《漢詩鑑賞》零丁洋を過ぐ(文天祥) 七言律詩
◆状元宰相と呼ばれた
作者の文天祥(ぶんてんしょう)は、南宋末期を代表する官僚だった。彼は、20歳の時に状元(主席)で進士に及第し、後に宰相になったので「状元宰相」と呼ばれた。
1275年、元の軍が侵入した時、彼は“勤王軍募”の詔に応じて馳せ参じ、右丞相(宰相)に任ぜられた。
講話の為に元の丞相・伯顔(パキン)と会見したが、口論して捕らえられた。その直後、宋は降伏した。
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◆文天祥は忠誠の士
彼は、護送される途中脱走し、宋の回復を計ったが、再び元軍に捕らえられ、大都(北京)に護送、土牢に幽閉された。
元の世祖は彼の才を惜しみ、帰順させようとしたが、彼は応ぜず獄中3年の後、刑死した。
宋朝随一の忠誠の士として、後世に尊敬されているのである。
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過零丁洋(零丁洋を過ぐ) 文天祥
この詩は、“投降の要請”に応じなかった文天祥が、零丁洋(広東省珠江の河口の海)、皇恐灘(江西省にある十八難)という地名にちなみ、自己の心情に結び付けてつくったもので、投降を勧めた敵将・張弘範も笑って許したという。
辛苦遭逢起一經 辛苦遭逢(しんくそうほう)一経より起る
干戈落落四周星 干戈(かんか)落落たり四周星
救国の苦心惨憺(辛苦遭逢)は、そもそも経書(けいしょ)を読んで進士に及第してからの事。干(たて)と戈(ほこ)とを取って戦闘するもままならぬ4年間。
山河破碎風抛挐 山河破碎して風挐(じょ)を抛(なげう)ち
身世飄搖雨打萍 身世飄搖(ひょうよう)雨萍(へい)を打つ
山河は荒れはて、柳挐(りゅうじょ)が風に舞うよう。我が身はさすらい(=飄搖)、雨が浮き草(=萍)を打つよう。
皇恐灘頭説皇恐 皇恐灘(こうきょうたん)皇恐を説き
零丁洋裏歎零丁 零丁洋(れいていよう)裏零丁を嘆ず
さきに皇恐灘のほとりでは、国家滅亡の罪を恐れて説き、いまは零丁洋のうえで、身の零落(れいらく=孤独で落ちぶれる<零丁>)を嘆くばかり。
人生自古誰無死 人生古(いにしえ)より誰か死無からん
留取丹心照汗靑 丹心(たんしん)を留取して汗青を照さん
人生は昔よりだれか死なないものなどあろうか。どうせ死ぬこの身なら、この忠誠の赤心(=丹心)を留め残し(=留取)、史上に輝かしたい(=汗青)ものである。
※汗青(かんせい) 史書を指す。昔、竹簡を火であぶり汗を出し、その上に文字を書いたのでいう。
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