« 恩師の死を悼む | トップページ | 中庸の政治が理想だが・・・ »

2012年1月27日 (金)

恩師の死を悼む(2)

喜働(きどう)から、遊働(ゆうどう)へ

「人はただ生きているだけでは、何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。働いている時が、ほんとうに生きている時である。何もせずに、ぼんやり過ごした一日は、死んだ一日である。」(『万人幸福の栞』72p)

Sannko11

◆洞下実師は、偉大な倫理の“実践者”であった

サンコーテクノ㈱社長の洞下英人氏は、父親である洞下実会長を「ほとんど家には居なかった」「無類の働き者」と言っていた。

確かに、洞下実師は会社経営者として、常に、働くことが楽しい様子だった。

明朗、愛和、喜働は、倫理実践の「境地」を示す。

喜んで働くことを『喜働』(きどう)と呼んでいる。

ところが、洞下実師の「境地」は、『喜働』を超えていた。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆“実践者”ならではの境地

洞下実師は、講話(平成20年1月8日、流山市倫理法人会MS)で、喜んで働く『喜働』を超えた『遊働』(ゆうどう)について、話をしておられた。

「遊ぶ」ことと「働く」ことが、一致してしているのである。

遊んでいるかと思えば働いている。働いているかと思えば遊んでいる。

心から楽しそうに、あの笑顔で「働くことの楽しさ」「心のおきどころ」を語ってくれた事を思い出す。

洞下実師の「境地」では、遊ぶことと、働くことの境が無いのである。倫理の実践とは楽しいことなのである。

正に、偉大な倫理の“実践者”ならではの「境地」であったようだ。

  <合掌>

==========================

|

« 恩師の死を悼む | トップページ | 中庸の政治が理想だが・・・ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564386/53834268

この記事へのトラックバック一覧です: 恩師の死を悼む(2):

« 恩師の死を悼む | トップページ | 中庸の政治が理想だが・・・ »