« 一川防衛大臣の“更迭”はまだか? | トップページ | 「極めて傷ついている」(仲井真知事)という沖縄県民の感情とは? »

2011年12月 1日 (木)

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也(おくのほそ道)

67_003

◆おはようございます

早いもので、今日から12月(師走)に入った。

日頃、散歩(徘徊?)している千葉公園のイチョウの木もすっかり色づいた。季節の変化を感じさせる。

おりふしの移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ(『徒然草』)

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆年寄りは興奮すべし

千葉市中央図書館で、『芭蕉のことばに学ぶ俳句のつくり方』(石寒太著)という本を読んだ。

芭蕉の不断の“自己否定”と、“自己変革”の生きざまに興奮した。

俳句をつくることは、俳諧(=徘徊)だから良い運動(健康増進)にもなるし、一期一会の心構えはボケ防止に役立つ。

“老後の生き方”としては最高かもしれない。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆政治が、詰まらなくなっている

昨日は、党首討論(野田民主党・谷垣自民党・山口公明党)だったが、図書館に居た。

私は、図書館では(ジャンルで言えば)文学6:政治4の割合で読んでいる。

経済書は詰まらないのでほとんど読まない。文学と政治に“興奮”を覚える。

しかし、最近の政治(主に国政)にはあまり“興奮”しない。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆「義憤」が失っている

最近の政治は、損か得かの「損得勘定(経済)」ばかりで、“生きるか死ぬか”の「(国の)生き方」の議論が足りない。

党首討論での、野田佳彦総理・谷垣禎一総裁の姿を想像すると、温和なお人柄は伝わるが(国家存亡の岐路にあるという)危機感が感じられない。

だから、党首討論は観なかった。(今朝、ダイジェストで観たが予想通りだった)

大阪W選挙で、橋下徹の「応援」に行った理由は「義憤」であると、石原慎太郎東京都知事は説明した。

政治が、詰まらなくなった理由の一つが、政治家に「義憤」が失っていることではないのか。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

市井の人間にとって、老後の“贅沢”な過ごし方としては、”ブログ”を書くことと加えて、“俳句”をつくるのが最適であると思ったりした。

芭蕉のように、すべてを捨てて「無一物」を求めて旅に出たくなった。

(こだま)して山ほととぎすほしいまま(杉田久女)

457607170x

=====================

|

« 一川防衛大臣の“更迭”はまだか? | トップページ | 「極めて傷ついている」(仲井真知事)という沖縄県民の感情とは? »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564386/53376818

この記事へのトラックバック一覧です: 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也(おくのほそ道):

« 一川防衛大臣の“更迭”はまだか? | トップページ | 「極めて傷ついている」(仲井真知事)という沖縄県民の感情とは? »