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2012年2月10日 (金)

≪漢詩鑑賞≫岐陽(きよう) 元好問

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元好問(1190~1257)

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◆時代背景

元好問(げんこうもん)は若くして詩名高く元才子(げんさいし)と称された。31歳で進士に及第し、37歳から42歳に知事を歴任した。

家は金王朝に仕える士大夫(しだいふ)であった。

金王朝は、1214年蒙古に攻められ燕京(今の北京)から汴京(開封)に遷都した。この時、蒙古は山西にも侵入し、多数の人が殺され、兄の元好古(げんこうこ)もこの時に死んだ。

元好問は母とともに河南に戦禍を避けている。45歳の時に、汴京は落され、城内の病弊や略奪の惨状を目にした。

蒙古は抵抗した城市(まち)に対しては住民を皆殺しにしたといわれる。詩中の「空城」の語は、それを思わせる。そして神話中の無法者「蚩尤(しゆう)」は蒙古軍を指すと考えられる。

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◆詩をもって史を存する

元好問は、蒙古の耶律楚材(やりつそざい)に手紙を出し金の文人の保護を求めている。

金滅亡の後、彼の文名は高かったが元には仕えず、努めて金の事跡を記録し『野史(やし)』と名付けた。

また金代の詩文を集め『中州集』とした。これは、詩でもって史を存するという意図があった。

元好問は詩人でもあり、また史家でもあったのである。

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岐陽(きよう) 元好問 <七言律詩>

百二關河草不横  百二関河(かんか)草横わらず

十年戎馬暗秦京  十年戎馬(じゅうば)秦京暗

岐陽西望無來信  岐陽西望するも来信(らいしん)なく

隴水東流聞哭聲  隴水(ろうすい)東流して哭声

野蔓有情縈戦骨  野(つる)情有りて戦骨(まと)

殘陽何意照空城  残陽(ざんよう)空城らす

從誰細向蒼蒼問  誰いてかに蒼蒼かいわん

爭遺蚩尤作五兵  争(いか)でか蚩尤をして五兵らしめしやと

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※岐陽  陝西省鳳翔。隋の時、岐陽宮があった。

百二と言われるほど守りの固い秦の地も、今や草もはびこらず、十年の戦乱(戎馬)に秦の都(秦京)は暗く沈む。

西方はるか岐陽を望み見るも、何の連絡も来たらず、隴の川は東に流れ、人々の慟哭となって聞こえる。

野の蔓草は感情があるのか、戦場の白骨を抱いてからまり、夕陽(残陽)は、どうゆうつもりか空っぽの街市を照らす。

いったい誰にたよって、事細かく天(蒼蒼)に向かって問うたらよいのか、どうして(争でか)あの蚩尤などに五種の兵器(五兵)を作らせたのかと。

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蚩尤(しゆう)

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