« 「大阪維新の会」がW勝利 | トップページ | 一川防衛大臣の“更迭”はまだか? »

2011年11月29日 (火)

≪漢詩鑑賞≫羌村(きょうそん) 杜甫

114284_200708171344491

杜甫46歳の作。賊軍の手から逃れた杜甫は、ひまを賜って羌村(陝西省)の家族のもとに帰る。詩は、その時の劇的な再会の様子を描写している。冒頭の「崢嶸たる赤雲の西」は自身の身の上や唐朝の命運への不吉な予感を感じさせ、最後の「相対すれば夢寐のごとし」は万感の思いを伝えている。まさに詩聖・杜甫の詩の世界が広がるようだ。

(漢詩はいいですネエ)

20090514_165835_299

======================

羌村(きょうそん) 杜甫

崢嶸赤雲西  崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西

日脚下平地  日脚(にっきゃく)平地(へいち)に下る

柴門鳥雀噪  柴門(さいもん)鳥雀(ちょうじゃく)(さわ)

歸客千里至  帰客(きかく)千里より至る

高くそびえている(崢嶸たる)夕焼け雲(赤雲)の西の方から日あし(日脚)が平地に射し込んでくる。我が家の粗末な柴の門(柴門)では雀などの鳥がさわぎ、旅に出ていた私は千里もの遠方から帰ってきたのだ。

妻孥怪我在  妻孥(さいど)は我の在るを怪しみ

驚定還拭涙  驚(おどろ)き定りて還(ま)た涙を拭う

世亂遭飄蕩  世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)

生還偶然遂  生還(せいかん)偶然に遂(と)

妻や子(妻孥)は、私の無事な姿を見て、不思議に思い、信じられない驚きが落ち着くと、嬉し涙をぬぐうのであった。世の中が乱れたために、漂泊する破目におちいり、今、生きて家族のもとへ帰ってこられたことは、まったくの偶然のようなものだ。

鄰人滿牆頭  隣人牆頭(しょうとう)に満ち

感歎亦歔欷  感嘆して亦(また)歔欷(きょき)

夜闌更秉燭  夜闌(たけなわ)にして更に燭を秉(と)

相對如夢寐  相対すれば夢寐(むび)の如し

いつの間にか隣近所の人々が土塀の付近(牆頭)に集まってきて、我が家の奇跡の再会に感嘆してすすり泣き(歔欷)をしている。夜が更けて(夜闌)からまたさらに、ろうそくに火をつける(秉燭)、妻と向かい合ってみると、今ここにいるのは、まるで夢を見ているかのようである。

======================

|

« 「大阪維新の会」がW勝利 | トップページ | 一川防衛大臣の“更迭”はまだか? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564386/53361512

この記事へのトラックバック一覧です: ≪漢詩鑑賞≫羌村(きょうそん) 杜甫:

« 「大阪維新の会」がW勝利 | トップページ | 一川防衛大臣の“更迭”はまだか? »