2018年12月15日 (土)

≪漢詩鑑賞≫菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る(陶淵明の世界)

上記タイトルにある「菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る」は、陶淵明の漢詩『飲酒』からの出典であり、自然に溶け込んだ如何にもゆったりとした心持を表現している。
この詩は、陶淵明自身が、役人生活を辞し故郷の田園に隠居した時の作品であり、物事の深い所を悟ったかのような名作である。
『田園の居に帰る』(陶淵明41歳の作)では、性本愛邱山。誤落塵網中。(性本邱山を愛す。誤って塵網の中に落ち)と、間違って、役人生活(塵網の中)に入ったとあるように、役人を辞してから(役人生活の束縛からの解放)の名作が多い。
その「悟り」の内容については、説明不可能(此の中に真意有り、弁ぜんと欲すれば已に言を忘る)として、突き放している。
いかにも隠者詩人の面目躍如、というところである。
☆……☆……☆……☆
Insyu
☆……☆……☆……☆
(いおり)を結んで人境(じんきょう)に在り
而も車馬の喧(かまびす)しき無し
君に問う何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと
心遠ければ地自ら偏(へん)なり
菊を東籬(とうり)の下に采り
悠然として南山を見る
山気(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)
飛鳥(ひちょう)相与(とも)に還る
此の中に真意有り
弁ぜんと欲すれば已に言を忘る
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2018年12月13日 (木)

宗教法人・松緑神道大和山

思ひやる
情の露のなかりせば
おのが心も
枯れはつるべし
〈大和山神歌集1230番)
 ☆……☆……☆……☆
◆神歌集より
この無垢で道徳的な感じのする和歌は、大和山神歌集の中から私が選んだ歌である。
「大和山神様から私へのメッセージ(あるいは戒め)」と思って大切にしている。
解釈は、其々だと思うが、神歌集では次の様に記されている。
人のことを思いやる情けの心は、雨露のようなもので、雨露が草木を育てるように。自分自身の心をも育てるものである。
だから思いやりがなかったら、自ずと自分自身の心も枯れはてるだろう。
☆……☆……☆……☆
◆大和山(やまとやま)
 大和山とは、正式名称を松緑神道大和山と呼ぶ。
本部を青森県に置く宗教法人であり、新宗連に所属する教団である。
私の想像では、大和山という名称には深い意味があり、『此処(青森県)は、大和の国(天皇のお住まい土地)の内であり、日本国の土地」「我々は、皇室を敬愛する日本民族(大和民族)」という教祖様の気概が込められていると思う。
☆……☆……☆……☆
◆山田師との出会い
この大和山との関りは、大和山の主要役員である東京の山田軍太郎師との仕事上の出会いがキッカケで,既に30年になる。
(山田軍太郎氏は、石材業や霊園事業を経営している事業家であり、御年87歳になる。その事業欲は、晩年、松下政経塾を設立した故松下幸之助翁に似て、衰えない。)
☆……☆……☆……☆
◆禅問答?
時折、新座市にある社長室を尋ねては、仕事のこと以外でも大和山の事で話に花が咲く。
師は決して雄弁ではないが、その理屈を超えた師の『気概』『心構え』に触れ、有難いことに、私は伸び伸びとした薫陶を受けている。
話題の一つは、「大和山は、(自他力本願・三奉行など)素晴らしい教義をもつのに、何故布教が広まらないのか?」という「禅問答」である。
☆……☆……☆……☆
◆教団のガバナンス
宗教の布教とは、「頭で考えるタイプの私」にとってこうだ。
マーケッテイングの観点で見るならば、「その真理(教義の正しさ)の度合いと、布教(組織化)の度合いは、必ずしも、整合性が無い。
大和山の布教(組織化)が全国レベルで進化しない理由は何か?
それは、教団のガバナンスの問題であり、教団本部が地理的には「道の奥」の奥(青森県)にあることが考えられる。
本社が、東京などの大都会にあるのと、青森県の片田舎にあるのとでは、その「売り上げ」が桁違いである。
☆……☆……☆……☆
◆布教戦略の脆弱
本部の地理的制約は,さておいても、布教(組織化)戦略が脆弱というか、そもそも「営業努力」の観点が見られない。
一例をあげるならば、布教は片方通行で、教える人(布教者)は、その資格が限定されている。
今年の大和山百年祭(イベント)は、青森県の聖地で開催されたが、参加者は信徒とその家族だけに限定されていた。
これでは、大和山の教えは、「深化」することはあっても「進化」することはない。
☆……☆……☆……☆
◆百年祭
また、当日配布された『記念誌』も中味は、「式次第」以外は「企業広告」が占められていて、まるで町内自治会、PTAの『周年記念誌』のレベルであった。
誠にツマラナイもので、『記念誌』としては価値が無いものであった。
もうすこし、教団の役職者に、百年祭を成功させ、布教するという気概がほしいのと、記念誌編纂などは、外部の会社に依頼しても良かったのでは?と心の中で思った。
☆……☆……☆……☆
◆善き日本人の魂にフィット
教団の教義は、自他力本願、三奉行等々、幾分宗教には懐疑的な私でも、共鳴する部分が多い。
「大和山」とあるように、大和山教団は、善き日本人の魂に響く教えが多いのである。
そもそも、教祖様は故郷への思い入れがあったのだろう、青森県に在住しながら、東北・北海道を重点に布教した。
また、東京帝国大学で、宗教学を専攻したという初代教主様は、戦後、大和山の教義を整理し、松風塾高校の古典の授業で『教育勅語』を学ぶことなどを実践した偉大な教育者・宗教家である。
☆……☆……☆……☆
◆三代目教主様
現在は三代目の教主様が教団のトップである。
私の想像だが、教団幹部による「教祖・教主の神格化」が気になる中で、教主様は、英明で極めて人間的に素直な方である。
それ故、余計、悩みが尽きないのではないか?
☆……☆……☆……☆
◆政治との距離を置け!
近年、政治との関係で云えば、教団の「自民党離れ」が多い。
これは、公明党・創価学会と同盟蜜月に在り自民党への反発が主要な原因であるが、政治との距離は置くべきである。
宗教とは、そのような政治の離合集散を超えた超然たるところに宗教の存在意義があると思う。
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2018年12月12日 (水)

