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2011年11月14日 (月)

≪漢詩鑑賞≫易水送別 駱賓王(らくひんのう)

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◆初唐の漢詩・・・易水送別(駱賓王)

この詩は、易水(河北省を源とする川)の辺で人を送った時のものである。約900年前の荊軻(けいか)の故事を思い出しての詩である。

丹(戦国時代の燕えんの太子)の食客だった荊軻は、(丹の頼みで)秦王を暗殺するころになった。(易水で)荊軻を見送る面々は、皆、白装束であったという。

暗殺に成功しても失敗しても生きては戻れないという思いからである。荊軻は、楽器のメロディーに和して、次のように歌った。

「風簫簫しょうしょうとして易水寒く、壮士一たび去って復た還らず」「士、皆目を瞋いからし、髪尽く上りて冠を指す」

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此地別燕丹  此の地燕丹(えんたん)に別る

壮士髪衛冠  壮士(そうし)(はつ)冠を衛(つ)

昔時人已没  昔時(せきじ)人已に没し

今日水猶寒  今日(こんにち)水猶お寒し

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荊軻は、この易水の辺で燕の太子丹と別れた。行く者も送る者も慷慨(激しく怒る様)して、怒髪は冠をついたという。

その時の人々は、もういない。しかし、今日の別れにも、易水の水だけは変わる事なく寒々と流れている。

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◆人との別れ、覚悟の送別

「人を送る」という事は極めて厳粛なものである。日本でも、友を戦場に見送る歌として作曲され愛唱された『惜別の歌』がある。

『惜別の歌』の歌は、島崎藤村の詩集『若菜集』の高殿(たかどの)が“原詩”であり、元々は嫁ぐ姉と妹の送別の歌である。

人との別れ、送別ということは「もう後には引けない」という覚悟があったのである。それ故、心が高ぶるのである。

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惜別の歌

とほきわかれにたえかねて

  このたかどのにのぼるかな

かなしむなかれわがともよ(※原詩では、「わがあねよ」とある)

  たびのころもをととのえよ

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わかれといへばむかしより

  このひとのよのつねなるを

ながるるみづをながむれば

  ゆめはづかしきなみだかな

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きみがさやけきめのいろも

  きみくれなゐのくちびるも

きみがみどりのくろかみも

  またいつかみんこのわかれ

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なれがやさしきなぐさめも

  なれがたのしきうたごゑも

なれがこころのことのねも

  またいつきかんこのわかれ

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