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2011年5月 5日 (木)

老子の世界

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◆老子『道徳経』第67章より

世間の人は、私が決まったものを出さず、何ものもあらわしていないという。

私が何ものもあらわしていないのは、決まったものを出していないからである。

もし何かをあらわしていたら、私はもはや決まったものをあらわさないだろう。

私が価値あるものとしてもっている三つの宝がある。

第一は慈しみであり、

第二は倹約であり、

第三は天下の人々の先頭に立つことを望まないことである。

慈しみがあるから勇気を出すことができ、

倹約するから広く施しをすることがができ、

天下の人の先頭に立たないから、自分の能力の充分な成長をとげることができる。

ところが、現在、人々は勇敢であろうとして、慈しみをもたない。

広く施そうとするが、倹約はしない。

自分の能力の充分な成長を望んで、天下の先頭に立つことにあこがれる。

しかし、実際に死があるだけだ。

戦争にあっても、慈しみによって勝利を得る。

防衛にあっても、うまく防ぐことができる。

この種の人は天によって救われ、慈しみによって護られる。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

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