老後の暮らし方≪続≫

大窪家のお経
三月ほど前に、衝動的に、『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)という浄土真宗のお経本を買った。
このお経は、北海道の義母が、毎朝仏壇の前で唱えるものだが、大窪家も同じ宗派なので親近感を感じていた。
☆……☆……☆……☆
◆お墓参りで
それで、札幌の里塚霊園にある大窪家の墓参りの際に、自慢げに、お経を読んで、墓に眠る父母兄たちを、驚かせてやろうという魂胆で買った次第である。
だが、だが正直言うと、買ってから、一通り現代語訳と解説を読んでからは、書棚に積んだままだ。
☆……☆……☆……☆
学問的興味
つまり、私にとってお経は、「学問的興味」でしかなく、義母のように生活に溶け込んではいない。
親鸞上人の他力本願の真髄から言えば、こんな私でも念仏を唱えれば救われるというのだから、ズボラな私にとっては、読みたいときに読むだけのお経本であり、便利な宗教に感じる。
☆……☆……☆……☆
◆我を忘れる事はできない
私にとって、お経を、意味も解読することなく、暗唱するのは嫌なのだ。
つまり、頭の中を空っぽにして、我を忘れる境地になる事が、自己主張の強い私にとって嫌なだけだ。
歴史を振り返れば、民族の統治方法は、まず最初に宗教の名によって行われている。
☆……☆……☆……☆
◆隠れキリシタン
長崎の隠れキリシタンを迫害したのは江戸幕府であったが、それは、国防上止むを得ない事である。
民衆を、宗教の下に組織化した後にくるのは、当時の列強ポルトガル王国による、日本の植民地化である。
宗教の布教は、植民地化の前線部隊である。
☆……☆……☆……☆
◆頭で考えるタイプ
宗教の政治的統治力は、絶大で、「位の高い神仏」にはひれ伏すしかない。
人間の考える科学でも、表現する文学でも、その先に進めない壁にぶつかる。
しかし、宗教は無限の世界観に導き、陶酔感を醸し出す。
宗教家が、私に対して、「(あなたは)頭で理解するタイプだ」という事を良く言うが、これは、私が最も嫌いな言葉だ。
☆……☆……☆……☆
死期の為に
「頭で考えないで、魂で感じなさい!」という事かもしれないが、凡人の私にとっては、霊感とか直観力は弱いので、「天の啓示」を聞いたこともなく、まずは頭で考えるしか悟りへの一歩は無い。
私にとって、老後の暮らしとは何か?
それは、確実に来る死期のために、考えるしか方法は無いのである。
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2018年12月11日 (火)

