)に被(おお)

肌膚不復實  肌膚(きふ)復た実かならず

雖有五男兒  五男児有りと雖(いえど)

總不好紙筆  総(すべ)て紙筆(しひつ)を好まず

阿舒已二八  阿舒(あじょ)は已に二八なるに

懶惰故無匹  欄惰(らんだ)(まこと)に匹(たぐ)い無し

阿宣行志學  阿宣(あせん)行くゆく志学なるに

而不愛文術  而(しか)も文術を愛せず

雍端年十三  雍端(ようたん)は年十三なるも

不識六與七  六と七とを識(し)らず

通子垂九齢  通子は九齢に垂(なんなん)とするも

但覓梨與栗  但だ梨と栗とを覓(もとめ)るのみ

天運苟如此  天運苟(いやし)くも此(かく)の如くんば

且進杯中物  且(しばら)く杯中の物を進めん

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※「阿舒」・・・長男儼の幼名。「阿」は名前の上につける愛称。

※「懶惰」・・・怠惰に同じ。

※「阿宣」・・・次男俟の幼名。

※「志学」・・・『論語』の「吾れ十五にして学に志す」から十五歳をいう。

※「文術」・・・文章学問。

※「雍端」・・・三男の幼名は雍、四男の幼名は端。

※「不識六與七」・・・六と七は足して十三になる。彼らの齢が十三であることから戯れに言ったものだろう。

※「通子」・・・五男佟の幼名。「子」は愛称。

※「天運」・・・天が与えた運命。

※「苟」・・・仮定。もしも。※「且」・・・まあしばらく~でもすることにしよう。

※「杯中物」・・・酒。

===================

|

« 「希望を捨てず、お体を大切にしてください」(松原仁拉致問題相・北向けラジオで) | トップページ | 小沢一郎は、推定「有罪」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564386/54547767

この記事へのトラックバック一覧です: ≪漢詩鑑賞≫子を責む(陶淵明):

« 「希望を捨てず、お体を大切にしてください」(松原仁拉致問題相・北向けラジオで) | トップページ | 小沢一郎は、推定「有罪」 »