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2011年10月10日 (月)

兄・大窪敏夫の三回忌

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◆親のような存在だった長兄

金曜日(10月7日)から昨日(10月9日)まで北海道へ行って来た。

兄・大窪敏夫の3回忌の法要に出席するためと、兄弟や親戚に会う為である。

法要の後は、登別温泉に行って、酒を飲みながら昔話に花を咲かせた。

私は、6人兄弟の末っ子である。もともと、父守一、母つねの子ども“8人兄弟”だったが2人の兄は戦前、幼くして亡くなったので、“生き残った”のは6人兄弟ということになる。

その6人兄弟の長兄が敏夫で、末っ子の私にとっては親代わりの存在であった。

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◆貧しかったが、温かい家庭だった

兄・大窪敏夫は、北大卒のキャリア官僚で北海道開発庁(現在の国土交通省)開発局長を最後に退官した。

陛下から瑞宝章を戴いた“自慢の兄”で偉大な存在だった。

次男・大窪昭一が元警察官で、三男・大窪孝司が元教員という“堅い職業”の公務員の兄たちに比して、私の人生は、履歴書を書く時は1ページでは済まない・・・自由な“フ―テンの寅さん”だった。

姉たちは、静岡にいる長女の竹田節子は来られなかったが、さいたま市の二女・高野幸子は来てくれた。

私を除けば、みんな70代・80代である。

あっちこっち、痛いところばかりのGGとBBで、(耳が遠いせいか)声だけは大きい。

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◆家族力

私は、北海道の大学を卒業していらい故郷・北海道を離れていて、現在まで千葉市に住んでいる。

親に育てられたと言うよりは、兄弟の中で育てられたという感が強い。

子どもは、社会で育てるのではなく、家族で育てるものだと、私の経験から強く思う。

病床だった母親の看護をしていたのは、札幌に居た義姉たちである。

十数年前「母㐂危篤」の知らせで、札幌の病院に入院中の母を訪ねた時、亡くなる3日前に残した言葉が、「由郎、帰りの汽車賃はあるのか?」という言葉だった。

今回の兄の3回忌法要では、私の母・つねの“面影”をもつ93歳になる菅原みつ叔母様も来てくれた。

懐かしい対面である。

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◆他力本願

大窪家は、浄土真宗である。

即ち、“他力本願”の宗教観である。

凡人の私は、子どもの頃から阿弥陀様が本尊であって、「どんな人間でも、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるだけで救われる」「幸せに生きられる」というきわめてナマクラな宗教観が肌にあうようだ。

そろそろ死期が近づく年齢になると、努力しないでも極楽往生したいと思うようになる。

そして、PPK(ピンピン・コロリ)を願う。

宗教の本質は、この「人間の力や努力ではどうしようもないもの」を認めること、即ち、他力本願にあると正直思うようになった。

改めて兄・大窪敏夫を中心にした大窪家の家族の歴史を振り返ってみた。

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