老後の暮らし方

私は昭和22年生まれだから、まだ私の寿命は終わりではないと思っている。
昭和22年と言えば、戦後ベビーブームのピークで,プレハブ教室には60人くらい児童生徒が犇めいていてる。
一人くらい教室から出てっても先生は気付かないかも(?)、そんな年代である。
☆……☆……☆……☆
孫から、GGと呼ばれても、違和感を感じないが、近頃の寒波と、有名人の死亡ニュースによって、誰にでも寿命があることを自覚するようになる。
老後の暮らし方についても、真面目に考える時間が多くなった近況である。
「人生万事塞翁が馬」というが、私の人生にも、其れなりに、登坂、下り坂、まさかがあり、感傷を交えて言うならば波瀾万丈の人生だった。
☆……☆……☆……☆
成功と失敗を比較したら遥かに失敗の方が多く、プロ野球選手の生涯打率に例えるならば、0.150くらいで既に戦力外通告がされている身であろう。
孫以外に楽しみはと言えば、このブログを書く事かな?
そのために、千葉の街を徘徊し、ミスタードーナツでコーヒーを飲みながらの読書である。
☆……☆……☆……☆
孫との時間は後でドッと安堵感と疲れが出てくるが、読書の後は知的興奮が得られ、「鉄人28号」にでもなったように気持ちが充実する。
唯一のライフワークとして取り組んでいる「拉致被害者を救う会」の国民運動だけは、目的達成まで続けようと思っている。
(今週の金曜日に、参議院議員会館で、国際セミナー「激動する朝鮮半島情勢の下で拉致被害者救出を考える」が、家族会・救う会・拉致議連主催で開催されるので参加する予定だ。)
☆……☆……☆……☆
年に一度ほどの行事である札幌西高校3年5組クラス会(別名・三人会)で集う田辺昭次君、宮沢雅文君との飲み会も楽しみの一つだ。

我々の父母の世代は、「明治は遠くなりにけり」と言っていたが、いつか新しい元号になった時代に、「昭和は遠くなりにけり」というかも知れない。

扨て、これからの老後を取り巻く環境は、どのようになるだろう?と一抹の不安を覚えることがある。

高齢化社会が本格的に到来し、街は老人と外国人とで溢れる事にもなるかも知れない。
☆……☆……☆……☆
これは、国家全体の問題であって、一部野党議員の唱える「老人福祉」「外国人福祉」という美辞麗句では解決できない。
福祉とは、老若男女問わず「万人のため」だからだ。
政治家には、「老人と外国人を甘やかすな」と言いたい。
老人といえども、私は、「日本国民を構成するである一員」である。
老後の暮らし方について未だ結論は出ていないが、願わくば、人の迷惑にならないように、世の為、人の為に働きたい
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2018年12月10日 (月)

メンデルスゾーン『バイオリン協奏曲』

昨日は、皇太子妃雅子様の誕生日、おめでとうございます。
皇太子殿下は、母校学習院の交響楽団演奏会に参加され、誕生日を祝った。
年末に相応しい「催し物」というか、あまりにも人間的な演奏会であった。
☆……☆……☆……☆
演奏曲は、メンデルスゾーン『バイオリン協奏曲』だった。
それに皇太子殿下が、ビオラ奏者として参加していた。
私は、この深い意味合いに、純粋な気持ちになり、感動した。
☆……☆……☆……☆
メンデスゾーンの『バイオリン協奏曲』は、その珠玉の旋律によって知られる。
あの旋律は、文章では表現できなく、それは音楽の領域である。
しかし、恐れなく言うならば、芸術であると言える。
☆……☆……☆……☆
私は、中学1年生の時(60年前)に、この曲と出会った。
レコード盤に針を恐る恐る乗せて、聴いたメンデルスゾーン『バイオリン協奏曲』だった。
そのヨーロッパ風の優雅な神の旋律に魅入ってしまったのである。
☆……☆……☆……☆
ベートーベンの『運命』も、中学生の私には衝撃的であったし、ドボルザークの『新世界」も物語風で凄い。
だが、美あるいは芸術という点では遥かにメンデルスゾーン『バイオリン協奏曲』の方が上である。と私には感じた。
昨日の演奏会は、皇室との(私の)距離を縮めたと自惚れてしまう。
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2018年12月 7日 (金)

