« 今に生きる、過去はない、未来もない、今に生きよ! | トップページ | 頑張らない、あきらめない »

2010年11月12日 (金)

倫理(実践)と宗教(他力本願)について

「倫理と宗教」について、私の考えを少し述べる。

◆倫理と宗教は異なるのか?

○結論から言えば・・・、倫理も宗教も究極では同じある。

よくある説明であるが、倫理は実践を大切にし、宗教は他力本願であるという。実践を大切にするのは、倫理研究所だけではなく宗教団体や他の社会教育団体とて同じである。日々の実践は大切なのである。

倫理も宗教も、目に見えないモノを大切にする、すなわち人の幸福を追求するところでは一致している。

◆「他力本願」とは何か?

○倫理も宗教も、究極では「他力本願」である。

宗教は「他力本願」であるという言い方には「他力本願」に対する偏見がある。親鸞が説く「他力本願」は、『万人幸福の栞』(丸山敏雄著)と究極では同じである。

「自力本願」というのは、人間の思い上がりでしかない。正確には、「自他力本願」というべきであろう。

○「自力救済」は禁じられている。

民法上の「自力救済」は、禁じられている。つまり、個人の「正義」と社会的「正義」は同一ではない。

個人の「正義」は、度が過ぎると「独善」に変質するからだ。

◆共通項は何か?

○それは「祈り」である。「信ずる」ことである。

『万人幸福の栞』には、次の記述がある。

「祈り」は、神にすがって信念を確立するのであり、大宇宙の大信念と一致しようとするのである。「祈るときすでに成就したものと思え」とは、そのことである。悪人を善人にする唯一つの道は、信ずるにある。(106p)

宇宙の生命、統一の中心、万象の根源、これを神あるいは仏という。(114p)

○即ち、純粋倫理は、宗教を(決して)否定してはいないのである。

倫理と宗教の違いを、ことさら強調するのは何の意義も無い。現状では、夫々の組織・団体の社会的・法制度上の位置づけが異なるだけである。

☆何が大切か?

倫理も宗教も、教育において大切な“手段”である。例えば子供が、道路にゴミを捨てたとしよう。

倫理では、「人に迷惑がかかるからやめなさい」という。宗教では、(誰が見ていなくても)「神や仏が見ている」「バチが当たる」という。

つまり、宗教の本質は、畏敬(畏れ敬うこと)である。

つまり「倫理の領分」と「宗教の領分」はあるが、究極では同じなのである。(「他力本願」と言えば「他力本願」であるし、「実践が大切」と言えばその通りなのである。)

Cocolog_oekaki_2009_02_20_09_27

|

« 今に生きる、過去はない、未来もない、今に生きよ! | トップページ | 頑張らない、あきらめない »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564386/50008387

この記事へのトラックバック一覧です: 倫理(実践)と宗教(他力本願)について:

« 今に生きる、過去はない、未来もない、今に生きよ! | トップページ | 頑張らない、あきらめない »