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◆この本を借りるのに躊躇した
図書館の新刊コーナーで、『英文学者 夏目漱石』(亀井俊介著)を目にして借りた。
この本を借りるには、少しだけ躊躇があった。
夏目漱石と言えば、近代日本を代表する文豪であると同時に、英文学者としても日本を代表する存在である。別世界の存在である。
しかも、著者は、東大英文科卒業の文学博士である。
私が躊躇したのは、この点である。
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◆高尚な学問?
「英文科」などいう存在は、(実用的な「英語科」とは違い)「産学協同」とは無縁な存在である。
特に、「天下の東大英文科」と聞けば、英語で文学を読みそれを論じるという“高尚な人達”がやる学問というイメージが、俗物の私には付き纏う。
まるで、山登りの初心者がいきなりエベレスト登山を試みるようなものだった。
それが躊躇した理由でもある。
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◆楽しめば良い
だが、著者・亀井俊介氏の文章には、初心者に対しても<拒絶感>は無く、むしろ自然に受け入れてくれるようであった。
私は、開き直って、「理解」するより、「楽しむ」ことを主題にして読んだ。
それは、時折ブログで≪漢詩鑑賞≫を掲載するように、「楽しむ」と言うことは「鑑賞」すると言うことである。
私は、いつの間にか“漱石の世界”に浸り、(実用的な意味などない)知的興奮を覚えたのである。
読者の立場で言えば、「文学」と云うものは楽しめば、それで良いのである。
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◆英文学者夏目漱石
著書は、次のような内容になっている。
はしがき わが英文科の「開祖」夏目漱石
第1章 帝国大学英文科学生ー「英文学に欺かれるが如き不安の念」
第2章 英語教師ー「文学ほど六ケ敷いものはない」
第3章 英国留学ー「僕も何か科学がやり度なった」
第4章 東京帝国大学講師ー「根本的に文学とは如何なるものぞ」
付録 夏目漱石における「知」と「情」-作家の誕生へ
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◆漢文+英文+和文
夏目漱石は作家として、名を成す前は英語教師であった。しかも、その英語力は相当なものだったようである。
しかし、子供の頃は漢文が大好きで、反対に英語は大嫌いだったと云う。それでも、帝国大学の英文科を優秀な成績で卒業し、官費でイギリスに留学するほどになった。
漱石の英語力には、子どもの頃の漢文の素養(特に文法を理解する)が基礎になったのではないかと想像している。
さらに、俳人・正岡子規らとの交流も文豪・夏目漱石の誕生に繋がっているのであろう。
漢文+英文+和文の素養があって、後の文豪・夏目漱石の誕生があったと思う。
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◆珠玉の言葉
私のクセであるが、ちょっと心に響く言葉があるとそれを書き記す。
本著の中にも、その言葉を書き記すことで、ジックリとあらためて、私は楽しむ(鑑賞)ことにする。
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山路を登りながら、かう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
(『草枕』の冒頭の文句)
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ある人云ふ漱石は幻影の盾や薤露(かいろ)行になると余程苦心をするさうだが猫は自由自在に出て来るさうだ、夫(それ)だから漱石は喜劇が性に合って居るのだと。詩を作る方が手紙をかくより手間のかゝるのは無論ぢゃありませんか。虚子君はさう御思ひになりませんか。薤露行抔(など)の一頁は猫の五頁位と同じ労力がかゝるのは当然です。適不適の論ぢゃない。
(高浜虚子宛ての手紙)
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鹹気(かんき)顔を射て顔黄ならんと欲す
醜容(しゅよう)鏡に対すれば悲傷(ひしょう)し易し
馬齢(ばれい)今日(こんいち)廿三歳(にじゅうさんさい)
始めて佳人(かじん)に我が郎(ろう)と呼ばる
(潮風により容姿醜怪になっている23歳の自分をまずうたい、子規を佳人と呼んで戯れた漱石の「筆まかせ」の漢詩)
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私は此講義に於いては、吾々日本人が西洋文学を解釈するに当り、如何なる経路(プロセス)に拠り、如何なる根拠(グラウンド)より進むが宜しいか、かくして吾々日本人は如何なる程度まで西洋文学を理解することが出来、如何なる程度がその理解の範囲外であるかを、一個の夏目とか云ふ者を西洋文学に付いて普通の習得ある日本人の代表者と決めて、例を英国の文学中に取り、吟味して見たいと思ふのである。
(これは間もなく「『文学論』の序」で述べる思いである)
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◆(追記)漱石晩年の漢詩
眞蹤寂寞沓難尋 真蹤(しんしょう)寂寞として尋ね難し
欲抱虚懐歩古今 虚懐(きょかい)を抱いて古今を歩まんと欲す
碧水碧山何有我 碧水(へきすい)碧山(へきざん)何ぞ我有らん
蓋天蓋地是無心 蓋天(がいてん)蓋地(がいち)是れ無心
依稀暮色月離草 依稀(いき)たる暮色(ぼしょく)月草(つきくさ)を離れ
錯落秋聲風在林 錯落(さくらく)たる秋声(しゅうせい)風(かぜ)林に在り
眼耳雙忘身亦失 眼耳(がんじ)双(ふた)つながら我れ身も亦失す
空中獨唱白雲吟 空中に独り唱(とな)う白雲(はくうん)の吟(ぎん)
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