牛歩・牛タン戦術で、野党は(自己陶酔型)快楽を得ている

会期末において、「外国人労働者受け入れ」の法案を巡って、与野党はまたもや茶番劇を演じている。
それが、「触った、触らない」という子供の喧嘩。
そして、恒例の牛歩戦術と牛タン戦術である。
法案の中味ではない。
☆……☆……☆……☆
採決をすれば、与党多数に負けてしまう。
それ故、数で劣勢の野党が採る戦術が、牛歩・牛タン戦術である。
しかし、サボタージュ(出席拒否)戦術よりは、国会に出てくるだけ、まだ良いと言えるのか?(馬鹿馬鹿しい・・・)
☆……☆……☆……☆
ニュースでは、国会の参議院本会議場で、採決を遅らせるため、ゆっくり、ゆっくり牛歩のように歩みを遅らせていた。
特に、山本太郎議員が演壇前で徘徊し牛歩する姿を見た。
侮蔑を超えて憐れである。
☆……☆……☆……☆
さらに、牛歩に加えて、牛タン戦術という、採決を遅らせるために、制限時間を超えて演説をも行っていた。
牛タンとは、座布団1枚まではいかないが、面白いネーミングである。
☆……☆……☆……☆
牛タン戦術をとる有田芳生議員や、森ゆうこ議員らは、「外国人の人権を守れ!」と壇上で絶叫し、ていた。
牛タン戦術の快楽に酔いしれているようだ。
私は、ぼんやりそんなニュース映像を観ていた。
もうすっかり、そんな光景に慣れてしまったようだ。
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2018年12月 6日 (木)

小説山椒太夫(森鴎外)と日本人拉致被害者

安寿恋しや、
ほうやれほ。
厨子王恋しや、
ほうやれほ。
ー小説山椒太夫より抜粋ー
☆……☆……☆……☆
◆拉致
この小説を読むたびに、私は思い浮かべる。
それは、北朝鮮によって拉致された日本人被害者と、その救出を待ちわびる家族の姿である。
とりわけ、家族との再会を待ちわびるめぐみさんと、引き離された横田家の苦しみを思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆絶望を口にしない
そんな時、適当な励ましの言葉が見つからない。
横田さんは、長い間、懸命の救出活動を続けてきた。
未だに、救出できない責任は、家族にではなく、日本政府と我々日本国民にあるが、「絶望」という言葉を口にしてはならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆母に出会う瞬間
あの小説『山椒太夫』は、フィクションだ。
だが、北朝鮮による日本人拉致は、ノンフィクションであり、現在進行形の犯罪と同じである。
小説の中では、元服して正道と名告った厨子王が、苦難の末、母に出会う。その瞬間、小説では、文豪森鴎外による次のような描写がある。
☆……☆……☆……☆
・・・正道はうっとりとなて、此詞に聞き惚れた。そのうち臓腑が煮え返るようになって、獣めいた叫が口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。忽ち正道は縛られた縄が解けたように垣の内へ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏した。(中略)
・・・其時干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目を開いた。「厨子王」という叫が女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。
ー小説山椒太夫より抜粋ー
☆……☆……☆……☆
拉致は解決されていない
小説では、母と子が、遂に再会を果たしている。
だが、現実の「拉致問題」では、横田めぐみさんをはじめ多くの拉致被害者は、肉親との再会を果たしていない。
40年以上も、北朝鮮によって翻弄され続けている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宗教心が支えた
小説で、厨子王は、その宗教心によって、過酷な捜索を続けることが出来た。
めぐみさんの母親が、続けることが出来るのは、その宗教心であると私は思う。
宗教心は、本来その人の気持ちを強くするからだと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆拉致被害者の救出のため
現実の拉致問題では、残念ながら帰国を果たしていないにもかかわらず、我々日本人が「拉致問題」に余りにも無関心である。
寧ろ、北朝鮮の策略に乗っかってしまっている「言論人」すらいる事は、怒りすら覚える。
拉致被害者の救出のため、日本政府の方針に沿って国民は結束しなければならない。
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2018年12月 5日 (水)

