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2011年4月 3日 (日)

五十にして四十九の非を知る [淮南子・原動訓より]

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◆私の好きな言葉である

・・・五十にして四十九の非を知る・・・<出典:淮南子(えなんじ)-原動訓(げんどうくん)>

孔子は論語で、「五十にして天命を知る」として、五十歳のころ始めて、天から与えられた使命を自覚した。

孔子と同時代に生きた衛の重臣だった蘧洦玉(きょ・はくぎょく)には、五十になった時に四十九の非を悟り(五十にして四十九の非を知り)、六十になったら六十なりに変化した(行年六十にして六十化す)という言葉がある。

齢(よわい)六十三の私が、人生の指針としたい言葉でもある。

☆・・・・・・☆・・・・・・☆・・・・・・☆

◆淮南子ー原道訓より

万物生成の理は、動かさざるべき根本を知り、流れに応ずべき所有るも妄りにせざるを知る。

故に無窮なるを窮め、無極なるを極め、事物を明らかにして惑わず、その化育は留まらず、これ天下の大道である。

故に道を得る物は志弱くして事強く、心は虚にして全てを容る。

いわゆる志弱くして事強しとは、静にして和するのである。

あえて競うことなく、強いて為すことなく、括淡虚無なりて妄りに動きて時を失わず、万物生成の理に順いて共に往き、先んじて妄りに発することなく、感じて遂に通ずるに至る。

この故に貴きは必ず賎を以て号とし、高きは必ず下を以て基と為す。

・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・

凡そ人の寿命たるや七十歳、人は日々に言行動静ありて、やがてその非を悔いるも、死に至りし頃なるが関の山である。

蘧洦玉は年五十にして四十九の非を知ると言った。

なぜかといえば、先んずる者は知を為し難く、後れし者は修め易きが故である。

先んずる者が高きに在らば後れし者はそこを目指せば善いし、先んずる者が低きを越えて往けば後れし者も又これを越えて往けば善い。

先んずる者が陥らば後れし者はその所以に学べば善いし、先んずる者敗れてしまえば後れし者はそれを回避するように動けばよい。

このように考えてゆけば、先んずる者は後れし者の弓矢の的のようなものであり、先と後は刃と柄の如きものである。

刃は危険なるものなれども柄にはその思いは存しない。この所以は何であろうか。

それは先に難ありて後に安んずる所あるが故なのである。

・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・

日々流れて月もまた流れ、時は人を待たず、故に聖人は大なる宝玉を貴ばずして、わずかなる光陰を光陰を重んずる。

此れ時は得難くして失い易しなるが故である。

兎は時の大事を知りて履物が脱げるも取らず、冠が掛かろうとも顧みず、これは先なるを争うに非ずして、わずかな時をも惜しんだのである。

この故に聖人は静にして和し、柔弱を内に存し、道理に従ひて変遷に応じ、常に後なるを旨として先なるを慎むのである。

柔弱なるは静に居る所以であり、人は安んじて始めて定まるを知り、大を内に蔵し堅を磨きて時宜を待つ、是れ自然と己のままに導きて争う所以すら生じないのである。

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