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2012年4月10日 (火)

「霞が関文学」と「政治主導」の罪悪

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昔、中国の周の時代に、『採詩官』という役人がいた。(民衆の気持ちを探るために)地方に伝わる詩歌を採って統治の参考にしたという。民衆の文学と政治の関係は、歴史的にも深い。その文学も、色々なジャンルがあるが、最近「霞が関文学」「永田町文学」などと呼ばれる“似非文学”が登場してきた。

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※霞が関文学とは?

官僚が「てにをは」を訂正することで文脈を変える技術。難解にして不明瞭、読み方次第ではどうにでも取れる奇妙な文体を指す。国会議員が官僚に作らせる法案等の文章の蔑称でもある。(例:「完全民営化」⇒「完全に民営化」)

※永田町文学とは?

政治家が好んで使うフレーズ。平易だが「言語明瞭・意味不明」と言われ中味がない。特徴は、責任の所在が不明確で、実現不可能なことが多い。永田町文学では、「鳩山文学」が有名である。枝野大臣の〝玉虫色”答弁も、永田町文学の一つである。

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◆「法治主義」とは、何か?

わが国は、国の隅々にまで法律が網羅されている。

法律のある処には必ず「公務員」が存在し、そして、「公務員」は、その法律に従って行動する。

つまり「法治主義」とは秩序を尊ぶ思想であり、別名「官僚主義」とも言う事ができる。

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◆「政治主導」とは?

「官僚主導」に対比して「政治主導」と云う言葉がある。

「政治主導」なる言葉は、極めて「詭弁」的に使われている。

例えば「超法規的判断」を「政治判断」と呼ぶように、「政治主導」なる意味は権力者による「恣意的」なものに歪曲されやすい。

政治主導を行う主体の「政治家」が、(たとえ「善人」であったとしても)常に「善政」を行なうとは限らないのである。

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◆官僚を制する者が、国を制する

以前、柳田法務大臣は「国会答弁は二つの言葉だけで十分」と言った。

最近でも、北朝鮮のミサイル発射が近づく中、田中防衛大臣が「あ~、もしもし」と発言して無能ぶりを晒した。

大臣がいかに素人でも無能でも、そうであるが故になお更“官僚主導の政治”は徹底されているのである。

官僚を制する者が、国を制するのである。

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