一言で云えば、韓国は法治国家じゃない

今回の徴用工(正しくは朝鮮人戦時労働者)問題での韓国最高裁判決は、日韓請求権協定を根本から否定している。
これは、「国際法上あり得ない」「日韓関係を根本から覆す」「到底容認できない」(日本政府)ことである。
☆……☆……☆……☆
韓国に対する「このような日本政府の立場」は、(一部を除いて)日本国民が、断固共感するところである。
「一部」とは、誰でも容易に想像できる人々である。
「日本憎し」という精神の病を抱える韓国人の「復讐心」を満足させるものが、韓国最高裁の判決であり、北朝鮮と結託して日本に立ち向かう文政権である。
☆……☆……☆……☆
今こそ、国際社会を舞台にして、「韓国を論破」すべき時である。
だが、日本のマスコミは正論とは程遠い、遠慮がちに「もう、終わった話」「困ったものだ」というため息が聞こえる。
☆……☆……☆……☆
これは、「韓国の気持ちは分かるが」「既に終った(解決した)話だから蒸返さないで欲しい」という「困惑」である。
「困惑」とは、論争回避を意味する。
流行語に、「ぼーっと生きてんじゃないよ」というのがあった、自戒を込めて言うならば、我々日本人は、隣国に対してあまりにも「ぼーっと生きて」きたようだ。
☆……☆……☆……☆
キチンと論理構成をしなければ、韓国人の「攻勢」が続くし、第三者が見れば、加害者が日本で、被害者が韓国という風にも映るのである。
韓国の最高裁判決では、西岡力氏(モラロジー研究所教授)によれば、次のような論理構成が為されているのである。
☆……☆……☆……☆
「朝鮮半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に対する慰謝料」
即ち、「その論理の土台には日本の統治が当初から不法だったという奇怪な観念」(西岡力氏)がある。
☆……☆……☆……☆
当時朝鮮は、大日本帝国領であり、朝鮮人は日本国籍者だったから、日本国が戦争遂行のために軍需産業で賃労働させること自体は合法的である。
待遇も、当時としては悪くは無かったため、「反人道的な不法行為(奴隷労働)では決してない。
西岡氏は、日本の反論が「1965年の協定」など「戦後処理に限定されるならば」「失敗する危険性」を警鐘している。
☆……☆……☆……☆
歴史の事実は、櫻井よし子氏(国家基本問題研究所理事長)が言うように、「徴用工」ではなく、「朝鮮人戦時労働者」(wartime korean workers)というものである。
歴史を歪曲する活動家は、シロをクロと言う「嘘」を平気でいうし、そのような人間は日本にも存在するのである。
☆……☆……☆……☆
彼らは、「(徴用工、慰安婦などの)被害者に真摯に謝罪し、補償せよ」とウソを合唱する。
彼らのウソに対しては「ウソである!」とハッキリ言うべきだ。
その上で、「文句があるなら」日韓基本条約で国家予算に匹敵する巨額の経済援助の形で実質賠償を勝ち取りながら個人的補償をしなかった韓国政府にこそ言うべきである
☆……☆……☆……☆
最後に,「朝鮮人労働者が日本の軍需産業で働いていたのは70年以上前の事である。法治国家ならば、当然時効がある。
日本の民法は、「戦争末期に遡って適用される」ことはないし、韓国民法ですら武田恒康氏のレポートによれば、「不法行為に基づく)損害賠償は3年で時効」という事のようである。
一言で云うならば、韓国は法治国家じゃない。
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2018年12月 4日 (火)

世界最大の共産党独裁国家・中国

昨日は、パリの騒乱デモについて書いた。
その報道自体が何者かを忖度し、言葉足らずで表層的で、限定的なものばかりで、私には妙に神経質な報道に見える。
フランスと言えば、あの自動車のルノーで有名だが、日産・ルノー・三菱・・・三者の会長である。
☆……☆……☆……☆
カルロス・ゴーン氏の逮捕という我々には突然に見える「出来事」を契機として、グローバルな世界で、日仏政治が問題になった。
殆ど良く分からないが、グローバルとは「政治」でも「経済」でも厄介なモノであることくらいは、素人の私にも直感的に分かる。
☆……☆……☆……☆
「国際政治は陰謀の渦だ」と、誰が言ったか?不明だが、私はそう思うし、真相はやはり神経質な報道しかなく、我々にとっては「蚊帳の外」である。
安倍総理には、「よろしく日本をたのむ」と言うしかない。
そう考えると、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」は、天真爛漫で、幼子の様な無邪気さがあり好きだ。
☆……☆……☆……☆
米朝会談(6月)では、寡黙な金正恩に対して、トランプは冗舌で上機嫌だったことを覚えている。
親友にするなら、トランプを選ぶだろうというのは、トランプとゴルフに興じた安倍総理でなくとも、世界中の首脳が思うことだろう。
G20での歓談で、「疑惑」のサウジアラビアの皇太子が、固まっていた。
☆……☆……☆……☆
絶対的な権力を持つ王族や、独裁者の類は、政治社交界では敬遠されるということだろう。
米国人のトランプにとって、サウジアラビア皇太子は、武器輸出の取引相手でしかない。
かなり確証のある私の想像を言えば、トランプは、安倍総理が好きで、中国の習主席が嫌いだ。
☆……☆……☆……☆
トランプにとって、「自由な貿易」を唯我独尊の中国には「お前には言われたくない」というのが本音だろう。
このような中国を「二枚舌」という。
日本にとって、日米蜜月という・・・こんな有難いチャンスは無いが、マスコミはそのことをあまり言及しないし、「トランプに追随するな」とさえ言う。
余計なお世話である。
☆……☆……☆……☆
マスコミは、涼しい顔をして触れないが、中国は世界最大の共産党独裁国家である。
その頂点に君臨するのが習主席であるが、中国には人権思想が無い。自由な言論が無い。法よりも党が優先される国家である。
ウイグルやチベットでは、「中華人民共和国」の支配下のもと、国ごと消滅してしまった。
☆……☆……☆……☆
21世紀になった今でも、民主化の運動や言論は、ニュース以前に弾圧され、跡形もなく、初めから無かったように消される。
今更、独裁国家の恐ろしさを云々するつもりはないが、それに沈黙し、「政治」抜きの商売だけの理由で、中国に媚びを売る経済界には、福沢諭吉じゃないけれど「痩せ我慢が足りない」と言いたくなる。
☆……☆……☆……☆
  21世紀の今、世界の大国と言えば、米国と、中国だが、この二大強国は、「政治」ではなく、経済・貿易で対立している。
どんなに中国が、「一党独裁」であっても、アジア‣ヨーロッパの国々は、中国の経済力に戦々恐々として、「政経分離」を建て前として、ひれ伏しているのが現状である。
何の配慮も忖度もなく言うが・・・トランプにはもっと中国をやっつけて欲しいと思うくらいである。
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2018年12月 3日 (月)

パリのデモ~騒乱化、言論の危機

今、パリではデモという名の暴徒が騒乱化しているが、映像を観る限り、大都市パリはひどい状態になっている。
パリの暴徒は、何彼と歴史の変革の発端になるが、今回の原因は「マクロン政権に反対」という以外は、メデイアが詳しく伝えていないのでよく分からない。
☆……☆……☆……☆
報道によれば、デモのリーダーが不在のようで、何かの歴史の前兆か?何とも不気味な空気感が漂う。
もう既に数年前になるが、日本の国会周辺では“絶叫戦術”と呼ばれたデモが連日行われた。
☆……☆……☆……☆
「安倍政権」に対して反対ということ以外、何に対して反対なのか?よく分からないが兎も角、「絶叫」してメデイアの注目を集めるという若者の幼稚な戦術であった。
あのデモを見て、「テロ」か「騒音」か?という当時論争があった。
結局、「テロ」ではない。テロリストは姿を見せない。ということで、単なる「騒音」だということに落ち着いたが、パリのデモに比べてはるかに健全に見える。
☆……☆……☆……☆
しかし、アメリカのメキシコ国境近くでの「移民集団」の暴徒化などが、心配されている。
トランプ大統領の「非合法移民の流入」を防ぐという措置は、全く正しい。
パリの騒乱デモのしろ、国会周辺の騒音デモにしろ、どちらも、言論の府(国会)に対する強烈な反発である。
☆……☆……☆……☆
数年前、ジャーナリスト・作家の、鳥越俊太郎・金平茂紀・田勢康弘・田原総一郎・岸井成格・川村晃司・大谷明宏・青木理・吉永みちよらが、「言論・報道・表現」の自由を掲げて、「立ち上がった」というニュースがあった。
しかし、これらのジャーナリスト・作家たちが、今までどれほど建設的な「言論」を提起したかといえば、殆ど記憶ない。
共通の敵である、「安倍政権」」に対して、「打倒!安倍政権」という政治プロパガンダしか見えてこない。
☆……☆……☆……☆
彼らが、北朝鮮に日本人拉致に対して、真剣に取り組んだ形跡は見られない。
ただ、「安倍政権を批判する」だけである。
パリの騒乱デモに、まったく危機感を感じないのが、自称ジャーナリストたちではないのか。
私は、パリの騒乱デモに、言論の危機を感じるのだが・・・。
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«LGBTという、言論のタブー